智天使ゲラント


 天上。かの如く称される地に只人はいない。
 いや……低俗なる者など、そもそも存在を許されぬと言うべきだろうか。
 荘厳にして神聖たる絶対領域。それこそが天上。
 であれば――はこの場に相応しき資格を有する者であったか。
 アーカディア・ファイヴ。アレクシス・アハスヴェール。
 聖衣を纏う熾天使。天使の最高位たる超越の十一が一つ――

「ゲラント、首尾はどうですか?」
「万事滞りなく。全て御身の望む儘に」

 同時。超越たるアレクシスへと言を紡ぐ男もまた、
 軍服らしき衣に身を包む彼は、偉大なる熾天使を前に最上の礼節を以って崇敬の姿勢を尽くしていた。それはまるで……である。単純な個対個の関係性で語るには余りにも仰々しく、そして同時に荘厳過ぎる。
 ともあれゲラントは、かの第五位の熾天使アレクシス・アハスヴェールの配下が一体だ。つまりは、少し前に地上への顕現を命じられたバルトロと同様の者。但し、軽薄なバルトロと比べれば、その格も態度もまるで別物には違いない。誰に見ても分かる確実かつ強力な違いを言えば、ゲラントは宿
 それはアーカディア・イレヴンの側近と称される位階。神威を纏う次元の天使の証明だ。
 ゲラントこそ、智天使ケルビム
「バルトロに続き、御身の駒を順次降ろします。
 また現地に在る天使の内、使えそうな個体幾体かには目途を立てております
 連中は蜥蜴の尻尾のようなもの。御身に繋がるような話にはなりますまい。
 それと――地上の一角に存在するに対する備えも進めております。こちらにつきまして今少しばかり掛かりそうですが……個人的な見解をお許し頂けるならば当地がといった所でしょうか」
「宜しい。バルトロもそうですが、君達は実に優秀で大変結構だ
 まぁ私が選別した諸君だ。見て分かる程度の愚者など混ざっていないと信じたい所ですがね」
「……お褒めに預かり光栄です」
「冗談ですよ、笑いなさい。
 私は己が配下の名すら忘却の彼方に在るとは違う。
 
 無論、やはり有能な個性は望ましい。そうでないに越したことはありませんがね。
 バルトロにも告げた事です。
 己が成すべき事を正確に理解し、自らの判断と共に実現しうる才覚こそ我が影アハスヴェールに相応しい」
 ゲラントは首を垂れたまま、主の――笑みの色を含んだ言の葉に薄く笑った。
 。  彼もまたバルトロと同様に主の望みを叶えるべく動いている。
 バルトロが最前線に出でる役割であれば、彼はとしてのものになるが――
 智天使たるゲラントはアレクシスが有する天使の中でも文字通りの最高戦力だ。何事かを成すにおいて彼が動かぬ理由は、のだが。どこかの誰かマリアテレサが熾天使、並びに上位天使の顕現を禁じた故に、流石のアレクシスとて堂々とゲラントを動かす事は叶わぬ。
「さて、しかし。至極当然の事ながら、
 私が更に何を欲しているかは……分かりますね?」
「無論です。エデンにおける
 砂粒一片の御懸念も御身の御心には触れさせません。勿論口煩い女の余計な詮索も」
 「結構」と告げる主の機嫌の色にゲラントは満足した。
 アレクシスはわざと言葉を濁している。普段であれば勿体ぶった言い回しはしても、もう少し直接的な命令を下そうものだが……ゲラントは悟っている。此処は我々のホームではない。様は実に主人らしい。
 多少程度の戯言で済まぬ領域の『目的』がある。
 故にゲラントも自らの思考リソースを全力で投じ。
 主の為にならんとする道を突き進むのみだ。
 かの熾天使の計画。故なる望み。何が必要で、何をすべきか。
 かの熾天使が欲する結果はなにか。その為に何が『煩わしい』モノなのか。
 悟り先回りせんとする。偉大なる主の為に――あぁ。
 ――最早
「しかし……第一の天に属する力天使、ラファエラ・スパーダが敗れたと聞きました。
 力天使を破る勢力が地上には在るという事。
 主天使以上を動かす訳にはいかぬ理は解しますが、しかし……」
「些事でしょう?」
「はっ?」
「力天使は無敗の存在などではない。
 君も分かっているはずです。人に落とされる? あぁだからなんだと。
 その程度を果たして智天使きみは摩訶不思議な事象と評するべきでしょうか?
 地上にはチェスというゲームがあるらしい。
 人類ポーン天使ナイトやビショップを打ち破る事は珍しい話ではありませんよ」
「……はい」
「我々が最も重んずるべき点は、?」
「――無論、承知しております」
 アレクシスの声色は穏やかだ。その言の葉に、人類を侮蔑するような感情の色は混ざっていない。
 彼はのだ。
 人類など――盤上の駒に過ぎぬと。
 アレクシスにとって人類は、対等な立場プレイヤーなどでは決してない。己が指先一つでどうとでもなる存在に心の旋律が揺さぶられる事などあろうか。アレクシスの思考の大部分は斯様な些事ではなく、
 
「……全ては、御身の為に」
 ゲラントもを理解し――あえてそれ以上の言を挟む事はない。
 それこそが最良なれば。己もまた、忠実なる駒の一人として在ろう。
「では行きなさい。後の仔細は任せます」
 命を受けゲラントは次なる準備を行わんと踵を返――

「ゲラント」

 ――そうとした、その時。
「はっ」
「君とはそれなりに長い付き合いです。ええ実にです」
「……」
「私の期待にこれからも応えるように。その果てに君の望む栄光も手に入るでしょう」
「……はっ」
 恭しく一礼した後、ゲラントは再び主の為の奔走の場へと舞い踊る。
 一度だけ深い、深い呼吸をしながら。
 天上。ここは――窮屈だ。

 バルトロの軽薄にして、しかし気軽な魂の色が――少しばかり羨ましい。


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