わたしとあなたの境界線


「ですからね、ちかちゃん。悪気ある事じゃァないと思うんですよ。ね、お父さんを許してあげては」
「それは、お父さんがそう言えって言っていたの?」
 御津那海の空が揺らいでいる。瑠璃色の美しい天蓋がそこにはある。
 見惚れてしまう程の美しい世界。終わることなく、毎日。
 匂坂 千鹿(r2n000011)はその場所に佇んでいた。K.Y.R.I.E.の能力者という訳ではなく、今は、ただの千鹿として。
「いえっ、あー……お、おじいちゃまが……」
「そう……うん、そうだね。……神祇院の友神派はそう言う人たちだもの。
 神と共に歩む、だっけ? そんなこと言いながら、結局は神様何てものに頼り切りなだけじゃない。
 わたしね、思うんだよ。全てを神頼りにしていないとダメって、馬鹿げた話だなって」
 結えた桃色の髪。くるりと大きく渦を巻く羊の角。じくじくと、痛み続ける幼い頃から存在する腕の
 諏訪に「ちか」とその名のつく神が居たらしい。本来ならばその器になる筈だったのだという。
 そうならねば、神の贄とする計画だったのだとこの地に来てから聞かされた。
 神の器になり得ぬただの。何の異能も持たず、何も知らされずに出生した少女は、贄として捧げられるはずだったのだろう。
「ねえ。ちゃちゃまるさん。
 匂坂の一族は生まれた子供に神様の名前を与えるんだって。
 ……それで器となる儀式をする。その印が、この腕の呪い。
 わたしは、神様の器になる適性も資質もなかった。でも、神様はわたしという存在に
「はいぃ……」
「そうするとね? 迎えに来るんだって。神隠しだよ。証がいたら、神様のものだから。
 わたしは、神様のものになるはずだった。贄になって、肉体を喪って、魂だけで神様の傍に行くはずだったんだって」
「ひええ……こわい……」
「わたしは、そうならず生きている。どうしてか、分かる?」
 千鹿は、ゆっくりと振り返った。
 父を思えば憎悪に滾り、苛立ちと憎しみばかりを溢れさせていたというのに――今の少女のかんばせには苦悩と悲しみが溢れている。
「わたしの母親は、身代わりになったんだって」

 匂坂 愛はロストエイジだ。マシロ市の孤児院で育って、両親の顔は知らない。
 それでも、それは当たり前のものだった。両親を知らない子供たちは多く、幼い頃から武器を与えられ、戦場に出ていく。
 天使と言う敵を殺す為に、教育を施されて戦士となっていく。
 その事に不満があったわけじゃない。それでも、家族と言う存在に憧れた事はあった。
 ――きっと、フレッシュという人々がやってきて、それは強くなっただろう。自分と違う存在が、自分の常識を崩して行ってしまった。
 匂坂 愛はヴァニタスだ。何も持たずに生まれて来た、ただの人間だった。
 それでも、天使症候群は愛と言う少女を見逃してはくれなかった。天使と戦うための力は、彼女への贈り物ギフトだったのかもしれない。
 ただ、天使を殺す為に、教育を施されて戦士となっていく。
 それがヴァニタスとしての在り方だった。それが当たり前だと思っていたからだ。
「……わたしに、元から力があればお父さんとお母さんは幸せだったのかな」
 きっと、知らないままなら幸せで生きていけた。
「……わたしが、不幸の元だったのかな。でもね、ちゃちゃまるさん。お父さんだけは、赦せないの。
 あの人は、わたしの友達を殺そうとした。だから、わたしは、お父さんを殺さなくてはならないの」
 匂坂 愛はK.Y.R.I.E.に所属するだった。
 ――されど、目の前にいるのは、アーカディアVIII派の天使だ。
 どれだけ愛くるしい姿をしていたって、あの着ぐるみの中には脅威となる天使が潜んでいる事には違いはない。
「はい」
 どれだけ、優しく相槌を打ってくれていたって、この天使が敵である事には違いはない。
 けれど、愛は――千鹿ちかはその傍に居た。
 母親を模したループを壊したK.Y.R.I.E.の能力者に武器を向けた自分は、もう、その場には戻れない覚悟までもをしている。
 皆を巻き込みたくはない。たとえ、
「……わたしは、お父さんを殺す。だから、力を貸してくれる?」
 その瞳に怪しい色が滲んでいた。ちゃちゃまるはそれを見逃すことはなく「手伝いますよ、ちかちゃん」とそう微笑んで。









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