「久方ぶりじゃな、K.Y.R.I.E.本部に足を踏み入れるとは。
何、別に呼び出しに対しての
文句を言いたいわけではない。わらわとて散歩がてらに足を運ぶこともあろう。
それに、元々は
こちらからの案件じゃ。下の者が何と言おうとわらわが足を運ぶのが道理であろ」
K.Y.R.I.E.作戦指令室の冷たい壁にその背を預けて立っていたのは10代半ばにしか見えやしない年若い娘であった。
天を衝く龍の角にするりと伸びた尾を有した彼女は刻陽学園の生徒と言われようとも
正体を知らなければ疑う事もないだろう。
「しかし、一人歩きを許されたのかね? 君のご家族は心配性だっただろう。
それを思うと私や
司令官がそちらに伺っても良かったのだが。勿論、
指揮官もつれて」
「構わぬ、と言ったじゃろう。棟耶。わらわも散歩の時間が必要じゃ。護衛護衛とうるさい奴らは撒いて来た」
くつくつと喉を鳴らすのはただの少女ではない――マシロ市の地底を牛耳る龍華会の
帮主である華氷 ヒメリ(
r2n000018)その人だった。
くつくつと喉を鳴らして笑う彼女に刻陽学園校長である棟耶 匠(
r2n000068)は肩を竦める。困り果てたような視線を受け止めた九相寺・大志(
r2n000122)もまた困ったような笑みを浮かべて見せたか。
「しかし、ご苦労じゃったな? コマンダー。大捕り物が終わった感想はどうじゃ?」
「ああ、
悪くはないと言うべきかな。何とも、まだ夢心地だとも。
勿論、敗北など欠片も考えていなかった。……疑り深い視線だ。
考えたらお終いだった、だから考えなかったと言い換えようか」
横須賀に駐在するキャンプパールコースト軍人たちとK.Y.R.I.E.の能力者は東京湾に眠っていた
超常指定:甲級の討伐に成功した。嘗て、人類はあの怪物によって打撃を受け、大志も無数の屍の中を彷徨うにして何とか
陸へと戻った経験があったのだ。
「これで、もう少し海に出られる。
元々は光の領域に存在していたクジラ島の周囲の整備、駿河湾の調査が出来るとなれば活動範囲が広がるというものだ」
「ああ、物資の輸送も円滑になるとなれば小田原や箱根周辺の整備にも手が加えられるそうだな。
元々より小田原は
比較的安全なコロニーではあったそうだ。その管理者が天使や終末論者であったことを覗いたならば、だが」
小田原は管理者であった
天使が人の心を持ち旧時代のような生活を望んだ為、衣食住はある程度の保証がなされていた。その上で、暴力や窃盗、殺人なども決して許さぬと言わんばかりの徹底ぶりであったらしい。
それは
内部だけの話だ。小田原の外に出れば終末論者達は非合法に手を染めていただろう、が――小田原天守閣周辺は本当に小さな小さなコロニーとして成り立っていたのだろう。
「未だ、あの地には残った者もいる。マシロ市と協力し、かつての街並みを取り戻したいそうだ。
箱根は能力者にとっての身も心をも癒す場所になれば、とK.Y.R.I.E.は考えている。温泉とは、そうした場所だろう」
からりと笑う匠に「温泉、それはいいものだな」と大志は頷いたか。いっそ共に観光に出かける機会が来たら良いと顔を突き合わせて話している二人を嘉神 ハク(
r2n000008)は微笑ましそうに見つめている。
「ふむ。それで? 先ほどからにこにこしておるのじゃな、指揮官?」
「ええ。色々と準備が整ってきましたから。今、マシロ市が陸続きで一個都市として管理が可能であろうと認識する人類生存圏は広くなりました。
神奈川県自体も相模原周辺の水没地帯が存在する事から大きく削れている、という事にはなりますが……太平洋に沿っての活動ルートで御殿場付近までは此方の領域と見ても良いかと」
第五熾天使迎撃戦が行われた御殿場市街は軍人たちの居住区域としての開拓が進められている。
富士市側は
立ち入り不可の汚染区域がある為、実質この
御殿場がボーダーラインとなるのだ。
「旧人類軍が利用していた富士駐屯地付近から忍野八海あたりにまで。
富士橋頭保としてK.Y.R.I.E.とキャプパールコーストの基地拠点が整備されています。
天使たちの襲撃に備えての活動に軍事訓練なども行えます。KPAの拠点も入る事で、甲府に設置されたアガルタ甲府観測所との連携を密に行える計画です」
思えば遠くまで来た、と嬉しそうに笑う彼をちら、と見てから「それで
わらわからのお願い事は?」とまるで幼い少女の様にヒメリは問い掛けた。
「勿論。あくまでも、龍華会からの任務をこちらは掲示する程度にとどまりますが――」
「それで構わぬ。龍華は長らくマシロの治安維持に努めてきたが、もうそれだけで留まる必要もなかろう。
人類の領域が広がれば、生活は安定し、自由を謳歌できよう。
しかし、同じようにして足元より影が広がって行く。復讐心を燻らせる身勝手な者も、悪事に手を染める者も須らく。
元より綾瀬市やその周辺には
裏社会の住民が潜んでおろうよ。まあ、その辺りの対処を行うのも
いい子の仕事じゃろう?」
楽し気にそうは言うが、彼女から斡旋される仕事には復讐代行や殺しなどが含まれることになる。
ハクは苦笑を滲ませながら「マシロは様々な人がいますしね」とそう肩を竦めた。
――そう、肩を竦めているだけだった彼をヒメリは見る。
「のう、クラーケンでの一件で、
嘉神メイという名を聞いた。あれは、貴様の」
「龍妃」
声を掛けた匠をヒメリは振り返る。目の前に立っていたハクの表情はいつも通りの変わらぬ笑みだっただろう。
「はい。妹と同名です。彼女は出生し、その後に看護師が避難する為に連れて出たと聞いています。
その足に識別リストバンドが付いていただろうし、看護師が彼女の名前を誰かに伝えた可能性だってある。
……
もしかすればはありえます。もしも、本当に僕の妹でしたら――迷うことなく、止めましょう。それが、お兄ちゃん、ですから」
→K.Y.R.I.E.茫失者名簿が作成されました
