
宵の刻
深々と、夜がやって来る。
軋む天蓋を見上げる度にため息が出る。動きと共に鎖がしゃらりと音鳴らす。この夜はきっと長くなるだろう。
ひとつ、ふたつ、指折り数えて待ち焦がれた地上に並ぶ顔を見て、2048年の自分はまだ健在であるかのようだった。
知った顔が居たことに安堵すると同時に、苦しくなったのだ。
「どうして――」
しあわせになって欲しい。K.Y.R.I.E.の仲間には、笑っていて欲しい。
だからこの場はおのれが治めるべきだったのだ。そんなことも出来ない、愚かで無力な己を呪いそうになる。
「これ、せをり。顔を上げなさい。
ははは、すみませぬ。この者も元々はマシロ市に属して居りましたが鎌倉に居を移し長らく連絡も為ぬまま。
放蕩娘にとって些か罰が悪かったやもしれませぬ。ご存じの方も居られるやもしれませぬが、この娘は巫のせをりと申します」
仙泰は穏やかな声音でK.Y.R.I.E.の――せをりの仲間であった者だ――能力者達へと彼女を紹介した。
せをりを紹介するために火急の用事であると声をかけたとでも云うのか。
あちらこちらで巫女や神職達が用があると能力者達に声を掛けていたのは確かなこと。
そう、それはきっと――あなたにも頼み事の一貫のように声掛けがなされたであろう。
「能力者殿」
佐竹 黄蓮が微笑んだ。天蓋が軋む、地が揺らぐ。嫌な気配が周囲へと渦巻き始める。
宵が近付いてくる。せをりの唇が戦慄いた。こんな風に話して居る時間もないというのに己は唇を緩慢に動かすことさえも億劫なのだ。
(結界は――……もう解いてはいられない)
おのれの張って居る比売神の結界は干渉を受けて強固な檻となったか。
能力者達を捕える檻となったのかもしれないが逆にそれは「産土神・天地躯」を閉じ込めておくには十分だ。
(この子達を逃がしたる事はできへん。……時間稼ぎをして貰うしか、できへん)
せをりの背を叩く黄蓮は前を向けとでも促すようだった。それが叱るような手つきであったのは仙泰が側に居るからだ。
せをりの結界と、地より広がりつつある別の結界がぶつかり合った場所にはひずみと綻びがある。
その部分からは幾人かの能力者が出入りすることは出来るだろうが――……伝達のためにマシロ市にまで向う時間はないだろう。
先ずは、氷取沢だ。其方へと連絡を行なう時間、それから「天地躯」を閉じ込めておく時間。
双方が必要だというならばせをりの使命はこの結界を保ち続ける事だろう。
「さて、皆様方。よくぞお集まり下さいましたなあ」
仙泰は両手を開け、興奮した様子で能力者達へと声を掛けた。
「ラファエラ・スパーダを破ったという実力が誠であった事、喜ばしく思いまする。
皆様はこの仙泰宮の地下にも封じられたけだものたちを処罰し、我々が生きて征くこの地の正常化によく働いて下さいました。
皆様と我々に最後のお勤めがございます」
それが何か、と問う時間もなかっただろう。じゃらり、と音を立てる。せをりは唇を動かした。
――声が出ない。
「どうぞ、此方にもご協力を――」
ダメだ。この子達は巻込みたくない。
結界の内部で大きく気配が変じた。悍ましい謂れが一気に周囲を巻込んでいく。
「はよう、逃げて」
やっとの事で少女は告げた。もうすぐ、もうすぐ、召喚されてしまう。
この結界は畏れを閉じ込めておくためのものだ。だが、術者であるおのれがいつまで待つかも分らない。
――きっと、しーちゃんがなんとかしてくれる。少しでもええねん。世話かけてごめんなあ。
――きっと、六華だって、なとかしてくれる。ごめんな、黄ちゃん。うち、せなあかんことあるから。
――きっと、……かづは、来てしまうのだろうなあ。うちは狸じじいにとって、邪魔やものね。
結界内部の畏れが、謂れが一気に人間へと変化を及ぼした。
天使へとなりかけた者達が嘲笑うように、いっきに能力者へと襲いかかる――!
