それに脅えるのは人類の根源的な畏怖故であるのかもしれない。
全ての生命は海から生まれたという。
故に幼子が母に脅えるように、黒く染まる夜のような海に人が脅えるのも……あるいは、また。
「……やはり来たんですね、
通賢黙娘」
陰の気で黒く染まる海に立つ通賢黙娘(
r2p003175)へ、真月里(
r2n000190)がそう声をかける。
その声に含まれる感情は諦めと……怒り、だろうか?
いや、失望に期待……言葉に出来ぬ様々な感情も込められている。
自分の感情を自分で言語化できない、けれど事実のみを組み立て
理解したが故の真っ直ぐな瞳。
青く美しい海を湛えたかのようなその瞳は、通賢黙娘を確かに責めていた。
「ええ、来たわ真月里。貴方に会うために」
横須賀付近の海上。
警戒網にはギリギリ入るか入らないかといったこの場所は、しかし当然多くの『目』が見つめている。
言ってみればこの会談は真月里の強い希望による前哨戦であり、最後の説得の機会なのだ。
――目敏い者であれば、すでに気付いているだろう。
通賢黙娘と真月里を中心に、闇と光がせめぎ合うように海を染め返していることに。
塗り潰す黒と輝ける青。
人に対するスタンスを示すかのような境界線は、やや真月里が不利。
しかしそれが通賢黙娘のあからさまな手加減によるものであることは真月里自身がよく知っていた。
以前の真月里であれば、それが通賢黙娘の中に隠れた本当の優しさであると信じられただろう。
けれど、今は。
「その口調も、本当の貴方ではないんですよね? ずっとずっと、あたしに合わせてくれていたんですよね?」
「……そうですね。貴方が気のおけない友達を欲しがっているように見えましたから。それに合わせてあげようと思っていました。それで、他に聞きたいことは?」
「貴方が人間のことを教えてくれました。人間の暮らしも、考え方も、流行も……全部。貴方は人間にも一杯信仰されてて、凄くて、目標で……あたしの友だちで! ねえ、全部嘘だったんですか?」
「
相手に合わせることを偽りと呼ぶのであれば」
笑顔だ。
通賢黙娘は、これ以上ないほどの笑顔を浮かべている。
それは間違いなく真月里の知るいつも通りの彼女の表情で、それなのに何の感情もそこには見当たらない。
空虚。まるで綺麗な銅像の表情を眺めているかのような。
「ねえ、真月里。私も貴方に聞きたいことがあったんです。答えてくれますか?」
「……何を、聞くというんですか?」
「人類のことです。私、どうしても理解できないことがありまして」
言いながら、通賢黙娘は軽く首を傾げてみせる。
ちょっとした疑問を口にするような、そんな仕草はしかし……出てくる言葉とは真逆だ。
「どうしてそうまでして人類に尽くすんですか?
クラーケンの時だって、人類を守って戦って……それで何か得るものがありましたか?
肉体を失うほどの価値があったと、そう信じるほどのものが?」
「価値がどうとかじゃありません。友達の為に身体を張るのは普通のことです」
「理想論ですね。その友達とかいう理想論をどれほどの人類が実践できているものか。
いえ、嘲る者すらいるのが人類という生き物です。
自分こそが正しいと嘯き、他をこき下ろすのが人類という生き物の本能なんですから。
その上、たかが100年程度も生きられない頃から万物の霊長を嘯く程度の泡沫。
そんなものを友達?
貴方のそれは飼っている虫に感情移入するような勘違いです」
「理解し合えないし、共に歩めないから意味がないと?」
「それ以前の問題です。理解する意味がありません。人類とは、この世界に何の益ももたらさない害虫です」
――ああ、なるほど、と。真月里は通賢黙娘のスタンスを理解する。
彼女はつまり、あまりにも高い視点から世界を見ているのだ。
当然だろう、彼女は自分よりも遥かに上の存在だ。零落していようとそれは変わらない。
人間というものに何の価値も見出していないし、砂場の城同様に気に入らなければ壊す程度のものでしかない。
で、あるならば。伝えなければいけない。
彼女が自分を友達だとは思っていなかったとしても。おままごとの人形だったとしても。
一度は誰より友達だと信じたのだから。
「だから陰の気を使ったんですね。
人の陽の力を信じていなかったから
それこそが人の真実だと断定していたから」
「だとしたら、どうだというんです?」
「あたしが貴方に伝えます……人の力を! 限りない陽の力を!」
通賢黙娘は笑う。嗤うのではなく、笑う。
なんとも可愛らしい抵抗だと思うから。
そんなもので自分に何を伝えようというのか。
けれど、愚かでもその純粋さには見るものがあるから。
好きにやらせてあげて、その後は持って帰ればいいだろう。
あとはクラーケンが好き放題に暴れるだろうから。
「いいですよ。見せて御覧なさい、真月里。貴方の信じる、その陽の力とかいうものを」
だから、通賢黙娘は両手を広げ真月里を促して。
真月里は胸元に手を当て、すうっと息を吸い込む。
瞬間、通賢黙娘は気付く。
真月里が光の領域の力を持ち帰ったのは知っていた。
その総量は当然計算出来ていた。そのはずだった。
だが、これは。
(本来持っているはずの量より格段に上……これは一体……!?)
