或る麗らかな昼下がりのこと


 その美貌を曇らせたのは女が口にしなくてはならない災いのような言葉が重石のようにのし掛ってくるからだろう。
 その立場故に女は決断を口にして、人々を死地へと送らねばならない。どの様な状況であろうとも毅然と「死ね」と指させるほどに女は冷たい性質ではなかった。
 しかしながら、決定は決定だ。覆るものではない。
 が、愛すべき市民を捨石にするつもりではないことは分かって居る。だが、戦いに犠牲は付き物であるとも。
「……横須賀基地への進軍を開始する」
 彼女は、王条 かぐら(r2n000003)は冴えた声音でそう言った。
 K.Y.R.I.E.としてある程度の調べはついている。天使軍勢の本拠たる横須賀基地内部には信じがたい程の敵戦力が溢れ返っている事、そして、指揮官である力天使ラファエラ・スパーダが所謂権能と呼ぶべき得意な能力を有していることも。
 迚もじゃないが全てが信用に足る情報であるかを目を疑った。諜報を得意とする情報関連部署は判明事項が出鱈目であれと願うように何度も確認を繰返したほどだ。だが――それは正確であった。正確でなければシュペル・M・ウィリーはその様な言葉を口にしない。

 ――同時に横須賀基地攻略作戦は決して勝算の無い話でもない。
   例え彼我の戦力比が絶望だとしても。力天使ラファエラ・スパーダが所謂権能を有していたとしてもね。

 涼介・マクスウェルの言との決定的な違いは、涼介は本当の事を分かり易く言わないがシュペルは本当の事を直截的以外に言えない人物であるという事である。
 彼の御仁は恐ろしく正直者なのだ。この上無くひねくれ倒していて、意地悪の真似事をしたがる癖に分かり易い。
 恐らくは何もかもの事情をさて置いても、自身の発言が間違うという屈辱を受け入れられない性質なのだ。
 ……それをお人好しと評して良いかどうかは別にして。
「現時点において、横須賀基地は神奈川圏内の天使勢力の本拠地であると断定されている。
 積極的な攻勢を望んでいない相手であったこそ、ここまでの猛追が許されたのだけれどね……次は、真っ向からの衝突になる。
 何せ、基地内には力天使級ヴァーチャーが陣取っている。彼女は指揮官らしい指揮官と呼べる能力を有しているようだ」
 そう、力天使級ラファエラ・スパーダはあくまでも指揮官としての能力に優れている。
 つまり、彼女はタイプなのだ。無数の配下に力を分け与え、天使軍勢をより強化する事が出来る。
 厄介な性質であるのは確かだ。有象無象である天使級は大天使級へ、大天使級の軍勢は権天使級へ、それぞれそうして近しいほどの能力に向上させる。
 横須賀基地内部に存在する天使達が寄せ集めであってもそれらは強大な力へと変貌し、能力者達の前に立ちはだかるのだ。
 ならば、ラファエラさえ討ち取ってしまえば一気に戦線が瓦解する。
 ――が、相手も阿呆ではない。ラファエラは指揮官として後方に控え、彼女を防衛するように天使達が陣を張るのは明らかだ。
 第一の障壁となるのが。

「――まずは迎撃に出て来る天使を食い止め、あわよくば撃破を狙う事が第一目標になる。
 そうだな。相手としては能天使級、スティーリア・キノスへの対応は結果を占うものになるかも知れない」

 女は静かに云った。スティーリア・キノス始め、横須賀基地を防衛する天使軍勢を撃破し、ラファエラを引き摺り出す。
 いや、この作戦にはの側面もあるのだが。かぐらは「どう言ったものか」と目を眇め、困惑を滲ませながらも能力者達のかんばせを盗み見た。
 此処までの話しの何処に勝算があった? 死にに征け、と。そう投げ遣りに命を放り投げているようにしか見えないではないか。
「言い方を変えよう。
 開戦時刻、正午……12時過ぎ。激突開始はもう少し遅くなるだろうが、せめて、15持たせて欲しい」
 奥歯にモノの挟まったかぐらの物言いにざわめきの色が強くなる。
(皆の気持ちは十二分に分かるとも)
 かぐらは絶対的な信用と信頼を涼介・マクスウェル(r2n000002)に向けているわけではない。彼がマシロ市の利とならぬ事はせぬと信じているが、彼の善性には疑いの余地がある。
 そう思わせる程に巧みな言葉遊びで煙に巻く男はの立場である女からすれば全幅の信頼を置けと頼み込まれたって無理な話だ。
 だが――彼が事だけは信じている。
「……信用、してくれとは言えないね。私は何処までも指揮官であり、後方で皆の帰りを待つ立場だ」
 かぐらはひと息、そう言った。己が能力者の立場であれば、指令の絶対遂行など迚もじゃないが行なう事は出来まい。
「けれど、涼介君――上には策がある。戦線を維持し、一時的にでも押し込んで欲しい。
 ……その策を皆に説明出来れば一番良いんだけど、往々にして戦争ってのはそうはいかない」

 ――一番いいタイミングで特別な魔法をお見せする事を約束しますよ。

「だけど、どんなに理不尽でも絶望的でもやるしかない現実は変わらない。
 結局は優先順位の問題で――それでも奇跡や魔法があるって言うなら、神様が本当に居るならきっとそれは本当なんだろう」
 繰返すが、王条 かぐらは涼介・マクスウェルに全幅の信頼も信用も置いてやいない。
 彼からそのを聞かされたときだって、作戦遂行に踏み切る事への迷いと惑いは拭いきれなかった。
 だが、それしかないのだ。此処で退けども横須賀側は障害となることが明らかだ。放置すればマシロ市側にまで手が伸びる可能性だってある。
 魔法を信じられるほどに初心な乙女などではないが、信じなくては手品も魔法もただのでまかせでしかない。
「敢えて言い切るけど、こちらには策がある。けれど、そのタイミングこそが重要だ。その時を皆には作り出して欲しい。
 信じてくれなんて言えないよ。
 それに、不測の事態が起きる可能性だって十分にある。……私にとっては最も、危惧するべき事なのだけれどね」
 誰もが生還する、それが難しい事くらい理解している。
 王条 かぐらは覚悟をして居る。覚悟をしなくては、言葉を絞り出すことさえ出来るまい。
 これだけ張ってやったんだ。不本意な援護も弁護もしてやったんだ、魔法使い!
 愛すべき市民を裏切ってくれるなよ、と心の中でへと告げてかぐらはただ、一言を吐き出した。
「――さあ、作戦を開始しよう」