いつもと変わらぬ瑠璃色の空を突き抜けて暖かな陽射しが降りていた。
廻月堂の店先に設置された茶席で空を眺めるのは八重(
r2n000260)の日課のようなものだった。
今日も、昨日と変わらぬように見える空が広がっている。それが分かるから。
御津那海町旧落合宿、そこにあるのが廻月堂である。表向きの事業として甘味処を営みながら廻月の者達は御津那海を守ってきた。霊峰たる火山を信奉し、来たる滅びの予言へと抗わんとする人々。
その人達が八重は好きだった。この町は多少の問題はあっても穏やかで、神霊である八重をただの一人の少女として扱ってくれる。そんな日々はいつも愛おしい。
遠く東京ではカタルモイの決勝戦が始まりつつあるだろう。東京で戦っている友人達の事も、彼らに頼むことになった
草薙剣の形代も八重にとっての気がかりだ。
それでも、そんな事情とは関係なしに御津那海では日常が続いている。それはいつもと変わらぬ空が証明してくれる。
「何かご注文はありますか?」
「慧斗さん、ありがとう。そうね……それならこの葡萄が入った大福が欲しいわ。たしか、この葡萄ってそろそろ旬だったよね?」
そう呼びかけられて顔を上げれば笑みを湛える螺良木 慧斗(
r2n000256)の姿があった。八重は彼に向けて微笑みかけ、そう告げる。
「はい! 今がちょうど美味しい時期ですよ。それじゃあ、お持ちしますね」
にこりと笑ってそう続けた青年は他にも店内に居る人々に近づいていく。何となく、慧斗の向かう先を目で追いかけてみた。
「いつもと変わらず、美味しいわね」
湖面のように美しい瞳を宿す眼差しを細め、月下 更紗(
r2p009192)がそう呟く。
水神の守護をお役目とした一族の一人であり、その当主候補たる娘はさくりと食んだ和菓子に感嘆とした声を作る。
「瀧冶さん、これも美味しいわよ。食べたことはあるかしら?」
「ふむ、初めて見るな」
「それは良かった。瀧冶さんの為に買ったのよ、食べてくれるかしら?」
「……うむ。好意に甘えよう」
微笑む更紗にコクリと頷いて瀧冶(
r2p009166)がその菓子を受け取った。
厳めしい顔をしながら興味ありげに菓子を手に取った青年がそれを口へと運び、驚いたように目を瞠る。
更紗は「美味いな」と呟き菓子を口に運ぶ彼の様子が気になって仕方がない。月下の家はある龍神の守護を務めるべきお家だった。時代を下り今やその神の名前さえ知れぬが、始祖神は水を渡るように時代を渡ったと言い伝えられてきた。
目の前の和装の青年はもしかすると更紗が守るべき神様であるのかもしれないと思うのだ。
「瀧冶様、更紗様、お茶を点てましたよ。ご一緒にいかがでしょう?」
そうつゆり(
r2p005899)が言えば2人は「ありがとう」と各々に告げたか。天爾蛇と呼ばれる巫女たちを配する一族の本家筋たる娘はつい近頃まで御津那海の外で瀧冶に匿われていた。
それは同じくアマニタを名乗る天使が厭離衆の報道官としてこの御津那海に存在しているからだった。
「美味しいわ」
「うむ。同じ葉を使っているはずだが、店の物を戴く時よりも美味いと感じるな」
「ふふ、ありがとうございます。もしそうであれば、廻月堂で使っている茶葉が上等であるのでしょう」
更紗に続けて瀧冶がそう続けたなら、つゆりは微笑みを崩さずそう言って自らも茶を口に運ぶ。
「わたしさまも誠意を見せないといけないからね」
ぱっちりとした瞳を瞬いた空冴(
r2p009015)が胸を張って
誠意の塊を取り出した。
小さな少女にも見える神様はやや遠く、琵琶湖と呼ばれていた湖に在った神様である。より近い文化圏である京都には恐怖を覚え、やってきたのはこの町であった。
「バームクーヘン! 美味しいよ! だからよろしくね」
「空冴のバームクーヘンは美味しいですよ」
溌溂と笑う彼女につゆりが微笑む。
