葉山島・妙
「はああああああああああ――ッ!」
鞘滑りの澄んだ音が冬の空気を切り裂き、疾風の如き斬撃が真一文字に世界を割った。
振り抜かれた妖刀の切っ先がくるりと踵を返す。
カチン、と。瞬きの間に翻った刃が元居た場所に収まる硬質の音は紫乃宮 たては(r2n000023)のどうという事も無い仕事が既に終わった事を示していた。
「……ふぅ」
白い息を弾ませ、たてはは周囲を見回した。
葉山島の戦いは今日も問題なく片付いていた。
「姐さん、こっちは済んでます」
「羽付き共も凝りませんねェ。一体何体死ねば理解るんだか」
口々に声を上げた一菱の門下生には然したる被害も無く。その戦闘意識は流石であり、こんな終わった世界でこれまで生き抜いて来れたのも納得出来る程度には規格外の有様である。
「それにしても流石は若の婚約者殿」
「技の冴えもたまらんのう」
「何でも京都から一人で参られたとか。いやはや、若が羨ましい!」
戦いに高ぶったのか益荒男共は意気軒昂である。
(汗くっさ……たまらんわ)
たてははその涼やかな美貌に幾分かの影を落として内心で深く溜息を吐いていた。
如何な一菱門下が精鋭揃いとは言え、常識で考えれば長きに渡り葉山島を維持するのは不可能だっただろう。一帯のエリアの状況を見れば分かる通り、周囲は天使勢力に呑み込まれている格好だ。自給自足と現地調達という名の略奪、天使等への襲撃で何とかしてきた門下生達も異常だが、彼等にそれを達成させるだけの指導力があった事は分かっていた。
(……旦那はん、何処へ行ったんやろ。それに、桜鶴はんも)
たてはの脳裏を過ぎったのは婚約者である一菱 梅泉(r2n000069)と、自身の義父になる筈だった男――一菱 桜鶴(r2n000070)の顔だった。
流民であるたてはがこの時代に合流したのは凡そ九カ月前の出来事である。以来、遥か京都、紫乃宮邸で状況を再開したたてはは、婚約者の待つ筈のこの一菱邸まで強行軍を果たしてきた。
彼女が何とかこの葉山島まで辿り着いたのはつい先だっての話であるが、門下生曰く梅泉は今この場に居ないらしい。また、たてはと同じ流民である桜鶴も合流先はこの邸宅ではなかったという。
つまる所、婚約者の為にこの終末世界を突っ切って来たたてはの乙女心は手酷い裏切りに遭ったという訳だ。
「しかし、助かったのも事実ですな。
如何せん、若と小雪殿がふらりと姿を消して以降は葉山島の防衛も中々に骨が折れて」
「姐さんが来て下さって本当に助かってますよ」
「……ま、夫が居ない家を守るのも妻の役目やからね」
たてはの言葉を当の梅泉が聞いていたらさぞや苦い顔をした事だろう。
自称・妻に借りらしきものを作るのはそれはそれは後が怖い事実である。
閑話休題。
「ここんとこ、羽付き共の動きがおかしいわ。
うちが来てからでも、こないに続く事何て無かったやろ」
「それはまあ……」
襲撃の頻度は高くなり、ここから逃れろとでも言わんばかりであった。
一菱一派の情報に拠れば鎌倉辺りには人のコミュニティが存在しているらしい。そこと合流するのも一つのやり方であるのかも知れなかったが――
「気に入らんわ」
吐き捨てるように言ったたてははまるでそう仕向けられているような状況に口をへの字にした。
最善手と思しき所に陥穽あり。
旦那の帰りを待つ意味も極めて大きいが、それ以前に生粋のお嬢様であり、生粋の裏社会の住人である大紫は、自身の魔的に冴える直感を信仰していた。
それは理由の説明出来ない女の勘に過ぎなかったが、彼女はそちらを優先している。
「……どっちみち」
「……………?」
「ぎょうさん、嫌な予感はするんやけどね」
繰り返すが、彼女はここを優先していた。
どちらにせよ嵐が吹くのなら、せめてこの一菱邸に留まっていたかったから。