
朝戸風と共に
暮色蒼然の候、深まる疑惑は宵の刻へと転げ落ちていった。
穢れ狂った夜半を越え、彼誰時の向こう側――漸く平穏の朝がやって来る。
「皆さん、お怪我は」
能力者達を気遣う様に嘉神 ハク(r2n000008)は声を掛け、周辺を見回した。
鎌倉の中心地たる此処、仙泰宮には負傷者達が運び込まれ、鎌倉の生存者達も徐々に集い始めている。
「大丈夫。……この度はご心配をかけてしまって」
背筋を伸ばしてそう答えたのは紫峰・翠(r2n000125)と名乗った巫女であった。
鎌倉で生れ育った巫女である彼女は「先代様や黄蓮様――いえ、黄蓮も、闡提も倒され、ついに平穏が……と思いきやまさかあんな」と憂うように嘆息する。
「いいえ。ご無事で何よりです。それにしても、一体如何して……」
敵が『西』に退いていく――それがK.Y.R.I.E.の増援を察知してであるのか、それとも別の理由があるのかは分からない。或いは両方だろうか……
いずれにしても鎌倉での戦いの後を狙われた非常に危機的状況であったのには違いなかった。負傷者は多数いれども致命的な損壊を受けた訳ではなかったのは良しと思うべきだろうか――
「――久しぶりねハク、正孝」
「おいおいお前……まさか六華か? 生きてたのか。正直なところ、死んだのかと思ってたぞ」
「まぁそういう見解になるも仕方ないわね。でも悪運は生憎と、強かったみたいでね。とはいえ……私一人じゃ結局仙泰達をどうしようもなかった。K.Y.R.I.E.の皆が来てくれて助かったわ――顔ぶれは結構変わっているみたいだけど?」
「えぇ実は、とても大きな出来事が生じまして」
と、その時。ハクと、同じく救援として駆けつけてきた来栖 正孝(r2n000072)は、懐かしい顔を見つけようか。
その者は六華(r2n000169)。元々はK.Y.R.I.E.に所属していた人物にして、とある任務以降に行方不明になっていた人物である。それは多くのフレッシュが流入して来た大きな出来事以前の話であり、正孝達にとってみれば六華はとうの昔に任務で死亡したと思われていた……だが実際の所、紆余曲折の果てに鎌倉に囚われていたが故に帰還出来なかっただけの様だ。
「成程。マシロ市も大分賑やかになっていそうね、ふふ、戻るのが楽しみだわ」
「やれやれ、相変わらずな奴だな……こっちは死んだと思ってたヤツが生きてるってだけでも驚きなのによ……まぁいいか。ところで話を戻すが、西に撤退していった天使の連中に関しては知ってるか?」
「いいえ。さっぱり見当も付かないわ。ただ……見当が付かないからこそ、少なくとも仙泰とは関係ない勢力なのは確かよ。鎌倉で見た事なんてないし、そもそも仙泰の手下なら最後の戦いの場に出てこない理由がないわ」
「確かにな。となると……こっからはまた連中が襲い掛かってくる前に『西』に向かって偵察を出しておくべきなのかね」
「そうなる可能性は高いですね……かぐらさん達の判断も必要ですが」
ともあれと。再び思考を巡らせるのは鎌倉を包囲襲来した天使の面々に関する事だ。
連中は些か異質が過ぎる。
天使にも様々な者達がいる故、どんな存在が潜んでいても不思議ではないが……しかしK.Y.R.I.E.が今まで戦って来た天使達とは、どこか違う目的と、統一された意志を持っているように感じられた。
鎌倉の件がなんとか落ち着いた以上、次は彼らが如何なる者達なのか――
本格的に対応する必要があるかもしれない。
「一先ずは……鎌倉はこれから、どうすれば」
翠は困惑を滲ませながらもハクを見遣った。翠の視線は惑いながらもハクを、そしてその後ろに控えていた六華を見る。
「……翠。貴女は鎌倉で生まれ、鎌倉をよく知っている人だわ」