「それは楽しみね」
「これは廻月堂の商品で、わたしさまのじゃないけど、でも味は保証するよ」
此処に来てから監修したからねと誇らしげに空冴は笑う。
「菓子を作っている担当も喜んでいたな」
「ふふん、そうだよね」
そう短く廻月 菱(
r2p008654)が言ったのにまた誇らしげに空冴はそう笑うのだ。
当主代行としてこの廻月堂を纏め、道者達の管理も担う菱はここ暫く忙しさを増している。
彼の負担が少しでも軽くなればいいと廻月 薇(
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「お役目に熱心なのはいいのですが、兄様は頑固で真面目すぎます。少しは休息をとるべきなのですよ」
「それは薇も同じでしょう」
困ったように眦を下げて呟く薇に八重は静かに視線を向けた。あまり似ていないなどと菱は言うが、この兄妹は何ともよく似ている。困った時の目の形も、その気質も。
「そうかもしれませんね」
紅の瞳を瞬いてそう言った彼女に八重は小さく笑みをこぼす。
「だから今日みたいに休みを取れる日は必要だと思いますよ……そう、今日みたいな穏やかな日が」
八重は真っすぐに薇を見つめてそう、言葉を重ねた。人間は休まずに戦い続ける事なんて出来ないのだから。
その戦いの場が何処で、どういうものであるにせよ、休息という日常は代えがたい物だろう。
「そうですね。こういう日は大切にしていかなくては」
コクリと頷いた薇は少しだけ目を伏せて微笑む。滅びに抗う巫女として担ぎ上げられた娘の心は強く、
今は此処に居ない人の事を思っているのだろう。
「薇も何かを食べてはいかがでしょう? 店番も慧斗や他の子達に任せたのでしょう」
「ふふ、そうですね。では少しお菓子を選んできますね」
そう言うとコクリと頷いた彼女は八重の傍を離れて菱に声をかけ廻月堂の中を見回っていく。
「……八重様」
ぼんやりとそれらを眺めていた八重は不意に声をかけられた。
「ムメイヒメ、どうしました?]
少しだけ離れたところからまるで傍に控えるようにしてこちらを見ていたムメイヒメ(
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「どうかなさいましたか?」
己の守護をお役目とする神霊は名前を隠したままで新しい友人を得た。
「……いえ、槐も此処に居たら良かったと思って」
「廻月の当主、か」
そう続けるムメイヒメにこくりと八重は頷く。この日常を彼は護りたかったはずだ。
今もこの町の奥深くで彼は生きている。狭く暗い場所で、何かを待つようにして静かに独り。
そう感じ取れるようになったのは少し前からだった。
「今、あいつの話をしていたか?」
振り返ればそこに菱が居て、隣に薇が居た。手元には買ったばかりだろう和菓子があるか。
「あいつは――無事だろうな」
「ええ、きっと無事ですよ」
「だろうな、あいつは」
眉を顰めてそういう菱の表情は苛立ちと心配とを織り交ぜた複雑な表情だ。
「八重様、お待たせしました!」
そんな菱の表情を吹き飛ばすように、溌溂とした慧斗の声がした。
「ありがとう。あっちの席にってもいい?」
慧斗から大福と抹茶を受け取って、そう言えば、慧斗は「大丈夫ですよ」と笑って頷く。
「八重もこっちで食べるの?」
「うん、せっかくだから」
きょとんとした顔を浮かべた空冴に頷いたら彼女は八重の背中に居るだろう菱達も見てから「みんなで食べた方が美味しいもんね!」と華やぐように笑う。
穏やかな一日だ。心配事も考えることもある筈なのに、一度その全てから解放されていい日だ。
それはまるで嵐の前触れのような――
※東京編決戦『ラスト・ゲイム:アルケー』が開始されました――!
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