PM2:58


 盤上で白と黒が踊っている。
「チェック・メイトだ」
 見る者全てを小馬鹿にしたかのような薄ら笑いを浮かべた部屋の主――シュペル・M・ウィリー(r2n000005)は目の前の哀れな対戦相手ぎせいしゃを強烈に軽侮している。尤も、そんな些か難のあるコミュニケーション、或いは表情、仕草について彼は悪びれる筈も無い。にどっぷりと浸かった彼の長い半生はそれが問題だという事を忘れさせてしまっているから。
「……あのさあ、シュペルchang」
 引き攣った顔で溜息を吐いたラプラス・ダミーフェイク(r2n000004)は慣れたもので、彼のそんな様には頓着していない。
 しかしそんな彼は――彼だからこそ。何度繰り返してもどうしても言ってやりたい事があった。
「俺様は所謂スーパーコンピュータなんだぜ? 並列処理も、数学的処理も強靭! 無敵! つまりは最強!
 どうなってんのYO! スパコンをチェスで完封すんのやめて貰える!?」
「フン。コンピュータ如きが小生に勝てるか。
 凡百め、無敵だの最強だの過ぎた自負をする前に処理回路の一つでも新設する事だな?
 尤も小生の計算では貴様が小生と勝負になるのにはざっと――」
「――いや、いいから。気の遠くなる数字言われそうな気がしたから。いいからNE!」
 宙空の上のチェス盤をラプラスがわざとらしく引っ繰り返すとそれ等は最初からそこに無かったかのように0と1の虚空の海に消え去った。
「あのさあ、シュペルchang」
「何だ」
「マシロ市の――涼介changの作戦っつーやつだけどね。
 実際の所、君はどー思ってるワケ?」
 ラプラスはマシロ市のインフラ、生産施設、即ち都市全域の機能を司る心臓であり、シュペルはそのラプラスの差配するマシロ市のシステム全てを作り上げた男である。
 ラプラスは「面白い話があったから」、シュペルは「必要な労働力やコストの提供。研究への全面的な奉仕」を条件にマシロ市建造計画に参画し今に到っている。
 言ってしまえば二人は涼介・マクスウェル(r2n000002)の部下ではなく、唯の協力者に過ぎない。
 或る意味で究極的に言えば涼介がそうであるのと同様に、二人はマシロ市の中核でありながらもあくまでマシロ市の異分子に違いなかった。
「愚問だな」
 
 凡そ人間の感性からは程遠く、契約によってこの場にある二人は横須賀基地奪還作戦の中核を理解していた。

 考えてもみたまえよ。圧倒的に有利な天使側が餌をぶら下げられたとして、何故指揮官を前に出す必要がある?
 剣の権能は広域に自軍を強化するものだ。これを駆使して物量で磨り潰せば人類側の勝率なぞ0.001258%程度しか想定出来ん」
「……ラファエラchangって結構優秀な子じゃあなかったっけ?」
「小生の言う優秀とは完璧を指している。完璧に合理的で、完全に優秀ならばそもそもこの状況は付け入る隙なぞない。
 貴様は先程の盤面で思い知ったばかりではないのかね? あの無惨な結果こそ、小生の仮定が真に成立した時の人類側の結論そのものだ」
 大上段でモノを言い、自身をして完璧で完全と言い切ってみせるシュペルは呆れる程度には『そういう人』であった。
 つまり、付き合いの長いラプラスはそれにいちいち付き合う事は無い。
「じゃあ何? シュペルchangは涼介changが失敗すると思ってンの?
 ……いやあ、やり過ぎた愚者フールの真似事はやめとくか。
 chang
「ラファエラ・スパーダが完璧ではないからな。別に凡百の能力の話はしていないが」
 ラプラスの言葉にあっさりとシュペルは頷いた。
「ポンコツ機械、能力発揮の本質とは何だと思う?」
「何その難問。質問の意味すら分かんねーし!」
「答えは適切な判断だ。その点を間違っていないのであれば多少の無能は結果の方で塗固出来る」
(意味わかんねー!!!)
 ラプラスは取り敢えず諦めての長広舌を聞く事にする。
「適切な判断は適切な能力から生み出される。が、この点において外的要因を排除する事は困難だ。
 外的要因とは自身の置かれた状況、総合的に言う環境を指す。
 そしてラファエラ・スパーダを先に真に優秀ではない、と言ったのは概ねその部分を指している。
 使
「つまり、何だ。ラファエラchangは外的要因で問題を生じる可能性が高いって事かい?」
「単純化すればそうなる。まあ、貴様に正しい理解等求めないからそれで十分だが。
 それで肝心な環境を構築する外的要因とは何だと思うね?」
「……戦況とか?」
「1/2の回答だな。
 だが、些か乱暴だな。もう少し解像度を上げたまえ。
 つまり、戦況を形作るには二つの要素がある。一つは対戦相手、もう一つは自陣の状態だ」
 シュペルはウェーブ掛かった青い髪を指先でくるくると弄っている。
 傲慢極まりない割には雄弁である。語りは人が悪い割には親切な講義のようですらあった。
 揶揄する目的も含めて呼ばわりされるのは伊達ではない。
「まずマシロ市、或いは人類戦力はラファエラにとって比較的弱い対戦相手だ。
 だが、マクスウェルの悪魔は決してその範疇にはない。
 
