それは八重が覗き見た穴の中での一幕だった。
八月が来た。うだるような暑さの日々が続くある日の夕暮れである。
逢魔が時の御津那海町は、夏の酷暑を僅かばかりに和らげ、やがて夜がやってくるだろう。
薄膜のように空を覆う瑠璃色の天蓋はより深い群青を描き、重たく軋むようだった。
散りばめたように広がる緋け色の輝きが幾つもの瞳となって滅びゆく街並みを睥睨し、人々が逃げ惑っているのが見えた。
嘗て、中津川宿と呼ばれていたその場所は中山道における宿場の一つであった。
東濃地方随一の商業の町として栄え、そうして今はひっそりと落ち着いた光景が広がって
いた。
我が子を抱え或いは恋人の手を引いて、あるいはたった単身で、有りもしない出口を求めて何処かに向かう。
車を使おうとした者は行く手を阻むような人々の波にそれを捨て置き外へと飛び出し、同じように人込みの中へと消えていく。
人々の波をかき分け、逆らって真っすぐにそちらに目を向ければ、穢れ荒魂へと傾いた神々の姿が見えてくるだろう。
神霊達はあてどもなく、ただ己を受け止めてくれる誰かを求めて進み続ける。
蔓延する呪詛は妖となって零れ落ち、茨のように地を這い町を呑んだ。
何の力も持たぬ人間達は神々に触れれば発狂しよう。呪詛に巻かれたならば瞬くうちに死に絶える。
「……最悪」
これが、あの子を殺してみせる景色なのかと、こびり付いたような困り眉を下げて八重は息を吐いた。
あの日、この町の人々にとっての最悪を再現して――それはきっと、この先にあなた達が直面するであろう未来で。
それを、こうして見せようというのが、心の底から気に食わない。
それでも、そんなあいつを断つことすらできない自分の不甲斐なさが気に食わない。
「必ずや御魂石を手に入れれねばならない。あれはスクナ様に捧げるべきもの、何としてでも見つけ出し手にしなくては!」
「いいや。やらせん。それは――」
人込みをかき分け、逆らい走る厭離衆の姿を見た。させないと、そう叫び立ち向かう廻月堂の道者の姿があった。
あの人達だって、あいつのせいで戦う羽目になっている。
滅びの予言を達成させようと、せめて良き終わりであろうと言う人達と、それに抗おうと言う人達。
彼らが向かう先で、淡く輝く水晶が合った。御魂石――そう呼ばれたもの、それは淡い光を帯びた神秘の欠片。
殺されたばかりのもう一人のわたしから零れ落ちて逃げ出した微かな神格。
滅びに向けて厭離衆はそれを求め、廻月堂はそれを阻もうと手を伸ばす。
その二つのどちらをも拒むように薄膜のような結界が道を鎖す。
それはきっと、あの子に出来る最大限の抵抗であるのだろう。
「――みんなの手を貸してほしいの」
その人達の姿を見つめて、わたしは、あなたに願う。どうか、あの子を助ける為に力を貸してほしいから。
そうして、危うい均衡の中、夜がやってきた。
世界が巻き戻る――また、黄昏の空が、うだるような暑さの日々が続く夕暮れがやってくる。
逢魔が時の御津那海町は、夏の酷暑を僅かばかりに和らげ、やがて夜がやってくるだろう。
薄膜のように空を覆う瑠璃色の天蓋はより深い群青を描き、重たく軋むようだった。
散りばめたように広がる緋け色の輝きが幾つもの瞳となって滅びゆく街並みを睥睨し、人々が逃げ惑っているのが見えた。
「――さてようこそ、K.Y.R.I.E.の諸君」
遥か遠く、楽し気に笑うその声の主はきっと美しいかんばせに不敵な笑みを刻んでいることだろう。
「私の名はスクナ。廻月堂の者達から私の事は聞いているだろうと思う。
八尺瓊勾玉を救い、此の地まで運び込んでくれてありがとう。草薙剣の片割れも連れ戻してくれて感謝するよ。
随分と楽しい事をしてくれたようだね、君達の手で解消されてしまった人々の悲しい結末とやらは一体幾つあっただろう。
御津那海を楽しんでもらえた君達の為に、少しばかり祝宴を用意しておいた。
なに――ほんのちょっとした余興だよ、当世ではこういうのをデモンストレーションとでも言ったのだったかな?」
くつくつ、とそう楽し気に笑ったスクナの居場所は分からない――ただ、少なくとも此の地にまで出てきている事だけは確かだろう。
「――うつしよのあわいの中で、精々私を楽しませてくれたまえ」
嘲り笑う其に抗うためになら、ほんの少しくらい力を使ってもいいはずだ。
だって――もう一人のわたしだって頑張っているんだから。
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