「……このような場所を用意してもらって良かったのでしょうか」
八重(
r2n000260)は敷かれた座布団の上にゆっくり腰を下ろしてそう呟いた。
後に大破局と呼ばれるあの日から数日以内の事、八重は神祇院の手の者に守られるまま元居た場所を離れていた。
名前は知らないが寺院であるのは確かだろう。寺院があるという事は、元々此処に祀られているはずの存在もいる筈だがパッと見渡す限りは見当たらない。
「まぁ。あんたに気に入ってもらえるような場所かは分かんないけどな」
確かに八重と目を合わせて彼は佩刀を外して対面に腰を下ろす。和装を着た青年だった。
こちらに気分を害させないようにとでもいうのか、穏やかな笑みを浮かべた青年である。
「……貴方が此処で私を護ってくれるという」
「廻月 槐だ。この御津那海で和菓子屋さんをしてる」
「和菓子……」
静かに笑った槐に思わず八重はぽつりと呟いた。
腰から外された刀は鞘に納められた状態のまま何らかの霊気とも神気ともつかぬ物を放つ。
それを腰に挿していた青年がただの職人であるなんて、そんなことがあるのだろうか。
「和菓子屋の方が、このような場所を用意してくださるのですか?」
「もちろん表向きさ。まさかあんたみたいな大物が遍座してくるなんて思わなかったから、仮の住居みたいなもんだが……気に入らなかったか?」
「いえ……安置する場所を下さったのに、文句をつけようとは思いません」
ふるると顔を振って否定する八重に彼は「そりゃあありがたい」とはにかむ様に笑みを崩す。
「実際に此処で暮らすか他の所で暮らしてくかはあんたの自由だ。
ひと先ずはようこそ、この町は
霊脈上は日本の臍に当たる場所だ。
東西の霊脈の中心地、あんたがじっくり腰を下ろして休むにはちょうどいい場所だろうさ」
腕を組んで笑いながらそう続けた彼が隻眼である事に気づいたのは顔を近づけてきたその時だった。
「だからまぁ、じっくり休みなよ神様。じっくり休んで、そうだな……いつか、あんたの友達を探しに行こう。勾玉も、鏡もさ」
「……そうですね。いずれ、落ち着いたのなら」
そうして槐はにかりと笑ってみせた。八重を此処まで連れてきた神祇院の人間達とは明らかに対応が違う。
まるで子供に対する扱いのそれのようで、ともすれば神霊に対して不遜とも言えるだろう。
それでも何故か、彼の心に八重に向ける敬意のようなものは確かに感じる――そんな不思議なふるまいだった。
「とはいえ折角この町に来たのに一人で此処に引き篭もってるのも勿体ないな……外、行ってみるか?」
腕を組み、「ふむ」と呟いたかと思えば、彼はそう言って八重を見つめる。
「……大丈夫なのですか?」
思わずそう聞き返したら、彼は「大丈夫だろう」と笑ってみせた。
「立地のおかげなのか、この町は天使の連中に襲われにくい。それに多少の天使程度ならあんたは自分の身を守れるだろ」
「……それは、まぁ」
またにまりと笑ってそう言った彼に、八重はコクリと頷こう。
飛び交う低級の天使程度であれば、力を使えばどうとでもなるのは事実だった。
「あんた自身で守れるなら守ればいい。俺達は俺達で自分の身は護るし、いざとなった時ってのは変わらないさ」
そうすれば彼はまた笑って、ゆっくりと立ち上がり八重を見て「そういえば」と呟いた。
おもわず首を傾いだ八重を見つめ少しばかり難しい顔をして「うーん」と唸る。
「あんたをどう呼べばいいんだ? 町の中で草薙剣なんて呼び続けるのも変だからな」
「……私はどう呼ばれても構いませんよ」
「そうは言ってもなぁ……草薙、都牟刈、八重垣……八重、八重……うん、八重だな。八重なら人間の名前としても通じるはずだ」
腕を組んだまま唸っていた槐はそう言って数度頷くと視線を八重に向けて屈みこんだ。
「そう言うわけだからさ、これからこの町に居る時は八重って名乗るといい。
八重って名乗ってるうちはあんたは
ただの八重だ。神様でも何でもない、ただの女の子だ」
「……八重、それが私の此処での名前。分かりました。お受け取りします」
