セレニテの幕間


「……で、そろそろマジなお話聞きたいんだけど?」
 イサーク・サワは外見から察するよりは随分と辛抱強い方だ。
 力天使としてに属する彼女だが、それでも一人訳知り顔でご機嫌に鼻を鳴らす主人についに痺れを切らしていた。
「大体、ミハイルは秘密主義が過ぎるのヨ。アンタ本当に見た目と違ってそういう所あるんだから!」
「俺は慎重な方でね。使使
 言葉程は真剣味の無いそんな抗議にミハイルはへらりとした笑みを浮かべている。
「世界中が驚く発言ね。楽園エデンで一番身勝手な天使じゃあなかったっけ!?」
「解釈の問題だぜ。
 言葉は半ば冗句めいていて、残りの半分は真剣味を帯びていた。
「ひりつく位の鉄火場を渡り歩いて幾歳か。だがよ、イサーク・サワ。
 
 要らないタイミングであれこれ外に喋るのはガキのお遊びだろ。
 俺様は俺様に必要な事しかしねえよ。ついでに言えばそういう男だからこそ――」

 ――使

 ミハイルの言外にイサークは小さく嘆息した。
 粗野な割に聡明で、大胆な癖に秘密主義。そして年寄りの癖に誰よりガキ臭い……
 ミハイルから受け取る味わいは実に複雑で何時も何とも彼を困らせた。
 いや? 
「とは言え、よ」
「あん?」
もその内合流するでしょ。アレクシス・アハスヴェールの計画をマリアテレサに黙って見過ごす……
 いいえ、それに協力を持ちかけるなんて大博打。
 多少の予定位は聞かせて貰わなきゃ困るってもんヨ?
 アンタがどうあれ臨機応変、上手くやる必要もある。アンタは疑わないけど、アンタのプランを遂行出来ないのは大問題よ。
 これは経験則だけどネ。どうせ物凄い綱渡りをする心算なんでしょ?」
 イサークはミハイルの性質を良く承知している。
「こないだの謁見だって、まあ肝は冷えるわヨ。
 相手、アレクシス・アハスヴェールよ? ガッチガチの熾天使セラフでそれも五位よ?
 あの神経質な面にああもお見舞い出来るアンタって何時だって大概極まりない」
 彼は自身を慎重と言ったが、それは始まるまでに過ぎない。
 いざ始まってしまったミハイルは最凶の台風のようなものだ。
 策を巡らし、必要な準備を整え、博打から退屈な失敗要素を削ぎ落したその上で。
 
 彼は自身というチップで導き出せる最大の結果に貪欲であり、全てを失う事にもまるで無頓着だ。
(……世の中でそういう奴を慎重派とは言わないんだけどねェ……)
 イサークの言葉に「成る程」と頷いたミハイルは少しだけ思案顔をした。
「……まあ、細かい所はケセラセラ、だ。
 幾らお前でも全部言うにはちょっと早い。
 それに先入観が動きをおかしくする事もあるからな?
 ただ……そうだな。一つだけ言うなら、こないだの会見は
?」
 焼いたサヴェージの肉を野趣溢れる調子で食い千切ったミハイルは「ああ」と笑う。
「まあ、お前程度じゃ分からねえかもな。
 ただあの会見で猊下がキレて死ぬとしたらそりゃお前だけの問題だ。俺様は違う」
「……発言の意味は兎も角、今滅茶苦茶酷薄な扱いされたんだけど???」
「要するに今の猊下は大した事ねえって話だよ」
 けらけらと笑ったミハイルは獰猛に目を細めている。
「そうだな、精々が主天使ドミニオンよりマシ位。
 俺よりは強いだろうが、座天使ソロネ程の出力は出せない。
 猊下が戦力をマシロに振り分けたタイミングで行っただろ? 近衛のバルトロを足した位じゃ俺は簡単に仕留められねえよ。
 第一が、サワ。お前、変だとは思わねえか?」
「……何が?」
「まず。そんなもん、現状で熾天使に要らねえだろ」
「……滅茶苦茶要らないわね。旧時代アリデイの人類ならいざ知らず」
「それが出力の証明さ」
 涼しい顔でミハイルは続ける。
「それにマリアテレサの天眼もな。
 アイツはその気に本気になれば世界の隅々まで走査する位の芸当はやってのけるさ。
 猊下も器用だから多少は誤魔化せるだろうが、リスクが過ぎる。
 だがよ、サワ。?」
「……知る訳ないでしょ。そもそも猊下が弱ってる事だって気付かなかったんだから」
 不満顔のイサークにミハイルは「そう拗ねるなよ」と口角を持ち上げた。
「単純な理屈だぜ?
 俺様が地上で好き勝手出来ているっていう事実が全てだからな。
 マリアテレサあの女はそもそも主天使級ドミニオンの動向なんかに興味が無いんだよ。
 言い方を変えれば、あの女の天眼の網は荒い。
 本気を出せばもっとだろうが、まず本人がに構う気がねぇからな?
 アイツの網に掛かるのは最低でも座天使級ソロネ以上って事だよ。
 で、まあ。実に小器用な猊下は――どうやったか知らねえが、座天使以上の出力を持ち場に残したまま――
 本体らしき一部を地上に顕現して見せてる。あの女の目は座天使以上のアレクシス・アハスヴェールを捉え、残滓のような地上には目をやらない。
 
 そうしてこっそりと地上に顕現した猊下は、逆転の為の秘策を練っておられる……という訳だ」
「……」
「……………どうしたよ? 納得いかねえか?」
 問い掛けたミハイルにイサークは「当たり前でしょ」とやり返した。
「どんッだけ傲慢なのよ、マリアテレサって女は!
 ちょっと本気出せば地上のあれこれが分かるなら普通ちゃんとチェックしない!?
 不仲の猊下の動向なんてそもそも疑ってる前提じゃない!
 それなら尚更、幾らでも気付くような話で――」
「――そうならねえからマリアテレサなんだよ」
 苦笑いをしたミハイルにイサークは何とも言えない顔をした。
 旧い天使の一体であるミハイルは殆どの天使よりもアーカディア・イレヴンに詳しい。
「どの道、座して待てばジリ貧の猊下は勝負に出たって事さ。まあ、想像は付く――切り札は多分
 目的を果たすにはどの道マシロ市との決戦が不可欠だ。
 だから、俺達は第三極としてこの場を愉しむ。
 高値で売れるこの機を逃さず、猊下のプランにお力添えをして――少しばかりご褒美を貰おうじゃないか。
 なあ? サワちゃんよ。おかしい事何て一つも無いだろ?」
 爛々と目を輝かすミハイルはまるで金髪の野獣のようだった。
 大胆不敵。そして誰より無謀で狡猾だ。
「……まあ、付き合うけどサ」
 イサークが何度目か知れない溜息を吐けばミハイルは一言を付け足すのだ。
「惚れ直すだろ?」
「言ってなさい」と一蹴するイサークは実際の所、どうにもそれが満更でもない。