さよならの帚星
――人間って、本当に強情だ。
死んでいった天使達、傷ついた人達。
これは生存闘争で、私達が私達の居場所を護る為の戦いだった。
だから、これは私達の負けなんだろう。
これから先、どうなるのかなんて、私だって分からない。何も分からないんだ。
きっと、人間と天使が手を取り合うなんて、そんなのは難しいことのはずで。
――あぁ、そうだなぁ。これからさき、どうすればいいんだろう。
押されて、押されて、押し切られて、それで、停戦なんてしちゃって。
クラーケンと戦うなんて、そんなの考えてもみなかった。
人間って、とんでもなく強情だ――それはきっと、私もなんだろうけれど。
でも、本当に不安なのは、これから先の事。
あいつを倒す為に力を使って、何とかできたとして――その後。
あの人達は、約束を守ってくれるの? 信じるしかないけど、それって信じ切っていいのかな。
――まぁ、それを言うと、私達が信じてもらえるのかもわからないからお互い様か。
あぁ、どうしよう。これから先。
クラーケンを倒すことが出来たのなら、彼らの力はそれ以上っていう証明になっちゃう。
――そうなった時、私達は自分達を護れるかな。
私は、多分いくらだって自分を護れる。少なくとも逃げる時間は稼げる――と信じてる。
まぁ、行かなくていいと思うけれど、いざとなったら東京に行けばいいだろうし。
「心海さん」
名前を呼ばれて、目線を下ろす。
アイギスっていうらしい、小さな人工浮島。女神の盾――ふふ、セイレーネスと同じ神話から取ったなんて不思議な偶然だ。
幾つも連なったそれらは、私と、ペルチスカと一緒に、あいつに向かって動いてる。
「どうかした、久遠さん?」
似た者同士の貴女へ――私の心は海みたいに澄んでいる。まるであの頃のようだった。
「大丈夫かい?」
青薔薇のシルクハットを被った人が心配そうにそう言った。
秘蜜さん、そう言えば貴女も、久遠さんと違う意味で私達ってよく似てるね。
「ふふふ、それを言うなら、私より、あっちの人の事を心配した方がいいかも」
なんていう風に――半分冗談も籠めて、私は彼を見下ろした。
「問題ない」
そう言って胸を張った大和さんが無理をしているのは見ればわかる。
「そう?」
くすりと笑って、ぞくりと背筋を、走ったのは。何?
「え、」
そっちを見た。
――そこを見た。
それがこんな場所にいていいはずがない。
だって、もしも本当に、私の目が間違ってなかったら――そうだったとしたら。
クラーケン如き、何の問題にもならないぐらい、それがそこにいることの方が拙いはずだった。
「――うそ、でしょう?」
「どうかしたの、心海さん」
セナさんがそう聞いてくる。
「あ、あぁ……う、ううん。だ、大丈夫――」
大丈夫なわけがあるもんか――でも、あれはたぶんそれを教えた方がずっと拙くて。
大破局から今日にいたるまで生き残ってきた生物としての勘が警鐘を鳴らす。
私が彼を捉えることが出来るんだから、当然みたいに彼もまた私を捉えてる。
落ち着こうと息を吐いた。
ふるふると顔を振った。
それでも落ち着けなくてもう一度息を吸って、吐いた。
「ごめん、行こうか」
顔を上げて、クラーケンの方を見た。
無数の触腕をあげて、クラーケンがアイギスを薙ぎ払う。
「皆は、此処で待ってて」
私はそう言ってから一人、速度を上げる。
天へと伸びる行くともの触腕を掻い潜って、距離を詰めて。
「おはよう、クラーケン……それとも、初めましてかな?
