昏き破滅より
膚を撫でる風は、秋の気配を孕み始めたと言えども冷たく重苦しくも感じられた。
音立て擦れ合わされた葉を見上げて居た青年は本来ならば臓腑の詰められた腹から溢れ出る花を愛おしそうに撫でた。
所々が破れ、襤褸になってしまったキリエの制服を着用して居るその人は年の頃は10代後半程度にしか見えやしないだろう。
伽藍になった眼窩に曇空を思わす天使の翼を有するその人は、K.Y.R.I.E.所属の能力者などではない。
彼等は探索任務を終え、マシロ市への報告へと帰還した後だ。この様な所でぽつねんと一人残留を決めるなど自殺行為だ。
そう、ここは大岡川源流域付近。広くなった河口から続く河川の様子は大きく様変わりし、夥しい水量は周辺を飲み込み湖を作り上げる。
大破局前とは様変わりした氷取沢に彼は――元堕天使は立っていた。
「栞田」
呼び掛けに青年はゆるゆると顔を上げた。視線の先に双眸を折り畳んだ翼で隠す子どもが立っている。
「遊ぶのは楽しめた?」
「遊びじゃないよ。おれはただ、皆が全てに気付いてくれたらいいなと思っただけ」
「気付く? 何を? 介入階級がぼくたちの玩具にでもなっていますと教えてやることを、気付くというなら気楽な頭だね。
喇叭の音を聞いただろう。『安直に転がる尻軽な奇跡』を信じる哀れな仔羊を指差して笑っていられる時間だってもうお終いにすれば良い」
子どもは尊大にそう言い放った。球体関節の指先をぱきりと折畳みながら鼻先で嘲笑うように言ってのけるのだ。
「ぼくらの主は勝手にすれば良いと言った。もっと上はだんまりを決め込んでいる。
ぼくの領域に無断で踏込む奴らに対してだって『どうぞ、ご随意に』だなんて――」
歯ぎしりをする様は玩具を買って貰えなかった幼子とは比にもならない。
青年は、栞田 花束は、地団駄を踏んだその人を眺めて居た。
「ともあれ、やることは決まっているだろう」
「簡単に全てを終わらすなんて詰らない。
何せ、主は目を背けた。なら、ぼくたちがお遊びに興じたって誰も文句は言わないだろ?
――ああ、ほら、あの気取った女に指図されずに自由に遊び回れるんだ。殺そう。遊んで、殺そう」
「……」
「栞田、おまえが勝手なことをして、警告をしたって奴らは構うことなくやってくるんだ。
人間が生きる為に必要だと、ぼくよりも下等な生物が群になって走ってくる。余程、仔羊のローストになることが好みらしい」
「……」
「無駄な感傷はおやめよ。ぼくらは天使だ。ぼくはお前の美学なんて知ったこっちゃない。
折角僕が美しく飾り立てた街に土足で踏み入られるのが気に入らないだけだ。
栞田もあの介入階級もぼくの邪魔をするのなら容赦をしない。ぼくらは、同類だけれど、同士じゃない」
「……そうだね」
「おまえの美学も関係ない」
「けれど、無辜の命を奪うのは、美しくはないよ」
「それが、関係ないって言ってるの。ぼくは、ぼくの領域……作品を傷付ける奴らを許さない」
凍り付いたオブジェを蹴り飛ばし、子どもは――凍土の天使は笑うのだ。
「ここは、僕の領域なのだから――」