「――何してるの?」
激戦を終えた海は、嵐が消えて。
夕方の静けさの中、駆逐艦ラファエル・ペラルタ甲板にて矢風・初雪(
r2p000958)は池神 暇次郎(
r2p000690)に問いかけた――彼は何も載っていないシャリを掌に、海に翳しているのだから。
「見ての通り、寿司を握っている」
「……のわりに何もないけど」
暇次郎の掌を、そして水平線を見比べて、初雪は首を傾げる。
かねてよりクラーケンを寿司にすると道破していた暇次郎であるが、クラーケンの身体が生命力を失ったことで結晶化し砕け散ったのは多くの者が目撃したことだ。
あくまでも仮説の一つに過ぎないが、その身に宿した強大な神秘の力が作用した結果ではないかと言われている。完全に物理法則に従ってあの巨体が『存在』することは物理学者と数学者が泡とゲロを吹いて寝込むようなことだろうから、まあ、尤もらしい説ではある。……一部の
グルメ達が大いに落胆したことは言うまでもない。
暇次郎もその一人であった、が――
「そう。だからこれは『概念』をネタにしている。理想通りにいかぬこともまた寿司の道……だがおれは
この海を、今のこの瞬間を忘れはしまい。だから、ほら、今日はサビ抜きなんだ。今日ぐらいは
サビ抜きの日があってもいいと……思わないか?」
「そうなんだ……? そうなんだ、そうかもね」
曖昧に相槌を打って、初雪は潮風に黒髪を耳にかける。
(まあ、でも、死体が残らなくてよかったのかも)
あの巨大がそのまま残ってしまったら、死体処理に駆り出されるのはキャンプ・パールコーストの面々だろう……そうなったら彼らの帰宅はますます遅くなり、家族は待ち続けることになってしまうだろう。――『留守番』の心細さを知るからこそ、初雪は。
(一秒でも早く、帰れるといいな……)
ちらと艦内の方を見やる。ラファエル・ペラルタは大賑わいで、一足早いお祝い状態だ。
この賑やかな声が
弔いになると信じて。誰も彼もが笑顔だ――しかしグレゴール・イレ・ディエス(
r2p000095)は緊張の面持ちで立ち尽くしていた。まるで彼だけ、これから決戦の地に赴くかのような。
と、ひときわ指笛や喝采。多くの兵士とフィストバンプや言葉を交わしながら、浪花 アルネ(
r2n000145)が歩いてくる。そして。
「お、いたいた――」
ほら、とアルネは満面の笑顔でグレゴールを手招いて。
「
しゃがめ」
「はい? ――あ、はい」
言われた通り、傍に来たグレゴールは片膝を突く。クラーケンですら彼の膝を突かせることはできなかったのに。そうすれば
彼我の目線が同じ高さになった。
「ふふ!」
束の間だけグレゴールの顔を見たアルネが破顔して、かくてその瞬間だった。アルネの小さな手がグレゴールの胸倉をグイッと掴んで引き寄せて――彼の顔に顔を寄せて――「あ」とグレゴールが思ったその時には、もう、
「
楽しみにしてたんだろ?」
ひゅーっ、とラファエル・ペラルタで今日一番の喝采が上がった――。
戦闘後の処理やら、今後の作戦会議とか、やることは
死ぬほどある。これは映画ではないから、『諸悪の根源を倒してめでたしめでたし』では終わってくれない。
……でも。せめて、せめて今日ぐらいは。というか今日はもう、真面目な大人の顔でお仕事をするのは無理そうだから。
「――乾杯!」
その日の夜、刻陽学園横須賀キャンパスの大海食堂では盛大な祝勝パーティーが開かれていた。九相寺・大志(
r2n000122)の音頭で、戦い抜いた全ての横キャン関係者がグラスを掲げる――
勝った。勝ったのだ。あの大怪物に。青き地獄の受難に。今日はその勝利に酔い痴れていい。明日からまた戦いの日々だから、今日だけは、今夜ぐらいは。――誰も彼もそのことを分かっているから、ハメを外すぐらいでちょうどいい。
「――これからどうされるので?」
野分 銀四郎(
r2p000278)――特務部隊POSEIDON軍曹は、宴の合間に大志へと問いかけた。彼も、そして大志も、今日ばかりはその肌色に酒精の色をにじませて。
「なんでも、一部の生徒が『九相寺学長、学長を辞めちゃうんじゃないか』なんて噂をしていますが」