 ……小生は自身で検証していない事実に対して責任を負う気は無いがね。
 仮にもう一つの構成要素、つまりあの男が言う天使陣営の問題が本当だとするならば、ラファエラは恐らく適切な判断を誤るだろう。
 それは即ち、不適切な環境が適切な能力を阻害し、また不適切な判断を誘引するという状況に相違ない。
 分かるか? 分からないだろうが、要約すればラファエラは結果的に高確率で致命的な轍を踏む」
「あー、はいはいー。すごいNE! シュペルchangは!」
 ラプラスは面倒臭そうにそう言った。
 心の底から話を振らなければ良かった、と後悔している。
「んじゃあ、涼介changの魔法とやらでやっぱりラファエラchangは撃破出来る?
 マシロ市は大成功を収めて人類賛歌ってワケだ、万歳!!!」
 とは言え乗りかかった船だ。もう少しだけは付き合うかと白けながらも眠そうな三白眼を彼に向けている。
 だが、ラプラスの前向きな妥協は再びたった一言で打ち砕かれた。
「阿呆か」
「……………絶対シュペルchang友達いない人でしょうNE!」
「そも不要だ。小生が言ったのはあくまでマクスウェルの計画が成立する可能性に過ぎん。
 全ての情報を鑑みた時、そうなる蓋然性の高さが認められるという数理的結論に他ならない。
 それが勝利に繋がるかはK.Y.R.I.E.の連中の職分であって、マクスウェルの計画そのものとの因果関係は無い。
 ……良く考えたまえ、ポンコツ機械。
 マシロ市の勝利条件がラファエラの撃破だとして、マクスウェルはそれを物理的に可能とするまでの担保しかしていない。
 使
 契約上、事情も理由も他ならぬ貴様が一番良く知っているだろう?」
「あー、まぁー、ねえ?」
 頬を掻いたラプラスは結局は最大の問題を抱える事になるであろうK.Y.R.I.E.の友人――ラプラスは勝手にそう思っている――の顔を思い浮かべた。
 直接話した事は無いが、熟成中といった所だ。大変、気に入っている。彼等は退屈屋な彼の貴重な観察対象だから。
「確かに魔法以上には期待出来ないねえ。
 ……という事は、だ。皆は最強の状態になる力天使changをどうにかするのか。
 大変だNE。でも、あの子泣かしたらいい顔しそうだから案外結構役得なのかな!?」
 この時ばかりは嗜虐的な顔をして――笑うラプラス。
「でもシュペルchangって天上天下唯我独尊、ぜってー人を認めないタイプかと思ってたけどね。
 随分、涼介changを買うからびっくりだYO!
 だってその仮定、ラファエラchangは涼介changに絶対に負ける、ミスをさせられるって前提じゃん?
 流石にそれって結構な勘定だと思うけど?」
 ラプラスの問いにシュペルは小さく鼻を鳴らした。
「貴様は今まで小生にチェスで勝てた事があるかね?
 答えなくてもいいが、スコアは通算0勝334敗だ。マクスウェルはまあ――」
 彼方の空が青く晴れた事を千里の目で知覚したシュペルの表情は今日一番、苦虫を嚙み潰したものになっていた。
「――一度だけ、小生を負かした事がある」