「貴方は知らないでしょう、光の領域に来た皆さんが集めてくれた陽の気のことを。暴走しかけた精霊を鎮め、あたしの力をも高め……それでも留まらぬ、この力……!」
歌う。持ち帰った光の領域の、陽の気の存分に籠った歌を。
神だけではない。精霊だけでもない。人間の光を込めた、大いなる歌を。
記憶の渦に囚われて
過ぎた日を夢に見る
綺麗な 後悔だけが
歴史になった
水平線に 朽ちた桟橋
君を待ち続けた
石に刻まれた 名前を呼ぶ
52Hzの唄
不意に灯る 帆柱の上
期待するなって あたしがあたしを止めるけど
運命が脈打つんだ
この手をとって
海の底から 引き上げてよ
今度こそ 力になってみせるから
水面が 暗く染まっても
前だけ見て
君に話したかったこと
今宵 伝承になれ
生き残った 意味を知ったんだ
海に 還れなくても
果てない 救いの先を
真っすぐな月明かりで 導こう
「自分自身を増幅器に……!? 真月里! こんなことをしたら、貴方自身が……!」
透き通るような
歌声と共に光が広がっていく。
強い光。闇を全て消し去るような、何処までも強さをもって。
優しい光。闇をも包み込むような、調和の優しさを広げて。
嵐の分厚い雲をも切り裂いて、眩い光が降り注ぐ。
精霊が踊る。精霊が歌う。
その身に秘めた陽の力を、輝きに変えて。
星が生まれる。
星座が描かれる。
月を中心に、宇宙の輝きが世界を塗り替える。
嗚呼。闇を恐れる心は、もう此処には存在しない。
誰もが憧れる闇と光の調和が此処にあるのだから。
世界の全てに輝きを灯しながら真月里は歌う。
「消えはしませんよ。此処には、人間の紡いだ優しさがあるから。それがあたしを守ってくれます」
真月里と精霊だけなら、確かにこれ程の力の放出には耐えられなかっただろう。
けれど、人類が光の領域にやって来たから。
幾度となく其処で、陽の気を集め広げていったから。
だからこれは……通賢黙娘流に言うのであれば「人間の価値」そのものだ。
輝く光が、歌が。通賢黙娘の中の力をも削り取っていく。
計算外。人類をあまりにも軽く見積もっていたが故の……そして真月里の覚悟を見誤ったが故の。
「そうですか……ならばもういいです。全てを終わらせるまで眠っているとよいでしょう」
黒い海から飛び出したシーゴーントたちが真月里へと迫る。
湧き上がる波のような群れは真月里を飲み込もうとして。
「させないのだわ! 皆、真月里さんを守るわよ!」
「皆さん……!」
しかしそこに飛びだした一隻のアルゴーがあった。
「速度重視の大改造、ヨシ! さあ、やっちゃうのだわ!」
アルゴーを操縦する『HELLO WORLD』猪市 鍵子(
r2p000636)の声が響いて。
飛び出したのは2つの影だ。
「また会ったな、通賢黙娘」
『閃剣』祠堂 一葉(
r2p000216)の
暁天が煌き、シーゴーントを切り裂いて。
「しつこい人は嫌われますよ。貴方のように相手の心を考慮しないというのであれば尚更です」
『通賢黙娘に嫌われている』ロック(
r2p000444)が至近距離から通賢黙娘へと手刀の一撃を叩き込んだ。
(前よりも効いている……やはりこの歌の影響……!)
「回収!」
上手くアルゴーを操船し一葉たちを回収した鍵子たちの視線の、その先で。
「そこまで人間が好きなのですね、真月里。
自分が消えるかもしれない賭けに出るほどに。
私を……これほどまでに拒否するほどに」
「あたしは貴方こそを一番の友だちだと思ってたんです」
答えはない。
通賢黙娘の姿は闇の向こうへと消えて。真月里は、静かに息を吐く。
振り向けば鍵子の、一葉の、ロックの……大切な人たちの姿がそこにある。
手を振る彼等に、真月里はコクリと頷き前を向く。
輝きはまだ此処にある。いや、ここから広げていく。
そう出来るのは、ひとりぼっちではないと分かるから。
――この命など、燃やし尽くしてもいいと思っていた。
守れなかったものがあるから。贖罪のような気持ちもそこにはあった。
けれど、隣に居てくれる人たちがこんなに増えたから。
彼らを置いていくことなんて、もう出来そうにはないから。
この歌はもう、別れの歌ではないのだから……!
「だからこの
52Hzの唄よ――
孤独じゃないあたしの声よ――
どこまでも響いて
この海のその先まで――
皆と明日を生きていくために!」
それは独りだったかみさまが生まれて初めて抱いた
願い。
52Hzの唄は、絶望を塗り替えるべく響き渡るのだ。
ロストアーカディア二周年!
