
雷の壁
――貴男を縫い留める極彩色の夜は贅沢者ね。乳白色の朝日はさぞや羨むことでしょうね。
せせら笑った女の柘榴色の瞳を前にすればおのれは何も物言えぬ傀儡になるのだ。
「カゲオミは導師にとてなれましょう。信じておりますわ、深く、深く。我らが祈りが光とならんことを」
「ヒルダ」
彼女は一層美しく微笑んでからおのれの手をそっと包み込むのだ。
「どうか、終き鐘の音が貴男へ届きますように――」
劈き轟く神鳴りに苛立ちを滲ませる大地の揺らぎを感じながら男は嘗ての情景を物思う。
彼女の祈りを受けてからそれから暫くの時が経った。
黒衣様と呼ばれる事もある。それはただの風体の事であり、男にはカゲオミという名があった。
「おい、居るんだろ。分ってるからな。姿を見せろよ、バカゲオミ」
「子供染みたニックネームの付け方で恥ずかしくはならないのか、ロサ・ガリカ」
「うるせぇな、物陰に姿隠してにやにや笑ってるくせによ……。それに、勿体ぶってそんな名前で呼ぶな、クズ」
眉を吊り上げた女は苛立ちながらもその男を捜していた。
桃色の髪を揺らし、勢い良く瓦礫を蹴った。爪先がぶつかり瓦礫ががらりと音を立てる。
その奥からフードの男が顔を出した事に気付いてから女は鼻先で笑った。
「随分と暇そうだな。グルガルタってのは。それで? 横須賀にまでお散歩に行ったK.Y.R.I.E.が帰ってきたからって尻尾巻いて戻って来たのかよ」
「失礼な。マシロ市は現在は鎌倉への遠征中。彼等は無事に氷取沢をゲットして磯子に横須賀にと開拓活動中って訳だ。
――不愉快だけれど、彼等はどの場面を切り取ったところで大忙しな事には違いが無い。具だくさんミートパイは何時でも食べ頃って訳だ」
「テメェが食われる側だろうがよ。大盤振る舞いで龍だかデカだかにアイテムぶんどられてザコをとっ捕まえられていけしゃあしゃあと」
「いばら」
名を呼ばれてから女は舌を打った。
ロサ・ガリカ――それが今の彼女の呼び名だ。
しかし、それは彼女が天使であるからこそ得た名前である。
女はマシロ市の内情にも詳しい。捻じ曲がった性根に添えられた苛立ちと自己嫌悪をスパイスとして振り掛けた天使。
元々はK.Y.R.I.E.の能力者であった事からマシロ市に対しては恨みと嫉みとそれから少しだけの優しさを持っている。
それが女、妃野原 いばら(r2n000109)、その人だ。
「おまえの言う通り、オレ達は追われて居る。龍の尾を丁寧に踏み続けたら、かの女王様はお怒りだってさ。
わざわざマシロ署まで出っ張ってきた。奴らはオレ達を追って先ずは妃野原の所に来る。何故か分るかな? 嫌われ者の妃野原いばら」
「――テメェの頭を今すぐにかち割って脳味噌の皺の数を数えてやりてぇわ。
それで? アタシのこの雷の領域にアイツらが来るって? バカらしい」
ロサ・ガリカは鼻先で笑った。己が薔薇の姫君、プリンセス・ローズなんて天使達に揶揄われていることを知っている。
幸運にもこの男と出会った。それから終い鐘の音を聞いて自らの領域を手に入れた。
それでもなり損ないはなり損ないだ。己は堕天使でしかなかったのだから。
「中華街の地下で、増えたフレッシュの勧誘を担っていた営業部長は、シマの管理者のババアにバレて逃走中。
滑稽だろ。しつこいクソババアから逃げ切るためにアタシの領域を盾にし、ついでにアタシを売ったんだな」
「どうせ、おまえの事はばれているよ。妃野原。あっちには柘榴がいる」
「柘榴」
女はその名を呼んで舌を打った。
あの女にだけは見られたくはない。この姿も、この在り方も、成功者であるあの女には何も分らないのだから――!
「それじゃ、おまえが良い結果を残せることだけを願っているよ。グルガルタはあらかた『撤退』させて貰ったからね」
「あっ? おい、待て」
ロサ・ガリカは振り返ってから地団駄を踏んだ。
「カゲオミ!」
居ない。何時も奴らはさっさと消えていなくなる。風が吹いた瞬間に飛ばされていく綿毛のタンポポみたいな奴らだとロサ・ガリカは舌を打った。
「なんでテメェらの尻拭いをしなくちゃならないんだ……くそが!」
――それでも、無視は出来ない。あれらは全て信ずる唯一を担っている。
「……K.Y.R.I.E.を殺すぞ」
女の言葉にライドラ達が答えた。天使の羽ばたきの音が聞こえる。
「あいつらは、アタシたちにとって二度とは思い出したくはない忘れたい故郷なんだから」
雷が地を叩く。天をさんざめく雷光の嘶きを聞きながら女は苛立ちながら瓦礫を踏み付けた。