こくりと頷いた八重に槐は「堅苦しさが抜けないな……まぁ、いいか」と呟いたか。
「そんじゃあ、行こうか、八重。あんたの御津那海デビューの為にさ」
からりとそう笑って、槐は八重の手を取った。引っ張り上げられるようにして立ち上がり、彼に連れられるまま障子の向こうへと歩き出す。
静まり返った境内に満ちる空気は穏やかで八重の肌にも良く馴染む。参拝中の人の気配はなく、けれど寂れているというわけではないのはきっと今日が八重を迎える日であったからなのだろう。
石段を下りながら見た町の景色は穏やかで家々にはぽつぽつと灯りが見えた。天へと伸びるビルと敷き詰められたような和装住宅とが交じり合い不思議な調和を保つ町並みの中を案内されながら歩いていく。
「あっちにあるのは食事がとれる場所で、こっちにあるのは前までは土産物を売ってる店だったんけどな」
一つ一つの店を案内しながら、彼は出会う人々を前に八重の背中を押すようにして話しかけていく。
「へぇ、八重ちゃんって言うの。綺麗な顔ね、巫女さんかしら?」
しわくちゃの顔をしたお婆さんはそう言ってただでさえ細い双眸を細めて微笑んだ。
「当主様だ~! 当主様~! 遊ぼ……その子は?」
「……八重」
「八重!」
こてりと首を傾いだ子供を前にちらりと槐の方を見たら、微笑みながら八重の背中を押す。
貰ったばかりの名前を名乗ると、その子は華やぐように笑った。
話しかけてきた子供にうんうんと相槌を打っていると、やがて子供は親に連れられて行ってしまう。
手を振る子供に手を振り返しながら八重はふと槐の顔を見上げた。
「……目的地があるのですね」
「ん? あぁ……まぁ、あるといえばあるな」
確かに話しかけられたりすれば立ち止まって自然とそちらに移動しているが、彼の足取りは真っすぐに何処かに向かっていた。
「……何処へ連れていくつもりなのでしょうか」
「あー……そうだな。あんたを守るにはあの寺社なんかに閉じ籠めてもあまり意味はないんだ。
本家の娘を幽閉して嫌な動きを見せてる天爾蛇とかもいる。この町であんたを護るなら、町の中に馴染ませたほうが良い。
木を隠すなら森の中、剣を隠すならそれの専門店、人になれるなら町の中の方が都合がいい」
そう言いながら彼は足を止め扉を開けて「おーい、オバちゃん」と中に向けて声をかける。
「お姉さんでしょうが、ったく。本家の当主様になったってのに失礼だね」
「悪い悪い……この子に合う衣装を幾つか見繕って欲しいんだ」
頬を掻いて謝罪する槐に背中を押され、八重は店主の前に押し出された。
「んん~……あらぁ、別嬪さんじゃない。何でも似合いそうだけど、そうだねぇ」
そう言って店主は目を瞠って目を輝かせ、八重に幾つかの衣装を見繕った。
見繕った全てを槐は「似合ってる。買って行こう」というばかりで。よく着ている朧花色のワンピースはその中でもお気に入りの一着になった。
夢を見た。懐かしい夢。八重がこの町にやってきた頃の夢だ。
神様としてこの街に移り住んで、人として暮らすようになるまでの夢のような、いつも通りになる前の日々。
「……懐かしい」
ぽそりとそう呟き、八重はそっと口元に手を寄せた。
「……うん。懐かしい、な」
微睡の中に見た夢を想い、顧みてそう
実感する。
この夢を懐かしいと、確かに自分が過去に体験したことだと心の底から思えた。それが驚くべきことだった。
「……わたしの記憶」
スクナの下から逃げ延びて御魂石へと逃げ込んだ片割れの神格が体に馴染んで一つになりつつあるのだろう。
少し前まで見ることすらなかった
記憶が確かなものとして夢にまで見えた。意識してこなかった確かな変化。
「……わたし達の記憶」
今だスクナの傍にある片割れ。この町の深部に取り残されている彼女。
彼女の気配を追いかけて辿り着いた硝子の町の探索はそろそろ一区切りも着くだろうか。
夢を見ていた。少しずつ、別れていた二人の意識が、繋がりが確かなものになりつつある――そんな気がした。
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