――あの日、もっと上手くやればこんなことにならなかったのだろうか?
緑深い野を駆けずり回っていた子供は、その窮屈さに辟易していた。
元々、この地方では子供だって貴重な働き手であった。その上で、彼の生家が商人であったこともあり幼少期から厳しく躾けられていたらしい。
少年イーリスは快活で溌溂な少年だった。そんな窮屈な毎日に不満を漏らすような子供らしい子供だっただろう。
――きっと、出会わない方が良かった。オレが彼の人生を変えたという自覚がある。
ある時、彼は母に連れられて森の奥深くへとやってきた。
商人として取引のある薬師と顔合わせをする目的だったのだろう。その薬師は森の奥深くに籠り、怪しげな薬草ばかりを調合している。
誰が言ったのか、森の魔法使い。そう呼ばれた薬師こそが少年にとっての光だった。退屈な毎日を照らす、輝かしい星だったのだ。
「ノヴェル、ノヴェル」
何時だってイーリスは青年の背を追いかけた。遠い地で生まれたと言うノヴェル・アルベルトゥスはイーリスにとって退屈しのぎに丁度良かった。
「遊ぼうよ、ノヴェル。村の人らが言ってたけど魔法使いなの?」
「さあ、どうでしょう。森で薬を作っているとその様に言われるのかもしれませんね」
揶揄うように笑う青年の事がイーリスは大好きだった。
次第に、自分は彼のようになりたいと願うようになっただろう。退屈な毎日を変えてくれたその人の事ばかりを考えた。
森に薬草を摘みに行くと言った彼にこっそり付いて行くのだってゲーム気分だったのだ。きっと、気が付けばノヴェルはさぞ驚くだろう、と。
イーリスは森の恐ろしさを知らなかった。
森に住まう獣は腹を空かせていた。追いかければ、餌は逃げていく。
そうして、まんまと獣は無知な少年と言う餌を手に入れたのだ。
獣に襲われ食い殺されると感じた。肉に突き刺さった牙の恐ろしさに足をばたつかせた。
薄っすらとした青い炎が周囲を取り囲んだことまでは覚えている。それから、暖かい気配――彼と同じ香りの、不思議な力。
次にイーリスが目覚めた時にノヴェルはもうどこにもいなかった。彼が
気味の悪い魔術を使って助けてくれたと母が教えてくれた。
それでも、もう近付いてはならない。もう、何処にもいない人だから忘れなさい。
そんなことをいう母を少年は捨てた。元から村に愛着も未練など、なかったのかもしれない。
命の恩人を追い出した事に納得できなかった。何よりも、自分が彼の平穏を壊したという負い目までもあった。
追いかけて、彼と出会った。
「ノエ」
――ノエと名乗った、其の人に。ノヴェル・アルヴェルトゥスにもう一度出会えた。
イーリスは彼の相棒になるべく努力をした、努力し、努力し、血を吐いて、そしてその感情の全てを喪ったのだった。
こんな話、もう誰も覚えちゃいないだろう。イーリロスにとって、それは全てが失われた記憶だったのだから。
ただ、それでも――
彼からすると、出会ってしまったことが間違いだったのかもしれない。
イーリスの人生を変えてしまったのは、何時だって簡単な事だったのに。
青年はその後悔を胸に抱きながら、多摩と呼ばれた行き止まりの地に生きている。
「東京に来る予定は? 手伝わないのかい? 願いが叶うよ」
「いらない。結構。ノエ先生はいらないって言うからね」
「ふふふ、何時だってノエ先生、ノエ先生。欠落していった心でも、それだけは消せなかったかな?」
何時かの日、
サーカスの青年が楽し気に笑って居たことをイーリロスは思い出した。
ただ、それだけだった。
それでも彼が自身へと誘いをかけた理由がそこにあった事に気づいて酷く胸が痛んだ。
どうやら、
ノエ先生は新たな友人たちを手に入れたらしい。
すると、自分はもう、必要はない存在となったのだろう。それが、酷く空しい――
「……ねえ、ポルカ・ポルカ。それに、皆。
彼らの心も奪ってしまおう。サーカスは、東京のゲイムに傀儡になった人間が欲しいらしいし……僕も、誰にもノエ先生は渡したくない。
我儘だね、それでも、赦してほしい――彼らからもっと心を奪おう。それだけだよ……そう、それだけなんだ」
今日も心を食わせた。
今は、何も残っていない。
それから、彼らのものを奪っていけばいい。
誰かに利用されることにも慣れて来た。
「そうだけだよ、本当だ。こんな場所、どうでもいい」
イーリロス、と誰かが呼んだ。
「それでも、せめて、」
何も残らない
空白になる前に。せめて、最後に残った願いだけは叶えたかったのかもしれない。
ただ――僕は、貴方に何か伝えたかった気がしていた。
命空骸戯 - 旧展示場要塞システム/ゲイム・ルール