房総半島をお前が食った時、お前は私を見てなかっただろうし」
彗星のように、ただの魔力の塊をぶっ放す。
嵐の空を切り裂いた箒星は僅かな放物線を描いて、クラーケンの脚の一つを消し飛ばし、本体の一部を抉り取る。
――それは確かにそれにとっては思ってもいない致命傷だった。
痛かっただろう。混乱しただろう。動揺だってしただろう。
だからそれは、当然の反応だった。
それは、新たに現れた生存への脅威を排除したいという反射だ。
しつこいくらいに迫りくる幾つもの敵なんて、その瞬間には何も映りはしなかった。
「そうか……お前は怪物だ。所詮は、ただの生き物だ。
だから、考えもなしにお前は目の前に出てきた新しい脅威を狙うんだ」
クラーケンが、動こうとする。狙うのは――
「ペルチスカ」
あぁ、そうだった。それはあいつがかつて喰らった房総半島の一部で。
中位天使の権能で成立している、文字通りの神秘の塊だ。
それは、アイギスでは護れない。
そもそも、護れるならあんな風に幾つも宙に舞って折れちゃいない。
だから、動くべきは――私以外に残ってない。
貝殻が私を護ってくれる。
触腕の幾つかを竜巻が押し返す。
秋の温かさが、私の魔力を取り戻させる。
――でも、これは、それじゃあ足りないかなぁ。
「――アンサラー!!」
セナさんが叫ぶ、光の剣が、私を庇うように展開される。
秘蜜さんが展開してくれた幻もろともそれは私を呑み込むだろう。
「――ペルチスカが、お前に食われるくらいなら」
貯め込んだ神秘も、全部護り使おう。
――生き残りたいって、もう少しだけ喜びを、幸せを感じたいって思っちゃったから。
それでも、張り巡らせた障壁が砕け散る――巨大な質量が、私を殴りつけた。
――――――――
――――――
――――
――
「ねぇ、私は、強い魔女で居られたかな」
戦域からずっと後退したアイギスの上、仰向けに倒れた心海は未だに灰色の空を見上げたまま。
致命的なまでに砕けた天冠と、傷だらけの身体とあらぬ方向に曲がったままの腕。
命は風前の灯火で、治療を拒絶する少女に出来ることは彼女を見送ることだけだった。
「キミは逃げなかった。ずっと怖いまま、それでも舞台に立ち続けた。
誰一人救えなかったとキミは言うけれど、それは違う。キミがいたから、此処まで生きて来られた者がいる」
倒れた、その身体を抱きしめる人を見つめて秘蜜は彼女へと近づいた。
「キミを縛っていた呪いは罰なんかじゃない、キミが選び続けた優しさの証さ」
彼女に誰も殺させない、それが彼女の心を護る為の最後の一線だと秘蜜は思った。
実際には誰一人、彼女の手で殺されてなんていなくて――だから。
「キミは、魔女だ、最後まで、皆を護った魔女だった。
――大丈夫、全部ちゃんと護れていたよ」
降りしきる雨脚が秘蜜の身体を濡らす。
「全て見届けた奇術師が保証しよう、キミの物語は、ハッピーエンドだ」
目を瞠ったその人は、疲れたように笑う。
「ふふ、最後まで騙されちゃったかな」
吹き飛ばされたイェラキの身体を回収して、アイギスへと降り立った時だった。
転がり落ちた杖を拾い上げた秘蜜へ、彼女は「あげるよ」と笑った。
「貴女なら、私の杖もきっと使えるだろうね」
そう呟いた彼女の呟きはあまりに濃い疲弊に満ちていた。
戦場に散らばった羽の一つ一つは力を失っていく。それでも、少女の微笑みは穏やかだった。
酷く疲れているようでも、その疲れさえもきっと心地よいのだと思えるくらいに。
「よく頑張ったわね、心海さん」
その手に一枚の羽を握りこんでセナはすっかりと濡れてしまった少女の髪を撫でた。
人間だった頃も、天使と成った後も、この子は独りで苦しみも悲しみも抱えて、頑張ってきたのだろう。
そんな貴女にあげられるものは少ないのかもしれないけれど、全てが終わった今はそっと抱きしめてあげたかった。
「貴女は、優しくてとっても強い魔女に慣れていたわ」
「ふふふ、どうしよう……笑ってたいのに、泣いちゃいそうだよ」
「大丈夫。貴女は笑っているわ」
久遠は少女を抱きしめる力を少しだけ強くして、労わるように背中を叩いた。
そう――今こうして流れていく水滴はきっとまだ止まない雨なのだから。
そう、だからきっと、私達のどちらの声もいつもと違っていたって、気のせいだった。
「ほんとはさ、セナさんや久遠さんと一緒に、マシロ市に行ってみたいんだ。
きっと、綺麗な場所だよね……あそこの中まで行ったことなんてないけど……遠目に見ても、とっても素敵な町だから」
「えぇ、行きましょう……一緒に、行きましょう」
「えへへ……嬉しいな……」
それは、彼女自身だって不可能なことを知っている。
そんなことを、分かっている。でも――
「いろんなもの食べて、色んなものを見て、ずっとできなかった色んなこと、したいんだ」
はにかんで、照れ臭そうに笑って彼女が笑う。
ぎゅっと抱きしめたら、折れた身体が痛いだろうか。
そう思うと、抱きしめるのも躊躇われて――けれど、抱きしめているこの子の身体から、力が抜けていくのが分かってしまって。
「――あぁ、どうしよう……皆は、皆は、幸せに過ごせるのかな。
止まり木は、消しちゃった。皆にとっての、楽園は――新しく見つけなくっちゃ」
思い出したように、震えて彼女が言う。
「大丈夫ですよ、イェラキ」
そう、黄金の髪を揺らしてペルセイスが呟いた。
「きっと、私が見つけましょう。私は、楽園の名前を貴女から貰ったのですから」
「あぁ――ペルセイスさん……じゃあ、安心だ」
ほっと安堵したように、目を伏せた。
あまりにも小さな、小さな、ただの女の子の身体から力が抜けて、落ちて行く。
嵐は未だ止まず、流れ落ちる涙も悲しみも、全部を洗い流してくれたならばどれほど楽なのだろう。
※『海の魔女』イェラキが討伐されました。
※ペルチスカの民が一部を除いて離散していきます。能力者陣営の勝利です――――
ロストアーカディア二周年!





