
第五の御心
「アレクシス様」
一声。それは静かなれど、気高さと敬意の色が確かに込められていた。
偉大なる主へと礼を成すその者の名は――ジルデ。アレクシスに仕える天使が一人であり、すぐ隣には微笑み携えしフィフス・アイレーンと……軍服に身を包んだ少女の天使、フェルエナの姿もあろうか。
「ご報告申し上げます。
件の蛇共は人類共の兵器ではなく、現地生物に寄生している個体がいる模様です。我らに攻勢を成す事もあれば、人類共に牙を剥く事もあるようで……奴らの根源がどこにあるかは調査中ですが、しかし我らの脅威になる程のものではないかと」
「そうですか。まぁ、あの寄生プロセスは中々興味深い所もありますがね。
私の食指が動く類ではありませんが、ハーリヤベルトが此処にいれば嬉々として解体作業と実験に勤しんでいた事でしょう。彼はなまじ位階が高すぎた事が不運でしたね」
「……アレクシス様。あの者の能を否とする者はいないでしょうが、されど奴は嗜好があまりに歪です。我ら同様にアレクシス様に忠誠を誓っているのは確かですが重用は避けられた方が……」
「それで、他には?」
ジルデの語る『蛇』とは蛇蝎化現の事である。
レイヴンズも接敵した事ある存在。人や動物に寄生する彼らは――しかしどうも天使にも同様に攻撃的なようで……アレクシス陣営の天使達も幾分か被害も受けているようだ。尤もアレクシスは最下層の被害など頓着していないが。
同時。主の言に混じりし名を聞いた時、ジルデの眉が微かに顰められた。
――ジルデはアレクシスに忠誠を誓っている。
が、逆にアレクシス以外には欠片程の情もありはしないのが彼だ。偉大なる主以外の全てが些事。故にこそ自分より上位にして主の傍に在る事を許されている者の名が出されるのは――面白くない。
されどアレクシスは、そんなジルデの心情を鑑みる事なく次を促すものだ。
隣にいたフェルエナは、斯様に扱われたジルデを横目に見据えながら口元に笑みの色を灯そう。
「蛇みたいな連中は左程大したことはありませんよぉ、アレクシスさま♪
あたし達の天使級の消耗なんてどうせいつもの事――
でも、薄ッ汚い人類共は鎌倉より西に向かって更に歩いて来てるみたいですぅ」
「――連中は少々厄介かと。
既に各所に築き上げていたオベリスクによる支配領域が削られています。
このままではテミスにまで手が届く予測も出ている次第……やはり鎌倉で連中を一気呵成に滅ぼし尽くせなかった事が口惜しい限りですね。かのミハイルめの干渉がなくばアレクシス様の御心の通りになったでしょうに」
フェルエナとフィフスの報告は人類。K.Y.R.I.E.のレイヴンズ達の事である――
アレクシス麾下の天使達は先日、鎌倉を襲撃した。
だが人類の想像以上の抵抗と――主天使ミハイルの来訪により状況は変動。
結果として撤退の勅命が下ったのである。
『ミハイル如き、心配する必要はありませんのに――』
斯様に思考する天使も幾人かいただろうか。だがアレクシスの命は絶対だ。
ミハイルという突然の異分子に思う所はあれど、主に対する不満などない。
ジルデもフィフスも。彼らは己らが主を疑うことなど絶対にない。
大なり小なり、それがアハスヴェールの影に属する者達の共通点だ。
故に次なる指令を待つ。
「アレクシスさま~どうかご采配を! あたし達に新たなる道標を!」
ゾルデは実直に。フィフスは恭しく。フェルエナは期待するように。
一拍。二拍。アレクシスは何か思案するように目を伏せて。
「人類は此処に向かってきていますね?」
「はい。まだ連中は此処がどこかまでは掴んでいないでしょう。
しかしこのまま西に進む動きを見せ続ければいずれは――
いえ無論、御身に手が届く事はありえない事ですが……」
「結構。では順調ですね」
「――アレクシス様?」
フィフスの言葉は正鵠を得ている。アレクシスが何処に降り立っているのか、人類はまだ知らない。それは事実である。いやそもそも徹底的に自身の存在が露見しないように努めているのだから当然とも言えるか……先日のミハイルが例外なのだ。
さりとて人類の好きにさせていれば、いつかは辿り着く事は十分に考えられるだろう。
だが。アレクシスはただ微笑むばかりである。
「貴方達は『テミス』の防衛を務めなさい。今後のプランは幾つも私の頭の中にありますが、アレが破壊されないなら最上ではあります。
まぁそれより先の事は……追って教えてあげましょう。ヴァルトルーデが戻り次第ね」
「んげ。ヴァルトルーデ……そういえば見かけないと思ったんですけど、アレクシスさまから何か密命でも?」
「……猊下、あの女に一体どのような命を下されたのですか?
あの女などよりも私にお任せいただければ――」
「ジルデ」
フェルエナにジルデ。それぞれが胸に抱きし言を零し、た。
瞬間。
「私に否を述べるつもりですか?」
「――そのような心算は、決して」
「君の、私に対する忠誠は好ましい限りですがそれぞれに適所はあるというもの。
君にもまた、君に相応しい適所は訪れる事でしょう――
剣を。槍を。銃を。
掲げ、私の望む地平を阻む者共全てを排する栄誉の一時……
愚昧共に対する審判の日はそう遠くない。
いずれまた私の為に動く機はあります。全員下がりなさい」
「……ハッ!」
「はぁ~い♪」
胸元に手を添え、一礼するジルデ。
だが気に入らない。ヴァルトルーデが他を差し置いて何か密命を与えられている事が。
――繰り返すがジルデの、主に対する忠誠は砕けぬ鉄が如く絶対だ。故に、主の御心に不満の類は砂粒一欠片程も存在しない。とはいえ面白くないものは面白くないのだ。アハスヴェールの影に属する者の中でも古参とは言え、あの女がお気に入りの類なのが――
「……あぁただ、そうですね。一つだけ、今の内に命を下しておきましょうか」
と、その時。アレクシスはふと、思い出したかのように言を紡ぐ。
何事か。ジルデは胸に高揚が宿る感覚を得ながら主の勅命を待て、ば。
「今後。見込みのありそうな者がいれば記憶しておきなさい。
当然潰してしまっても構いませんが、しかし……
状況次第で――私が直接、裁決を下す事もあるでしょう」
その言の葉は己が予期とは全く違う類のモノであった。
裁決。それはアレクシス・アハスヴェール麾下にとって特別な意を持っている。
ジルデにとって今日一番――面白くない単語であった。