熱があった。それに中てられ、沈んでいた意識が浮き上がる。最後に其処へ熱を帯びたのはどれぐらい前だったか。
身体を内側から炙る熱を前にして冷静に考えていられる分、痛覚さえも殆ど焼き切れてくれているのは逆に良かっただろうか。
疾うに熱も光もくれてやった場所、左目には虚ろな眼窩と紛い物の瞳があるだけだ。それさえも眼帯の下に隠して随分と長くそのままにしている。
(あぁ、いや……少し前に
叢雲の神格を隠したんだっけか)
廻月 槐は本の数ヶ月前の出来事に思い至り、息を吐いて右の瞼をあげた。いつもと変わらぬ座敷と格子戸が視野を埋め尽くした。
もう長いことぐっすりと眠ったことはなく、今が何年の何月何日で何時であるのかさえも正確なところは分からない。
積み重なる疲労感も慢性的な眠気も決してそれらを表に出す事など許される状況などではなかった。
(……夢を見るなんて、久し振りだ)
そんな時に見た、懐かしい夢。大破局と呼ばれたあの日から何日か経った後、御津那海へと少女がやってきたあの日。
あの頃はどうにも堅苦しい神霊らしい神霊であった八重も、その身が二つに別たれる頃にはすっかりとこの町に馴染む一人の少女だった。
(なんでこんな懐かしい夢を……なんて、分かり切ってるか)
そっと、眼帯をした左目に手を添えた眼帯の上からも感じる熱、熱源はきっと此の左目の紛い物へと逃げ込んだ神様の小さな神格の欠片だ。きっと、あの夢はこの子が見ていた夢であるのだろう。
そして、その彼女の神格が熱暴走でも起こしたように熱くなっているということは外――或いは彼女自身の身に何かが起こってしまったとみていいだろう。
最悪なのはスクナが彼女を殺し切ってしまった可能性、掌握を終えてしまった可能性。それ以外に何かがあるとしたらそれを知る術はあまりに少ない。
微かな音がした。慣れてしまった黴臭さに変わって新鮮な空気が入り込む。
誰かが、入ってくる。こちらも聞きなれた軍靴が石畳を叩くコツ、コツ、という音――はしなかった。
この部屋にやってくるのはごくごく限られた相手だけだった。槐をこの座敷牢へと放り込んだスクナか、食事を運んできてくれるその眷族か。
前者が鳴らす軍靴の音はなく、かといって後者は呪詛を共に連れてくる。そのどちらかであるというのに、そのどちらの感覚もない。
「珍しいお客さんだな」
まだ姿の見えないその誰かに向けて槐はそう声をかけた。答えはなく、ただ気配が近づいてくる。
やがて目の前に辿り着いた少女を見つめて槐は表情を押し殺す。
「あぁ、本当に珍しいお客さんだ。なぁ……叢雲剣、また来てくれたのか?」
左目の熱が益々と荒ぶり、流石に顔の周りに痛みを感じて小さく息を吐く。
格子の向こうで立ち止まった少女は
困ったように眉を顰め何も応えを返しやしない。
左目に剣の神格が逃げ込んだあの日も同じように彼女は槐の前に佇んでいた。目の前のこの少女もまた、あの日と同じように草薙剣の神格から零れ落ちた欠片であるのだろうか。
巫女のような装束も、その身体に背負うあまりにも重そうな呪いも、何時もスクナに伴われていた彼女と変わらない。
そう思いながら彼女を見れば息が詰る。力なく弱りきって見えるこの子は、それだけスクナに殺され続けてきたのだろう。
だからこそ、という側面もあるだろう。
本来ならば力の制御を司る彼女だ。それが弱ってしまえば待っているものは決まっていようか。
「……ってことは、あんたは」
少しだけ目を細め、槐は気を入れて彼女を見てから小さく息を吐いた。
じっと佇んでいた少女はゆらり、ゆらり、ゆっくり体を動かして歩を進めて格子戸の扉に触れ、容易くその扉を両断する。
そのまま格子に手を着いた少女の身体がずるずると落ちていく。小さな体が倒れ込む――その前に槐はその身体を抱え上げた。
あまりにも軽く、あまりにも弱弱しい身体は、触れているこちらが火傷してしまいかねない程に熱かった。
その身体にはどうしようもないくらいに濃い呪詛が纏わりつき、絶えず侵蝕を試みては彼女の本来の権能によって斬り祓われている。
蠢く呪詛から伸びる繋がりを目線で辿ってから、槐は少女と目を合わせた。光の薄れた深蘇芳の瞳を宿した双眸で困ったように、苦しそうに少女は眉を顰め槐を見ている。
「……八重、
繋がってるんだろ」
そっと少女の身体を壁に凭れ掛からせれば、苦しそうに眉を顰めた少女が少しだけ目線を落とす。それは肯定の代わりだったか。
その身を侵される苦しみを、痛みを、己が少しでも肩代わりしてやれるならどれほど良かっただろう。
それでも、今は伝えなくてはならない事の方が多い。別たれてしまった二つの草薙剣の力が再び一つになりつつある。
二つの剣の繋がりが八重の意識をこの子の方に引っ張ったか、或いは繋がりに気づいた八重が自発的にそう動いたのか。
どちらであるにせよ、八重が意識的に片割れの身体を動かして此処までやってきているのだろう。
「……今から色々と伝えるから、しっかりと聞いてくれ。スクナが自慢げにぺらぺらと話してくれたことがある」
呪魂石と呼ばれる物の事、八重や呪創を受けた者達を楔として御津那海の表層部を深窓へ墜とそうとしていること。
そうなればこの町どころか日本がどうなるか分からない事。
「呪創ってやつを刻まれた人らと呪いが結びつきを強めたんだろう。
呪創を持ってる奴は気を付けたほうが良い。もしかしたら深部に取り残されちまう可能性はある。
結びつきが強くなったってことは、禍神になった神様達はあんたらを連れてこうとするだろう」
ぼんやりと苦痛に耐えながらこちらを見ていた八重が微かに深く眉を顰めた。呪創を受けた槐の知らぬ誰がしかの事を想って心を傷めたのだろう。
「まぁ、やりようはきっとあるさ。八重と呪創を楔にして御津那海を墜とそうって言うなら、
その逆だって出来る筈だ」
槐は八重と目を合わせるようにしゃがみ込むと、敢えて明るくにかりと笑って彼女の頭を撫でてやった。
「向こうが八重との繋がりを楔の起点に利用するなら、こっちもそれをしてやるんだ。
人を呪わば穴二つってやつだな……だからまぁ、気合を入れて抗ってくれ。あんたらにとっちゃ危機だろうが、あんたらこそが鍵になるだろうから」
見知らぬその人達へとそう激励の声をかけてから槐はゆっくりと立ち上がる。
「それと……助けてくれてありがとうな、八重。もうそろそろ、その身体から出て戻っておいたほうが良い。
俺はまだやらなくちゃいけないことがある。たとえば、その身体を守ってやる誰かも必要だろ」
力なく、その身体が目を伏せる。それを見つめて槐は小さく息を吐いた。色々な意味で時間はない。
こうして八重に言葉を伝えている間にも、その身体は軋んでいる。何よりも、彼女がこうして動いたことをスクナ達が何時までも見逃してくれるはずもない。
(……まずは、刀を取り戻さないとな)
少女の身体から力が抜けていくのを見届けてから疲労感を誤魔化すように息を吐いた。
※東京編決戦『ラスト・ゲイム:アルケー』が開始されました――!
命空骸戯 - 旧展示場要塞システム/ゲイム・ルール
旧展示場要塞内「カタルモイ」専用ツールアクセス