
諸行無常の暮六
鎌倉。かの地に根差す結界の内側は平穏なる静けさに包まれている。
それは悪意ある者の襲来を許さぬ結界があるが故。
これがこの地を護り続けてきたのだ。
これがこの地の人々の命を繋いできたのだ。
鎌倉という存在の根本に値するソレがある限り、この地は盤石。
あぁ実に素晴らしきかな。天使がおらぬ鎌倉のなんと――
「お義父上」
――言を紡ぐは佐竹・黄蓮。
彼は鎌倉、鶴岡八幡宮……否、今は仙泰宮と名を改めた地の次代を担う者。そして彼の眼前におわすは、先述の鎌倉の結界を作り上げた元々の主とされる偉大なる先代、或いは仙泰と呼ばれる人物だ――
彼は既に老境へ至ったが故に一線は退き、今は黄蓮が立場上矢面に立っているらしいが、敬愛すべし先代に黄蓮は恭しい態度を見せようか。『お義父上』と呼び、その声色には抑揚が付く程に。
「件の、マシロの方々の歓待は順調に。
皆の総力をもってして盛大に迎えさせて頂いておりまする。
えぇどうか彼らにはご満足頂けていればよいのですが……
それとは別に彼らには地下の封じられし罪人共の方も、幾件か対応頂けているようで」
「ふむ、ふむ」
「些かに怪訝な様子で鎌倉を見て回っている者もいるようですが、そちらに関しては問題はありますまい。鎌倉の結界がどういうものなのか一見程度では分かりよう筈もありませんからな。ともあれ――間もなくですな。我々の悲願が達せられるのも!」
「うむ、うむ。彼らがいれば必ずやわたくしの目的も成就しようとも、黄蓮や」
そして彼らが話すは――鎌倉の結界内に至りしマシロ市からのレイヴンズの事だ。
結界に認められるだけの働きを行った彼らは内部へと招かれ、鎌倉内の案内や歓待を受けていた。黄蓮のみならず宮に仕える多くの巫女達も皆々が彼らを歓迎しているのだ。その様たるや鎌倉であっても貴重であろう豪勢な食事までが出る程に。
これほど多くの来訪者がこの地へ至る程どれ程振りか――
あぁ。歓待の席で不幸にも天使が襲来せし事もあったようだが些細な事だ。
外からの侵入ではなく内部で生じえてしまう悲劇があったのだろう。或いは宮の地下に閉じ込めていた天使へと変貌してしまったかつての同胞達が出てきたか。見知った命、奪うは酷であるとして手を掛けなかったのが牙を剥くとは実に悲しい限りだ。
いずれにせよ鎌倉の結界に綻びなどありえよう筈がない。
もしも結界に綻びがあり、天使が大々的に侵入できるのであれば人々など生き残っていよう筈もないのだから。
まぁ――K.Y.R.I.E.の面々も流石に訝しむ者は出てこよう。いや、元より鎌倉に注意を払っている者も多い筈であるが。彼らとて幾ら貴重な生存者コロニーたる地を見つけたと言っても、無警戒に信じているとは限らぬ。
しかしここまで来れば違和感などどうでも良い。
マシロ市がこれからも勢力を拡大する為、鎌倉は立地上無視しがたいならば、これからも接触は行われる。
されば、あともう少しなのだから。
「近々、彼らを内密に今一度大規模に招き入れまする。
私自らが盛大にお迎えしましょう――そして。
その折こそが最後にして最大の山場となりましょうぞ」
黄蓮は告げる。もう間もなく機は熟すから、と。
まるで心躍る子供のように彼は『お義父上』へと告げるのだ。
であれば先代、は。
「――地下のせをりは、どうしていたか」
「はっ? あぁ、地下にマシロのお歴々が向かった事もあるようですが、しかしせをりの場まで辿り着いては」
「鎖の用意を」
「――出すので?」
「何。姿だけでも色々と使いようもあるかもしれぬ、というだけのこと」
先代は、黄蓮と目を合わさぬ儘に、どこか遠くを見据えるものだ。
その瞳は眼下に広がる鎌倉の大地か。遥か東にありしマシロ市か。
それとももっと別の何かか。
鎌倉を支えたとされる『先代』の瞳に――なんぞやの思惑が宿りしは確かである。