やっちった。めーんご🌟
七井あむ、という人間がいる。
その経歴は不明。少なくとも2024年時点では一切の頭角を現していなかったことだけは確かだ。
あるものが、彼(ないしは彼女)に、当時何をしていたのか、と尋ねたときに、こう答えたという。
「ぼく配信者で食べてこうと思ってた。かわいいから」
吉瀬 瞳子(r2n000032)に彼女(あるいは彼)の人物評を訪ねるならば、その美しい顔をわかりやすくゆがめて、一言こう答えるだろう。
「悔い改めろ、くそぼけ」
七井あむ。KPA(キリエ&パールコースト造兵廠)において技術主任を担当する人物であり、少なくとも『人域においては天才と呼ばれる』人物であることに間違いなかった。そのマルチなタレントは、今日マシロ市で広く使われるスタンダードハンドガンに『ナナイ』の名を冠していることからもわかるだろう。銃器の基礎設計すら平然とこなす。そして、多くのマシロ市における生活のあちこちに、その名と技術を残していることだけは確かだ。
「やっべ、ぼくてんさいすぎない?」
中空に投影されたマルチディスプレイ。仮想キーボードをピアノでも爪弾くように操作してやりながら、あむは『V.A.L.K.Y.R.I.E.』システムの最終チェックを行っていた。V.A.L.K.Y.R.I.E.、つまり『新型の訓練設備』とでも言えばいいわけだが、AR的な現実投影、VR的な仮想表現、そして多様に変化するマルチプル・オブジェクトを利用した可変戦場構造体を備えた――。
「ひらたくいうと、何でも再現できちゃうすごいやつ」
で、あるらしい。ノーマルオブジェクトはいささかファンシーな見た目であるが、それはこの女(もしかしたら男)の趣味である。さておき、V.A.L.K.Y.R.I.E.の完成は、レイヴンズの戦力の向上に役に立つのは間違いなかった。仮想現実は、うまく使えばストレスケアにも使えるだろう。そういうわけだから、KPAも鳴り物入りでV.A.L.K.Y.R.I.E.開発プロジェクトを立ち上げ、KPAではトップレベルの人材を惜しみなく投入し、ここにその完成の日を見たわけだが――。
「ついにこの日が来ましたね」
研究員の一人が声を上げる。
「正直、初めて主任を見たとき――あ、このプロジェクトは駄目だ、と思いました。
でもほら、主任ってマジですごいもの作るんですね。人は見た目じゃない」
「めっちゃぼくのことかわいいっていってるのはわかる💙」
ぺろ、と彼(または彼女)は舌を出した。
「とはいえ、これまでの集大成です。必ずリリースしましょう!」
そう、別の研究員が言うのへ、あむはへらへらと笑った。
「んじゃ、起動テスト開始~」
ぽち、と、仮想キーボードのエンターか「ッターン」と押してみると、フラクタルなビジョンの中央に、V.A.L.K.Y.R.I.E.システムの起動ロゴが展開した。
同時――。
画面が赤に染まる。
発生する無数のアラート。
「やっべ」
あむがへらへらと笑った。
「やっちった。めーんご🌟」
「何したんですか!?」
研究員の顔が蒼白になる。
「昨日まではちゃんと起動してたじゃないですか!!」
「んー、今日思い付きで、エネミーOSのアプデしたんよね。
したらなんか、こう。うける」
「あーもういいや喋んないでください! まず手を動かしてください!」
「うーい。対策プログラムくむから、状況報告して」
「メインOSの半分以上を乗っ取られてます! V.A.L.K.Y.R.I.E.フロアのほとんどが占拠! 仮想エネミーOSゴンドゥルも乗っ取られ……っていうかそこがバグったんですけどね!
……というか、加速度的に進化しています! こちらの対応を観察している! これ、システムを乗っ取ってAI化してます! くそ、意思を持ってる!」
「そりゃ、ぼくが作ったプログラムだから、それくらいするよね。でも、まだまだガキンチョのうちに対処しよ。大人になったら、ぼくでも対処できるかわかんないし。
あのこがフロアを掌握する前に、フロア全閉鎖。基本スキマというスキマに樹脂流し込んで、物理的に一切外に出られないようにしといて。
ただし、入口の一か所だけは開けておいて。デバッグで使う。
とにかくフロアは放棄。外に出さないことだけ注力」
「了解。フロア内の所員は緊急退避!
5分後に特殊樹脂によるシーリングを行います!」
「デバッグどしよー?
ねー、おもしろいほうがたのしいよね?」
「手を動かせクソ野郎!!」
研究員たちが殺気立った世数で対応する中、ロリポップをガジガジとかじりながら、あむは仮想キーボードの上の指を爪弾かせた。
「んー、手っ取り早いのは、やっぱこうか。
直接的打撃による物理デバッグ。ヴァルハラOSに一時介入……拒否。ま、そっか。仕込んどいたバックドアから10秒だけ接続。デバッグシステムをインストール」
「「手伝います?」
「ぼくが手動かしたほうが高速。ほら終わった。これで大丈夫」
「直ったんですか?」
安堵の表情をみせる職員に、あむはわらった。
「なわけないじゃん。こっからはレイヴンズの仕事」
へらへらと笑うあむに、研究員たちは、減給か、最悪クビが飛ぶことを覚悟した。