黙示録は歌う


「卿の無軌道には恐れ入る。
 悪食に全てを己が芸術に昇華しようという傲慢はいっそ愛すべき情動人間の発露と言うべきなのかも知れないな」
 ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマン(r2n000006)の言葉は呆れと共に強い興味を帯びていた。
 彼等が拠点とする旧ベルリンの中心市街に位置する廃墟のようなコミュニティは、遥か極東のマシロ市と同じくの一つであった。但し、そこは人類最後の楽園めいた日本のそれとは全く毛色が異なり、尋常ならざる強者の集う弱肉強食の魔境のようでさえあった。
「アルフォンス。?」
 世界に名だたる最悪の秘密結社Baroqueとて、人類に類する存在には変わらない。
 最高幹部の使徒さえも天使との戦いの中で多数が最期を迎えている――故にアルを名乗る少女がBaroqueのベルリンに蒼褪めた月のミセリコルデをのは全てを見通してきたようなディーテリヒにとっても予想外の展開であるとしか言えなかった。
「卿は私が彼女を処理するとは思わなかったのかね?」
「ウィ。天使ですもの! それは見事な人類の敵でしてよ!」
「でも」とアルはほくそ笑む。
殿
 権天使プリンシパリティ如きが一匹、御身には藪蚊の扱いにもならないでしょう?
 それに、彼女は私のですもの。好奇心旺盛な貴方は『何故』を優先する事でしょうねえ!」
「ヨハネは卿等の訪れを記載していない。極東のアハスヴェールの動向は兎も角、だ」
「……………」
 嘆息したディーテリヒの視線が捉えた先、ミセリコルデ・イヴが真っ直ぐに獣の碧眼を跳ね返していた。
 月明かりの差し込む聖堂跡に彼女の存在は堂に入っていて、そこに恐れが無い事に彼は僅かな笑みを漏らさずにはいられない。
。ただ卿はジャックが外に出ている偶然に感謝するべきだ」
 相変わらず感情の読めない静かな表情を崩さないディーテリヒにアルは「ウィ♪」と声を弾ませている。
「……あの、アル」
「どうかなさって?」
「どうしてドイツに呼んだのですか」
 ミセリコルデ・イヴの表情に幾分かの困惑が浮いていた。
 彼女はBaroqueの意味も、自らの生存を許諾した絶大な存在の事も知らなかったが――
 自身の大願を美しき芸術に昇華すると語った悪趣味な芸術家が自身を遥かこの地まで誘った事には意味を感じていた。
 意味は感じていたが、その理由を見つけるまでには到っていない。
 いや、それは或る意味で当然である。
 
 寄り道も然り、困った顔をするイヴに無闇に友好的な態度で接する事然り。
 命のやり取りの脅迫をしておきながら、友人のような体で自身を振り回すアルとの旅行はイヴにとって違和感の塊であった。
「マシロ市の近くに置いておいたら暴発しかねないのではなくて?」
「……」
 イヴは答えなかったがそれを否むには彼女は純白過ぎた。
 彼女の中に渦巻く強い欲望は大切な友人を救う事。
 あんなに優しくて頼りになる兄を――自分に巡り会わせる事さえなく奪って殺したこの世界に慈悲の短剣を振り下ろす事だ。
 その切っ先の向く先がマシロ市である事は何より自身が承知する事実に他ならない。
「たかが権天使ハエ位の異能もどきで陥落出来る位に彼等は生温い相手にはありませんのよ?
 折角私が極東くんだりまで赴いて拾ってきた素材が、暴発で退屈! なんて……そんな事になったら殺しても殺し足りないというものですわよ?
 ええ、ええ! 蒼褪めた月のミセリコルデには正しい戯曲を理解して貰いませんと。
 大根芝居の女優アクトリスが喝采を浴びられる程、終末のステージは甘くはなくってよ」
「アルはやっぱり――そのやり方を教えてくれるのね」
 実に胡乱な冗長には知らない振りをしてイヴはアルにそう念を押した。
 奇妙な出会いはイヴにとって必ずしも有難いものではなく、半ば強制をするような展開に違いなかったが、アルの言葉に嘘が無いのならばそれは彼女にとっても本望である。
「勿論。貴女に必要を仕込む為にはアトリエが必要なのよ。
 この地上で何処よりも安全で、何よりも都合が良い場所。盟主殿が認めてくれた以上、これはもう約束なの。
 だから、私はこれからじっくりと貴女を可愛がってあげられる。
 その羽虫みたいなささやかなノイズを、無視出来ないような大声に変えてあげられる。
 まあ、それでも舞台は女優の出来次第。上手くいく保証なんてしないけれど、本懐に近付けてあげる事は出来るわね」
(……そうか。私は『弱い』んだ)
 軽侮と興奮の混ざったアルの言葉にイヴは遅れて自覚した。
(弱いんだ。あの頃から、ずっと変わらず。アルに馬鹿にされる位。誰も救えない位。
 私の代わりに皆傷付いたのに。皆いなくなったのに。
 こうなっても私は何一つも救えない……!)
 いけない。こんな事では足りない。
 
「……アル」
「はい?」
「私を、強くして」
 そんな事は言わずもがな。
 アルは何時もの「ウィ」で口角を持ち上げる必要も無かったのだけれども。

 沼のように深い目でそう続けたイヴの言葉に彼女は今日一番の狂喜を浮かべていた。