冥き夜毎に


 石ころをひとつ、ふたつと数える。天蓋に薄らと存在する隙間より差し込む光は刻の流れを教えてくれているかのようだった。
「――今日は、隠れてなくてええよ。六華」
 のろのろと顔を上げた古月 せをりは蒼白い顔をして後方を振り返る。
 微睡みの淵にあったせをりの呼び掛けに「今日の体調は?」と問うたのは紫苑の髪を揺らがせた巫女装束の娘であった。
 六華りっかと。せをりは彼女を呼ぶ。数少ない生き残りの血縁者だ。相応に大切な存在には違いあるまい。
「んん……いつもより結界の中がちょいと変化した気がする。
 仙泰あのひとは誰かがこの内部に入ることを許したんやろうか」
「そうね。外の様子を探ろうと思って鼠を放り込んでみたけれど……。
 気のせいじゃなければ、私達にとってとびっきりの幸運のプレゼントかも知れないわ」
「それって――?」
「K.Y.R.I.E.という言葉が聞こえたの。ねえ、せをり。
 私達にとって一番に幸せな事って、これ以外にある? チャンスだっていうなら逃すわけにはいかないわ」
 見る見るうちに目を見開いたせをりが「きり、え」と唇を擦れ合わせてから呟いた。
 2048年に遠征隊として鎌倉へと旅立ち隊が崩壊して鎌倉に命辛々訪れてからマシロ市への帰還は叶っていない。
 せをりは自身を先んじて逃がしてくれた隊員の生死も、現状のマシロ市についても何も知らなかったのだ。
 敢て言えば「帰還の報告は受けていない」と後々に鎌倉に合流した六華から齎されたジョークのような最低な現実だけを知っている事にはなるのだけれど。
「……かづ? ううん、ちゃうか。K.Y.R.I.E.が遂に大規模遠征隊を組んだ……って事やろうか」
「もう少し、探ってみるわ。だから、せをりは無理を――」
 言い掛けてから六華は唇を噤んだ。牢の奥に身を縮めるように姿を隠し、物言わぬ岩のように膝を抱える。
「せをり」
 誰ぞかの声がした。どこか甘ったるい少女のような、それでいて、老婆のような嗄れた声音である。
 名を呼ばれてからせをりは「どうないしたの、こんな場所まで」と首を傾げた。
「調子伺いに来てはいけませぬか」
「……いいえ、いいえ。うちはきちんとを果たしておりますよ。せやから、心配なさらんで」
 薄らとした笑みを浮かべて顔を上げるせをりには「それは僥倖」と笑みを浮かべた。
「して――結界に変化は感じましたな?」
「そやね。大きく変化がひとつ。結界の中に何か大きな流れが入り込んだ気配がしましたわ。
 それだけやない。結界の綻びは少し大きくなってるやもしれへん。
 変異体やら天使やら、そういうのが入り込んで来たら、怖いわあ。どないしよう、なあ――
 少女――せつは「それは恐ろしゅうございますなあ」と唇を三日月の形に変えてわざとらしく笑った。
「御身はしっかりと護られませい。六華がせをり、貴女を護ってくれますかな?」
「勿論よ。古月の家に連なる者として、私は命を賭してでも当主を護るわ」
「……六華」
 渋い表情を浮かべるせをりとは対照的に笑みを浮かべるせつがうんうんと頷いた。
「宮では来訪者どの達の歓待の為に宴席を設けるそうでございます。
 底に囚われた天使共やより入り込む不届き者の対処などにも彼等は快く協力してくれましょう。
 何せ私どもは彼等にとってなのですから。
 10程度の小規模集団と比べれば我々の存在は捨て置けぬものでしょう。良き関係を気付けると良いですな」
 六華は顔を上げてからせつを睨め付けた。せつはその視線に気付き、更に笑みを深くする。
「ああ……おうちゃんはよくお勤めしてはるん?
 ……あんまり無理はさせんとってくださいよ。あの子、責任感が強い良い子やねんから。
 それに、この中は、あの子にとっても辛い場所でしょう? 鎌倉ここにとって決して良いものやない」
「どういう、意味ですかな?」
「――どうもこうも。うちも旧時代ヴェテラン。それなりに鼻は利くんよ」
 せつはにまりと笑ってからそれ以上は何も言うことは無かった。せをりは彼女に帰るように促してからゆっくりと六華の元へと躙り寄っていく。
 今日は立ち上がることも難しいほどに体は重く、調子は頗る優れていなかった。
 それでもそんなことを告げれば彼女は苦しげな顔をするのだから、笑っていなくてはならない。
「なあ、六華……K.Y.R.I.E.の人等に逢うたら何言おうか?」
「そうね。正孝やベァルントは元気かしら。ここなの事も気になるし……かぐら室長とか懐かしいわ。
 ハクは相変わらず生徒会長なの? とか、ふふ。そういう事が当り前に聞けるような時間がとれたら良いわね」
「せやねえ……せやなあ……うん、それやったらええね」
 せをりは小さな欠伸をしてから「眠くなってしまったわ」と瞼を伏せった。
 何処からか水音がする。ぱちん、と水滴が弾けて失せた。その様子を眺めてから六華は「泡沫の夢の様な話ね」と一人ぼやいて。


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