――諏訪よりも西方。一条よりは南、九条よりは北、京極よりは西、朱雀よりは東。
斯様な場所。まだ、K.Y.R.I.E.が辿り着いてはいない
ウチ。
「烏兎、今はどないなってはるの」
錫杖を手にした娘は静謐を切り裂くように宙へと声をかけた。
紅消鼠の髪に、薄らと色付く朱殷の瞳。
先代と良く似た美貌と謳われた娘は自らが放った式をその双眸で追いかける。
「……玉兎、結界は保たれとるさかいに殺気立つんは止めなさい」
後方に向かって声を投げかける娘は呆れをそのかんばせに張り付けていただろう。
宙より顔を出す射干玉の兎は橙の瞳を細めて「怒られてやんの」とどこかを指さした。白雪の兎は翡翠の瞳を細めては拗ねかえったように地団太を踏んでいる。
どちらもこの娘が操る式であり、母より受け継いだ
祓い屋の才そのものか。
紅のラインが目を引くセーラー服は袂が揺らぎ、娘の古風な雰囲気によく似合う。艶やかな帯を飾り丈を絞ったならば、合わせられた白い
袴は動きやすさを重視したものだっただろう。
「苑子」
尖った耳に、人ならざる妖気を揺らがせた娘は「何よ」と兎を振り返る。
黒兎――烏兎は「諏訪に動きがあったぜ」と当初、彼女が彼に向けた問いかけへの返答を端的に零した。
「どないに」
「
犬の姿があった。あれは
御津那海で八重垣剣を狙ってたと思ったけどな。
八重垣剣の半身が諏訪に移動したのについてったらしい。案外賢いぜ、あのでかいぬ」
「苑子、諏訪の神璽結界の中には八尺瓊勾玉もいるだろ。
あいつらに
八重と
弥栄が渡るのはちと不味くないか」
白兎――玉兎は主の答えを待つように顔を上げた。
苑子、と呼ばれている娘――彼女の本来の名前は「苑子」ではない。式を使役する以上は通名で過ごすようにと一族に躾けられている。本来の名は親しい相手にしか決して口にせず、娘をその名で呼ぶ者は少ない――は不機嫌そうな表情を浮かべてから頷いた。
「勿論や……伊佐々派にも、熾天使一派にも我らが守護すべきは渡す訳にはいかん。
棟耶は祓い屋、陰陽師の血筋や。けれど父様は神祇院にお勤めなさってはる。
現棟耶の当主がそのお勤めを支援せずして何とするか。任せ、ここには
真経津鏡がある。
烏兎にも玉兎にも悪いけれど、手伝ってくれるなら、龍脈を辿れば岐阜くんだり位ならば覗き見することも出来る筈や。
そこに……そこに
東の都のもんが来るのを待てば、タカラ……いや、真経津鏡が
居る事を軽く伝えるくらいは――」
「伝えても
ここにくるとは限らないぜ、苑子」
「そうだよ。
牛鬼だって生きてるかも分からない。棟耶が神祇院の犬になり下がる必要もない」
兎たちが口々にそう言うが、苑子は首を振った。
――きっと、此処へと来てくれる。不運にも
強大な力がこの地には舞い降りてしまっているが、その分、
あの大きな犬とやらが東で得た情報を此方にまで運んでくる事で人類の生存圏が東にある事を娘は知っていた。
そこに父親が、かつては牛鬼と呼ばれた妖異である棟耶 匠(
r2n000068)が居る可能性だってある。
あの犬らは存在自体が邪魔ではあるが、偵察に適した式を利用すれば難なく情報を手に入れる事は出来ていた。
「苑子、どうする?」
「……諏訪で勾玉……弥栄と、剣のかたわれである八重を護りきって貰わなあかん。
弥栄を護りきりさえすれば、彼女はきっと八重の半身が取り残されているらしい御津那海を護る様にと願い出る筈。
……そないしたら、彼らはうんと近くなる。岐阜から……ここ……それでも遠いか、いや……弥栄の
容れ物に何らかの力を流し込めば、彼らならば、転移の術式位……」
「苑子?」
苑子はハッとしてから首を振った。錫杖を握り直し、するりと引き抜く。
仕込み刀がその刀身を曝け出し、周囲に見えた白き翼の者たちを真向から見据えていた。
「どうやら、盗み聞きがバレてしもうたみたいよ。
……ふふ、えらいしょーもないことに怒らはるんねえ。難儀なひとら。
ふたりとも手伝ってくれはる? 寄り合いやら
鬼の集落やらには何人も近づけさせん。
さ、しばらくは遊んで貰いましょ。東の人らも、問題ごとを放置しておれんでしょから、しばらくは時間も掛からはるやろうからねぇ」
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