「はい。それは、きっとそうです。だからこそ鎌倉の人間がいきなり全員外にという訳にも行かないと分かって居るのです。
……少しだけK.Y.R.I.E.の方の話を聞きましたが、マシロ市も2024年からやってきた人で溢れ返っているのでしょう?」
「ええ。磯子地区や先の戦いで得た横須賀を開拓して人類の生存圏は広げていたとしても――」
「鎌倉の人間全員は受けいられませんし、受け入れてくれとも言わないと思うのです。
何だかんだでこの場所に愛着がある人も居ると思うのですよ。どんな謂れがあったって生きてきた場所ですから!」
翠の言葉は尤もだ。六華とて彼女と同じ事をハクへ進言するつもりであった。
勿論ハク――いや、K.Y.R.I.E.も希望者には移住や受け入れを進めるが全員を、とは口が裂けても言えまい。
それにこの場所は田畑がある。曲がりなりにも人類のコロニーとして成立していた場所なのだ。
「……はい。そう仰って頂けると思って、六華さんとは先に話をしていたのですが……。
このまま鎌倉はコロニーとして存続させ、至急氷取沢から鎌倉への道を整備しようと考えて居ます」
「今は氷取沢までマシロ市から電車が通っているんですって、翠は乗ったことがないでしょう?
氷取沢から鎌倉方面へと線路を延ばす工事を行なって、往来を容易にする準備をしてくれるそうなの」
その言葉に翠は「本当なのです!?」と弾けるように顔を上げた。彼女だけではない。鎌倉に残ることを決めて居る住民達は皆、一様に安心した顔をしたことだろう。
「それで」
唐突に声がした。眠たげに眼を擦り、欠伸を噛み殺した古月 せをり(r2n000108)は「それで、どうするん」とハクへと向き直る。
「どう、とは」
「電車通します、鎌倉はこのままです、とは行かん。
おうちゃん――黄蓮も、闡提も死んだ今、誰がこの場所の連絡係になる? そう言う話やろ」
「……そうですね。六華さんもせをりさんもこの地の人間ではないですから……」
「まどろっこしいなあ。それを翠に任せたいって話やろ?」
先程まで仮眠していましたと言いたげなせをりの投げ遣りな言葉に「ボクですか!?」と翠が目を剥いた。
「はい。……連絡係として、です。基本的には神祇院の人間が鎌倉の管理をしますからあくまでも名代としてですが」
「ボ、ボクに務まるでしょうか……だってボク、ただの巫女なのですよ!?」
「能力者の皆も支えてくれるそうだわ。けれど、西に退いてった軍勢のこともある。
此処にK.Y.R.I.E.の人間が此処に留まり続けるという訳にも行かないから、翠に任せておきたいの」
翠は不安げな表情をせをりと六華に向けていたが首をふるふると振ってから「ボクで良ければ」とそう言った。
「とにかく、やってみなきゃですよね。留守はお預かりするのです!
そう言えば、さっきけぇぴぃえーの七井さんって人がいんたーねっとを通すから、通信教育? で刻陽学園にも通えるって教えて下さいましたし、此処で生きていても出来る事があるはずなのです」
未来への希望が溢れている。そんな翠を見てから「えらいこやなあ」とせをりは頭をわしわしと撫でた。
何処か楽しげに笑った翠は「やめてほしいのですー」と気恥ずかしそうにせをりの手を掴む。
ひんやりとしていて、少し震える指先が彼女の疲弊を感じさせる。そっと両手で温めながら翠は顔を上げた。
「それで、えっと、西――西ですよね。寒川の地には何かあると聞いた事もあるのです。ああ、でも、まずは体を癒してほしいのです。
あはは……なんだか、良い朝が来たのですよ。せをりさん、六華さん。能力者さん!」
眩く、心地良い朝日。あれだけ長かった夜が過ぎ去れば、清々しいほどの青空が広がっていた。