入ってくる外の空気が随分と重く気持ち悪いものになってきた。吐息に感じる熱さえも纏わりつくようで気持ちが悪い。
「おや。可愛らしいお客さんだ。アンタだけでこんな黴臭いとこに来るなんて珍しいな。っていうか、ひとりで出歩けたんだな?」
そっと瞼を開いて、廻月 槐はそこに立つ少女へと声を掛ける。あの子と、八重と全く変わらない風貌の少女――この子を何と呼ぶべきか。八重であり八重ではない、幼気な少女にしか見えない神様だ。
「もう夏か……また小さくなったな」
「……」
巫女のような装束に身を包んだ少女の形をした神様は何も答えず、ただ其処に在った。
「おいおい、無視かよ、つれないな……」
肩をすくめ、その子を真っすぐに見つめ返して「いや……」と小さく呟いた。
別たれた草薙剣の持つ荒魂の側面の少女は、荒魂であるというのにそれらしい様子を見せることさえない。
「そういえば、あんたのことをなんて呼ぶか、決めてなかったな。
都牟刈太刀か、天叢雲剣――多少でも言葉の響きを可愛くするなら叢雲の方が良いか? なんてな」
冗句めいてそう言葉を重ねてみせても、やはり答えは何もかえってきやしなかった。
「まぁ、ツムだけでも可愛いっちゃ可愛いが、叢雲の方が俺としては気に入ったから叢雲って呼ぶことにするか」
勝手にそう呼ぼうと決めても、其処に立つばかりの彼女は何を思い其処に居るのかさえ答えてやくれない。
何も言わない、何も応えない、何もしない。瞬きすら忘れたように槐を見つめ其処に立つ――
仄かに残されたもの。
何も言わず、何も思わぬそれは物言わぬ石のようでさえあるだろう。
「……なぁ、もしかしてアンタは」
ふと思い当たった事を口にする前に、口を閉ざした。もしそうだとすれば敢えて言葉にする必要はない。
(何処に奴らの手が潜んでるかも分からないからな……とはいえ)
もう一度、叢雲を――彼女の立っている場所を見つめた。
そこは少し前、スクナに引き立てられてやってきた彼女が立っていた場所ときっと同じだろう。
まるで其処に居たあの子を再現したように其処にある――ならば恐らく、其処に立っているのはたった今、叢雲と呼ぶことに決めた彼女ではない。
其処には
何もいない。ただ、其処に居た娘の残滓が残されているだけに過ぎないのだ。
きっと、何かが外で起こったのだろう。そして、それはきっと
良い変化のはずだった。
ただ耐え、殺され、奪われてきた
神様がこれまでとは違うことを起こした。
スクナがそれ程に彼女を掌握し始めているという嫌な予測も立てられるが、そうではないだろう。
もしもスクナが剣の力を掌握できたというのならば、彼らが己をこの黴臭い牢の中に閉じ込める理由がなくなる。
そうなればスクナはさっさと己の事を処刑してしまうはずであった。だが、連中は未だ槐をこの牢に繋げている。
それがあのクソったれな荒神による剣の掌握が完了していないという何よりもの証拠だろう。
――黴臭いばかりの空気が流れた。むわっとした熱気を連れてそれがやってくる。
ちらりと彼女のいる場所を見たならば、こちらを見つめていた少女が煙のように揺らいで消えた。
眼帯の奥にじんわりと熱と微かな痛み――この程度の痛みぐらいならば、顔色一つ変えずに呑み込めねば廻月の当主などやってはいられない。
コツ、コツ、と軍靴が石段を鳴らす。姿を見せた偉丈夫の面には何時もの通りに不敵な笑みが浮かぶ。
「なんだ、また来たのか。お勤めはもういいのかい、スクナ様」
「当主」
「滅びに向かって邁進するってのは随分とちんたらやってける仕事みたいだな」
だからこそ、槐は同じように堂々と不敵に笑ってさえみせよう。
「あぁ、貴様にとっては朗報を持ってきてあげたよ」
薄らと笑う男がちらりと先程まで彼女がいた場所を見やる。
「――我が
姫君が希望を持ったようだ。K.Y.R.I.E.というらしい
お客様が繰り返し現象を切除して回ってくれてね」
「へぇ、そりゃあ残念」
「いいや。何も残念なことはないさ。八重垣剣を再びこの町に連れ込んでくれた者達だ、それぐらいは無礼講だとも。
それに――
希望を抱いてくれた方がそれを折った時に良く鳴いてくれよう?」
「はっ」
くつくつと笑ってそう言ったスクナへと短く笑ってみせよう。
「そこで彼らにちょっとした歓迎の祝宴をしてあげようと思ってね、私は少し留守にするよ。
君が寂しくならないようにそれだけ言っておこうと思ってね」
「へぇ、そりゃあご親切にどうも」
「ふふふ、もちろん、置いていく者もいる。逃げても構わないが、そう簡単には逃げられるとは思わないでいたまえ」
「へいへい」
嘲るように笑ったスクナへと槐は肩をすくめた。この男の事だ。叢雲もその祝宴とやらに連れていくだろう。
せめて、奪われた刀を取り返さねば、外に出たところでまた捕まるばかりだ。
「せいぜい、その左目と一緒に此処で待っていたまえ」
最後にそう、不敵に笑った男が身を翻して去って行く――また、空気が流れる音がする。
目を閉じれば左目にまた熱を感じる――彼女の逃げ込む場所に、この左目はきっとちょうどいい。
「叢雲……
御魂石の中でゆっくり休んでいな」
眼帯にそっと触れて、そう槐は息を吐いた。
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