物理デバッグ進行中
V.A.L.K.Y.R.I.E.への物理デバッグが進行している。
自身も時にフロアに降り立ちながら、しかし七井あむ(r2n000094)にとっての主戦場はバックヤードであり、持つべき武器は銃ではなく仮想キーボードであった。放つ銃弾はプログラムであるべきであり、紡ぐ呪文はコードである。KPAのV.A.L.K.Y.R.I.E.フロア、ギリギリで人類が保持したバックヤードエリアには、そのようなKPAの技術者たちが今も詰め掛けており、精力的な対策作業を執り行っていた。
KPA、という技術フィールドは頑固な人間の集まりであるともいえる。そもそも、K.Y.R.I.E.技術開発部とは別口の開発機関、という点で非効率的であると言えた。それはそうだろう、彼の超常の天才率いるK.Y.R.I.E.技術開発部から見れば、KPAなどは児戯に等しい技術力であり、K.Y.R.I.E.技術開発部の技術はマシロ市の維持に惜しみなく投入されているわけである。なのだから、素直にK.Y.R.I.E.技術開発部に全権を任せてしまえばそれでよく――既存人類の既存技術の延長線上で勝負をしたい、等というのは甘ったれたロマンチシズムであり、非効率の極みであった。
それでもなおKPAという存在がその残存を許されているのは、シンプルに結果を出し続けているから、である。結果を残せぬ技術に投資を続けるほどマシロ市に余裕はないわけだが、しかし生ぬるいロマンチシズムと非効率は、回り道であれど確かにゴールにたどり着き続けたのである。
今日のKPAブランドの一般化と大衆化は、言ってしまえば頑固者の意地による、たゆまぬ努力の結果に他ならない。そんな連中の実質的な頂点にいる七井あむなのだから、彼女(or彼)の内面もまた、頑固で厄介な技術者であることは間違いない。この『頑固者の意地』を、あむ語にすると「おもろ」となる。
話を現状に戻せば、とにかくレイヴンズたちが決死の物理デバッグを仕掛けている間にも、別の意味でKPAの技術者たちが決死の活躍を続けている、というわけだった。レイヴンズたちは独りではない。街に住むすべての人々の決死のバックアップがあることは間違いなく事実だ。
「AIが進化してますね」
そう、KPAの技術者が言うのへ、あむはうなづいた。様々な物理デバッグでの実地データ、その結果のほとんどはまだ帰っていないが、しかし現状でもわかることはあった。AI――つまり、バグ・プログラムによって発生した『悪意をもつAI』は、現実世界のデータを観測学習し、確実に知能と情緒を増している、ということだった。
「おもろ」
シンプルにそういった。
「面白いのは事実なんですよね。我々のクビがかかってなければ」
「マジでV.A.L.K.Y.R.I.E.の立ち上げ失敗したら、さすがのぼくでもクビが飛ぶかな~。
けっこみんなで無茶したよね。オルフェウスの技術理論も提供してもらったし、アガルタのデータもめっちゃかすめ取ったし。たのし。
ま、クビになってもいいけど。ぼく配信者で食べてくから」
「我々は配信者で食っていけないんですわ。
クビになったら中華街の地下で技術屋でもやるしかないんですわ」
肩をすくめる。奇妙な諧謔に、あむはにっこりと笑った。
「常連になってやんよ、きみの店なら」
「勘弁してくださいよ」
そう、別の方向から声が上がった。
「うち、二人目が生まれたばかりなんすよ。部屋を拡張してやりたい」
「ウケる、所帯じみてんじゃん。やだねー、ぼくは結婚しないかなー。ぼくがこの世で一番かわいいんで」
がじがじと球状のロリポップをかじりながら、あむはいう。
「実際どうなんですか。V.A.L.K.Y.R.I.E.」
「……まだわかんないかな。ぼくらのクビがつながるかは、レイヴンズち達しだいかなー。
ま、それまでにやれることはやっておいて。わかるでしょ?」
「ゴンドゥルAIの潜伏ポイントの確認。OKです。これも物理デバッグになるんです?」
「たぶんね。
んー、しかし、ゴンドゥルちもそうだし、発生AI、けすのおしーねー。
なんかこう……かわちな2等身マスコットのアバターつけて、めんご、すれば許されないかな?」
「残す気ですか?」
「そのほうがおもろくない?」
けらけらと笑うあむの表情からは、本気か否かはうかがい知れない……が、多分本気だろう。
いつも通り狂人じみた主任の発言を受け流しながら、KPAの技術者たちは再びディスプレイへと視線を向けた。
レイヴンズたちが頑張っているのだ。自分たちが必死にやらない理由はない。
かくして、物理・電子、両面によるデバッグ作業は、今日も続いている。