月花


 仙泰宮せんだいぐうに満ちる甘やかな香りは、やけに毒々しく感じられた。
 この日、この夜、この時。
 K.Y.R.I.E.の能力者レイヴンズを狙った悪意は、なんら驚くべきこともなく。ただ一行が事前に予測していた範囲の出来事でしかなかった。
 だが先代と呼ばれる老人が天使であったこと、ここが終末論者の巣窟であったこと、一行を天使の大軍勢が囲んだこと――それら細事について予想を上回る事態であるのは、確かに頭痛の種ではあるのだが。
 いずれにせよ天使の包囲網を抜けだした一行は、反転攻勢の機会を伺っていた。

「ねるね」
「ん」
「クルスラを消し飛ばすから」
「おっけ、るっぴ。どこまででも付き合うよ」
「あんなのこよこよのママじゃない、生かしておく意味も、理由もない」
「だね。あんなクソ親とかいらんし。にしし」
 花祀 あまね(r2n000012)に向けたルピナス(r2p000420)の言葉は、決意に満ちている。一行が救出した鎌倉の少女である宮羽 恋宵の母は、権天使となり慈悲深きクルスラを名乗っていた。あらゆる条件を無視したとしても、それは人類の敵であり、滅ぼさなければならないが。けれどルピナスたちを怒らせたのは、それが娘を意のままに支配し利用するという意思を持っていた点にある。
 終末論者であった恋宵の母は天廻御神爾なるからくり仕掛けの拷問器具によって、人を天使化させる実験を考えた。そして自身が最初の贄となったのだ。何も知らない恋宵の手によって。
 恋宵は仙泰宮でのお役目として、幼いころからこのからくり仕掛けを操作させられていたらしい。更には来るべき日、恋宵はその手を血に染め続けていたことを、先代によって明らかにされたという。その強烈な精神的負荷を、けれど恋宵は良くも悪くも受け止めることが出来なかった。
 だから心に蓋をした恋宵は使
 大いに失望したクルスラは、支配の力で恋宵を縛り従わせていたことになる。
 目的は『天使化』か『死して大いなる者の贄となる』かだ。

「恋宵っち」
「うん」
「わっちが、私が必ず守るから」
 明星 和心(r2p002057)の声音も、普段と大いに異なっていた。
「……なんで、みんなそんなに、私なんかを」
とか、言わなくていいんじゃない」
 沈痛そうにうつむく恋宵に、ほほ笑んだのは久留須 カナタ(r2p000101)だった。
「思ってたよりも、ずっと嫌だっただけだよ」
 一人の普通の少女が、悪しきたくらみに利用されていたことが。
「だからそうしたいと思った。俺自身がね」
「……私、お母さんのことだって何も知らないのに」
 母と一緒にいたのは三歳までであり、顔すら覚えていないのだという。
「お母さんが天使だって言われても、倒さなきゃいけない敵って言われても、何も思い浮かばない。普通は、ショックだったりするよね。いいのかな」
「いいんじゃないですか」
「そうだよ。恋宵っちは、他の誰でもない恋宵っちなんだ」
 青海 悠河(r2p000047)に、和心が続けた。
 少し大人びて見える少女――恋宵は、少し他人の心の機微に疎い所がある。おそらく鎌倉という小集団の中で、どこかのように扱われてきたからに違いない。
 きっと大人たちの多くは彼女が『贄』であることを知っており、文字通りの『供物』を与えられて生きてきたからだろう。彼女の人生それ自体が、この地に満ちる悪意のただなかにあり続けたということだ。
「……でも、そんなの、もう関係ない」
 ニーナ・モロゾフ(r2p003427)は言った。
「……ニーナたちが、全部終わらせる」
 成すべきことは数多い。
 このまま恋宵を守り抜くこと。
 天使の軍勢の撃破。
 仙泰宮の目論見を打ち砕くこと。
 そして全員での生還だ。
「すべてを可能とする条件は必ず見つけてみせます」
 イーグレット・ブランデュベルツ(r2p003312)が結んだ。

 ちょうどそんなころだった。
 ラフィ・A=F・マリスノア(r2n000017)が戻ってきたのは。
「ちょっといいかな、新しい情報があるんだけど」
 ラフィが述べたのは――