いざ鎌倉


 氷取沢橋頭堡より山越え、荒れた野を越えて。
 何れだけ立ち行かぬ大地であろうとも古来、車などない時代は己が脚が唯一頼れるものであった。能力者達は漸くのことで鎌倉市へと到達し――不可解な事象を目にした。
 天高く飛ぶ鳶の雄大な姿は今や廃墟が多くもなった緑化地帯ではよく見るものだ。いや、ひょっとすればそれは鳶ではないのかもしれない。姿の類似する変異体サヴェージである可能性も存在して居る。
 しかしながら、今は鳥の種類を論じている暇ではないのだ。重要であるのはその鳥が薄膜のような何かに体を強かに打ち付けて、弾けるように身を消滅させたことだった。
 先遣隊はその事象を不可解な神秘術式結界による外的遮断であろうと断定した。
 問題となるのは能力者達人間がその結界に指先一つ、いや、髪先が触れただけでも拒絶され先程の鳥のように弾けるようにして存在が吹き飛ばされる可能性であっただろう。

「無論、ございますとも。触れてはなりませぬ」

 鎌倉市外へ、結界が地に接した境界線へ。能力者達を――来訪者達を待ち受けて居た男はあまりに晴れやかな声音でそう言った。
 唐茶の髪に、黄櫨染の瞳を有する男は「よくぞいらっしゃいました!」とさも当然のように能力者達を歓待する言葉を述べたのだ。
 身に纏う濃紫に揺らぐ翠玉が美しい。翼をも有するその男は鎌倉を治めているという。
「我が名は佐竹さたけ 黄蓮おうれんと申します。この鎌倉の、いいえ、仙泰宮せんだいぐうの主を担っております」
 嘗て、鶴岡八幡宮とその名を呼ばれた重要神秘拠点はその名を改め、仙泰宮と呼ばれているらしい。
 大破局より鎌倉を護り切り、守護結界を維持したまま、この地を治めた仙泰せんだいたる男に肖ったとのことではあるが――
「先代は今や老齢……ご挨拶に窺えず申し訳ございません」
 黄蓮と名乗った男に仙泰の如き特異な能力は存在して居なかったらしい。世襲として彼が神主を引き継いだのだと何処か照れを滲ませて頬を掻く。
「さて、皆々様。横須賀のことは聞き及んでおります。
 いやはや、まさかラファエラ・スパーダを打ち破るとは思っても見ませんでしたとも。
 人類の底力、此処に見たり。鎌倉に引き籠もり28年。老いさらばえた先代とまだ神力の足りぬ私では為し得ぬ事。
 そもそも、我らの存命は結界ありきのこと――鎌倉結界を出てしまえば我らは蜂の巣となる在り様でしょう。歴戦の勇士たる皆様方による救援、我らにとって時そのものでございます!」
 興奮を滲ませた黄蓮の一言に、彼と共に歓待していた巫女や神職が口々に褒め囃す。
 ――実に、実に居心地の悪い在り様だ。
 彼等は能力者達を歓迎しているというのに
 薄膜の壁は眼前に広がっており――能力者達の接触を阻んでいるかのようだ。
「ええ、お待ちしていたのです。今すぐにでも皆様方を我らが居所へと案内し仙泰宮にて宴の席を設けたい。
 しかしながら……それは叶いません。我らが結界は鎌倉に坐した神々の慈愛その者。
 先代は盟約の元、我らを守護する結界を維持しております」
 ――しかし、老齢なのだろう。
 誰ぞかの言葉に黄蓮は「跡継ぎは疾うに準備しておりますとも」と微笑んだ。その心中を察させぬ男は憂うように胸に手を当てた。
「跡継ぎもお勤めをしっかりと果たしていらっしゃいます故……。
 しかし幸か不幸か――この結界は強固にて、綻びはございませぬ。綻びが無い故にこそ、皆様を招き入れるためには相応の立場である事を示して貰わねばならぬのです。
 我らが鎌倉の民を害さぬ存在であると結界が認識したならば、皆様は自ずと結界内部へと招き入れられるはずでございます」
 つまり、それは鎌倉にて働きを示さねばならぬと言うことか。
 ざわつく能力者達を眺め遣ってから「ええ、ええ」と黄蓮は頷いた。
「我々は皆様にとって良き隣人でありたい。
 しかしながら、この地を護り続けた我らは容易につ民を信頼することが出来ぬのです。
 何せ、くにには悪意を有する人間も存在しておられるでしょう――?」
 苦しげにそう言った黄蓮に「その通りでございます」「ええ、次期様の仰います通り」「我らは鎌倉を守護せねばなりませんとも」と幾人もの巫女や神職が口々に声を上げる。
 またも。実に、実に居心地の悪い在り様だ。なんぞや心を不安げに撫ぜるような感覚がある――なんにせよ、あまりに相手のペースである事には違いは無い。
「申し訳ございませんが、我らが結界に仇なす者共を祓ってやくださいませぬか。
 先も申し上げた通り、その行いこそが結界に認められし、尊き資格の一端となりましょう。
 それに、なに。横須賀をも攻略した皆様であらば簡単でしょうとも――ええ!」
 ……確かに、何時も通りのであるのは確かだ。
 結界内部に入らねばこの地の情報は得られまい。相手の提案が簡単な殲滅活動であると言うならば――

「よきお答えをお待ちしております」

 ――さて、決断せねばならないか。