大岡川源流域遡上作戦


「お集まり頂き感謝を、能力者レイヴンズ
 静かに、そう言ったのは天使特別対策室K.Y.R.I.E.の人事統合部所属、嘉神 ハク(r2n000008)その人だった。
 これより市外遠征に向けての説明が行なわれることになる。
 ハクの傍にはKPA技術主任の七井 あむ(r2n000094)、それから名も知らぬ少女が何処か楽しげな顔をして立っていた。
「事前に通達は行なわれて居たかと思いますが、これからK.Y.R.I.E.が定めていた安全帰還可能区域外へと出る遠征作戦が開始されます。
 範囲としましては未だ横浜の範囲内ではありますが……大岡川源流域――つまり、嘗ての地名で言うならば横浜市金沢区近辺にまで足を伸ばす予定です」
 ハクはそこまで言ってから唇を引き結ぶ。ちら、と視線を向けられてからあむは「オーケー」とマシロ市周辺地図をモニタへと映し出した。
「まず、マシロ市はここ。それで、ぼくとが周辺の打開進路アクセスルート確認のためにドローンを先遣した結果が、これ」
 モニタには幾つかのバツ印がついている。それらは桜木町方面に始まり川崎市側に至る道に付けられている。
 ドローンを派遣できた範囲はそれ程広くはない。しかし、信号がロストする事が無かったルートに絞れば自ずと進軍ルートが絞られたのだろう。
「この図の通り、桜木町側は進むことが出来ませんでした。
 当然のことですが首都機能を有した東京を目指すべきです。これまでもK.Y.R.I.E.は小規模な先遣隊派遣は行なってきましたが結果は――……」
 ハクは首を振った。それから小さく息を吐き出してから「原因不明の障害が存在しています」と付け加えた。
「そ。だから近郊範囲で狩りやら環境把握で済んでたけど、フレッシュも来たじゃん?
 マシロ市って、ギリのギリだったから、やばなわけ。市長しちょ室長しつちょが作戦立案したって感じ」
「……こほん。はい、マシロ市の都市計画を継続するためにも人類生存圏の拡大を行なうべきです。
 皆さんはコレまで様々な訓練をこなして来られました。その結果、皆さんならば可能であると上層部は判断しています。
 此の儘沈み行く船に乗り続けていれば何れはマシロ市が破綻する。その前に、我々は反撃に出ることとしました」
 ハクはモニタをちら、と見る。大岡川にフォーカスされた図を指し示してから「では、此処から作戦説明です」と能力者へと向き直った。
「これから行なわれるのは横浜地図での呼び名ですが大岡川源流域への侵攻です。
 大岡川源流域……つまりは、横浜市金沢区付近へのルート確保が目的です。
 この先には嘗ての人類軍の横須賀基地、神祇院の重要保護拠点鶴岡八幡宮があります。そして、西方へと進軍するにも山間を縫うよりも太平洋に沿う方が効率が良い」
「じゃ、さっさと行けば良いって思うじゃん? むりぽ。
 大岡川、マジで変わってるから。地図上でも、やばだし。だから、先遣隊が必要なんだよね。
 ――ハクは言わんけど、はっきり言うと、死ねって言ってるワケじゃないよ。生き残る為だから」
 あむがはっきりと言えばハクはそっと視線を逸らす。
 きっと意気地が無いのは己の側だ。すうと息を吐き出してからハクは向き直った。
「マシロ市は2035年に基礎計画が概ね達成されてから都市的な発展と安全性の確立を求めてきました。
 しかし、此の儘ではマシロ市は計算外のリソースを求められ続ける事になります。
 ですから、皆さんは大岡川に沿い、可能な限り横浜外に出るための道を確認して頂きたいのです。
 大岡川源流域付近にて、我々はK.Y.R.I.E.の前線基地を設立することを本作戦の最終目的とするのです」
 ハクは深く息を吐く。それでも危険な領域に派遣することには違いないのだ。
もサポートしますの!」
 ぴっと手を挙げたのは小さな少女だった。あむは「あ、忘れてた。うけ」と言ってから少女の体を前へと押し遣る。
「『現実的な没入型教育を実現するための仮想拡張学習キットVirtual Augmented Learning Kit Yielding Realistic Immersive Education』こと『V.A.L.K.Y.R.I.E.ヴァルキリー』システムオペレーティングAIのヴァルキリーですの!」
 ぱあと明るい顔をしてそう言った彼女にあむは「はあの暴走システムの核」とおざなりに言った。
 トラブル塗れではあった『V.A.L.K.Y.R.I.E.ヴァルキリー』だが能力者の尽力も在りバグをパージ出来たのだろう。
 その結果が、今は有能なサポートシステムとしてあむに活用されているのだ。K.Y.R.I.E.の前線拠点が出来上がったならば彼女のシステムを経由してマシロ市と連絡が取り合えるようにも整備可能であるかも知れないとあむは自信満々に告げて居る。
は、てんさいですの!」
 ――親の影響を存分に受けている彼女は自慢げに言った。
「あむちゃまとで皆ちゃまの進むルートの確認をしておきましたの!
 まず、横浜駅を越えた辺りでドローン信号ロストしましたの。その理由は未知数ですの。
 あちらの方面ではこれまでもK.Y.R.I.E.が能力者を派遣してましたの。帰還者は低く現在の作戦遂行は難しいと判断しておりますの。
 次に、方面ですの。活発になった天使の動きを思えば危険ではありますの。
 けれど、安定したルートを確立できるならばそちらですの」
 ぱあと明るい笑みを浮かべたV.A.L.K.Y.R.I.E.に後押しされるようにハクは能力者達へと向き直った。
「それでは、皆さん。個別の作戦説明を行ないます。ブリーフィングルームへと移動してください」
「んじゃ、頑張ってね。ふぁいお」
 ひらひらと手を振ったあむに「支援しますの!」とV.A.L.K.Y.R.I.E.が両手を挙げている。
 ――これから始まるのは訓練ではない。実戦だ。
 安全帰還が可能であると定められた領域を抜けて行く事になるのだ。
「……どうか無事での帰還を」
 ハクはそう祈るように静かに呟いた。