「あはははは!」
大志が大きく口を開けて笑ったのは酒のせいか、今日が特別な日だからか、両方か。
「辞めないさ、むしろ
ここからだよ」
確かに大志の長い長い
戦いは終わった。だがまだ『近海を取り戻せただけ』にすぎないのだ。地球儀規模で見れば取り戻せた場所など水の一滴分もない。天使との戦いはこれからも続く。彼らの人生はこれからも続く。
「これからも、未来の為に粉骨砕身尽力するさ」
「そうですか。では、これからもお供しますよ、隊長」
笑みを交わして、
生徒達で賑わう宴に目をやろう。
都築 広斗(
r2p005623)はその賑わいの一つだ。クラーケンに勝利した記念だと作られたタコヤキ(全て本物の素材!)をホフホフと頬張った――今日は誰にとっても特別な記念日になるだろうが、広斗にとっても大きな意味を帯びていた。
(――いつ東京にいけるのかなぁ)
窓から見える海を見て、広斗は喜びをにじませて
故郷に思いを馳せた。
多摩から東京へ向かうルートは
行き止まりだった。だがこうして海路を確保できた以上、近い内にK.Y.R.I.E.は東京へと上陸するのだろう。
――「東京のゲイム」や、
第九熾天使の配下を名乗る天使の存在、そして彼が告げた「
嘉神メイという主天使が東京に眠っている」という俄かに信じがたい言葉――不穏の気配は数多あるが、それでも、前に進めることは喜ばしい。
(何があっても、きっと……また、乗り越えられるよね!)
未来に展望を込めて、広斗はシャンパン風のモクテルをぐっと呷った。
――宴の喧騒が遠く聞こえる。
月の煌めく砂浜で、真月里(
r2n000190)は海を眺めていた。しららかな裸足を、三月の海に浸して。
「来週には満月かな」
優しい声が聞こえて真月里が振り返れば、そこにドリアン・ファスティ(
r2p006261)が居た。彼もまた、月を見上げている――満ち具合は、半月から少し膨らんだところか。
「あたし――」
何から話そうか。真月里は少しの間を開けてから、声を弾ませた。
「横キャンに入学しようと思うんです。それから何をするかは、まだ何も決めてないけれど……それをこれから探していこうと思ってて」
「へえ! ということは、横須賀寮に?」
「そのつもりです。ドリアンさんも横須賀寮なんですっけ、ふふふ、これからはご近所さんですね!」
深呼吸をひとつ。この、『今』を全てこの身に記憶するかのように。
「いつかこういう日々が来たら、とは思っていたんです。
でも、あたしには為すべきことがあって、守るべき場所があって。
だから何処かで諦めてたんだと思います。
いつか泡になって消えてしまうような、そんな
神生だと自分に言い聞かせてました」
瞬きをして、そうすれば、瞼の裏に思い出せるのは光の領域でのレイヴンズとの出会い、常夏の思い出、煌めくぬくもり。「ふふ」と真月里は含み笑った。「あの歌を歌うと決めたとき、あそこで消えていいと思ってたんです」と、水平線の向こうを見る。
「房総半島を守れなかったのはあたしで。通賢黙娘の『本当』に気付けなかったのもあたし。
そうなることが贖罪とは思いませんけど、義務だとは思ってましたから」
「それでも、きみは――」
「ええ。――皆があたしとの未来を夢見てくれたから。
だから、
まだ生きてていいんだって思ったんです」
「生きていて欲しいよ。その為に、僕らは命懸けで戦ったのだから」
「――うん。……だから、ね。あたしのこれからのこと、責任とってくださいね?」
じゃれるように言う、そんな真月里に「もちろんだとも」と、ドリアンもわざと大仰に踵を揃えて騎士の真似をして見せた。
「これから真月里の
神生の、新章が始まるというわけだね。
その一歩一歩に、どうか光と幸せが満ちているように――
月に希おう」
「はい、ねがわれました」
なんせあたし月の神霊ですから。くすくすと、乙女は楽しそうに含み笑った。
優しい夜風が世界を撫でる。
横須賀キャンパスの小さな桜の木が揺れる。
その枝の先には、蕾が春を秘めていて――。
ロストアーカディア二周年!