それがはじまり


 誰かに、何かを願う事なんてなかった。
 だって、何を願えばいいのかも分からなかったから。

 幼い子供が両親にそうするように、駄々を捏ねた経験なんてなかった。
 靴下が上手く履けないだとか、パンケーキを切られてしまったことが腹立たしいだとか、ふりかけを自分でかけたかっただとか、そんな在り来たりな我儘(いやいや)なんてしたことがなかった。
 テーブルに着けば何時だってフルコースが与えられるような人生だったとさえ思う。
 メイは、そう言う生き物だった。

 2024年4月1日午前2時。
 出生記録にはそう書かれていた。安全なお産と、安心安全な出生。何ら心配事もなく母とのつながりを断ち切られて外に生まれ落ちた赤ん坊は、その時はまだ世界の変容など知らなかった。
 いや、母の腹の中で転寝をしているような時間では真に世界の在り方など知らなかったのかもしれない。
 メイにとって、天使が存在し、崩落した世界こそが当たり前だった。
 ――当たり前、だったのだ。
 横浜の病院で生まれ、東京へと逃げ果せるように避難を促された。
 途中で産みの母が命を落としたが、それもその時代ではよくある事だったらしい。
 メイを護るために看護師の女は何度も励ました。
 まだ生まれたて、一人では生きていけない赤ん坊をその腕に抱いていた女は何時だって捨ててしまってよかったのに――そうはしなかった。妙な愛着を抱いたのかもしれない。だから、生き延びてしまった。メイは生きたまま東京にまで到達をしてしまったのだ。

「メイさん」

 呼ばれるたびに、くすぐったくもなる。

「メイさん」

 ある日、それが自分を表す記号(なまえ)だと知った。
 少女が与えられるべき教育なんてものは余りになかった。ないない尽くしの世界ではとてもじゃないがまともに育つことはなかった。
 泥を啜るような生活で何時命を落としても致し方がなかった少女をその腕に抱いていた看護師は羽化していた。
 天使が赤子を育てるような生活は徐々に変化を帯びていく。

「――メイさん、それは……?」

 拾ったのだ。東京で、落ちていたおもちゃを。
 それが偶然で、それが必然で、それが最悪の始まりだった。
 だから、誰かに何かを願うなんて知らなかったの。
 願う事なんてなかったし、世界何て何ら変哲もなくつまらないものだと分かっていたから。
 だって、何を願えば良いのだろうか? 最初から何もなかったのに、今更どうすればいいって言うの?
 コスモスはずっとメイの傍に居た。
 コスモスだけが少女にとっての心のよりどころだった。
 これだけは、ずっと、傍から離れずにいてくれるはずだから――

 そう、だった筈なのに。

「メイ」

 貴方がわたしを変えてしまったのよ。

「――ねえ、タラリア」
 わたし、叶えたいものが、できてしまったみたいなの。
 罅割れる、罅割れる――罅割れて、わたしの世界に、光がじんわりと満ちていく。



※東京編決戦『ラスト・ゲイム:アルケー』が開始されました――!







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