盛夏の激励


「で、データは役に立った? ぼくてんさいだから、ノーはないとおもうけど。てんさいだし」
 胸を張って踏ん反り返ったのは七井 あむ(r2n000094)――KPA(キリエ&パールコースト造兵廠)が誇る天才技術主任その人だ。
 彼(あるいは、彼女)が言うデータとは『現実的な没入型教育を実現するための仮想拡張学習キットVirtual Augmented Learning Kit Yielding Realistic Immersive Education』実験、通称『V.A.L.K.Y.R.I.E.ヴァルキリー』システムの物理デバッグでの能力者の戦闘データの事である。
「役に立っているよ、流石はKPAの天才だね」
「はなしのわかる美人ってきらいじゃないよ。ぼくのほうがかわいいけど」
 自信満々にそう告げるあむへ王条 かぐら(r2n000003)は余裕そうな笑みを崩さぬままに答えた。「うん。それはごもっとも」と。
「まぁ、私はマシロ市のまあまあ美人のおねえさん位って事にしといて――問題は肝心の成果の方だ」
 天使対策特別室K.Y.R.I.E.の室長であるかぐらは現在、能力者達の慣らし運転を行ないながら反撃の一手についての作戦立案を行って居る。
 それもこれも餅は餅屋にと言わんばかりに全てを押し付け――いや、来たあの男へと現状の成果を報告する為である。

 ――2052511

 そう告げてから三カ月程、K.Y.R.I.E.では能力者達の慣らし運転として近郊掃討やアガルタでの訓練を開始した。
 遠方への遠征任務を開始すればおいそれと安全地帯に帰還は出来まい。刻陽学園のキャンプ合宿を活かし野営へのフォローも行なった。
 そして(ややトラブルはあったが、それはそれだ)V.A.L.K.Y.R.I.E.でのテスト戦闘を行う事で現状の能力者達の戦闘スタイルの確立を支援する。
 それもこれも2024年4月3日からやってきた者達へのフォローだ。特に堕天使普通の人間だった者達への。
 実際問題、多様なる『実戦』の数々はK.Y.R.I.E.の――そして、時を超えてこの街の作戦遂行能力を大幅に上昇させた事だろう。
 そう考えたかぐらの表情が幾分か苦いものになったのはこれら全てがあの男の計算の範囲なのだろうという確信を得てしまったからだった。
「有能な怠け者は指揮官にしろだっけ――」
「……え?」
「ううん。何でも。これなら安心して送り出せるよ」
「……何処へですか?」
 かぐらの言葉に眉を吊り上げて問うたのは嘉神 ハク(r2n000008)その人だった。
「どこって、そりゃあ、に決まってる」
 当然の答えにハクは大きな溜息を吐き出した。頭が痛かった。
 ハクとて分かって居る。事態は差し迫ってくる。2052年4月1日以前と以後では世界が変わったのは誰の目にも明らかだ。
 平穏期とも称された2040年代。2027年の天使勢力の組織的な活動停止を確認して以後、『早贄と福音』事件を経てから最も平穏であったその時期を経て、明らかにマシロ市も、市外も変化している。
 だが、最大の変化はやはりフレッシュ達の世界への合流である事は間違いない。
 上層はマシロ市の都市能力を上回る人口を支える――『人道的』事態打開の為により積極的な戦略を立案している状態だ。そんな中、展開された近郊掃討では天使との遭遇事例が多くなり、変異体達も活発に動き出した。
(これが『良い』変化ならどんなに素晴らしい話だろうか)
 だが、その答えは無い。少なくとも今は無い。
 2026年に熾天使級の活動が沈黙していたが――まさか、と思わずに入られまい。これはただの暗くネガティブな勝手なる想像でしかないのだけれど。
「……現状の能力者達ではそこまで大がかりな作戦はできないのでは」
「不安は理解している。同時に……想像したくないリスクもね。
 ただ少なくとも、マシロ市には悠長に事を構えるリソースはあまりにないよ。
 結局は座して死ぬか、前に進むか、『優先順位をつける』かしかないんだ。
 例えば君は――この街の弱い者を、役に立てない者を切り捨てる選択肢を選べるだろうか?」
 ハクは苦笑した。
 少年のなりだが、彼は十分な大人である。
「嫌な質問だったね。そして答えるなら『私には無理』だ。
 念には念を入れて、近郊掃討、アガルタでの訓練に龍華会やマシロ警察と連携しての地下訓練。
 それに、KPAでの戦闘システム導入や刻陽学園でのキャンプ合宿での野営訓練もした。
 ……結局はタイミングの問題なら、私達は人事は為したよ」
「……………」
「繰り返すけど、フレッシュ達を受入れ、何もせずに居たらマシロ市の都市計画は破綻してしまう。
 だからこそ外に出る。そうしない訳にはいかない。元々は涼介君のプランだけど、考える程今となっては私も同意見なんだ。
 薄情風味の彼だけなら兎も角ね。ハクには私も――それ以上に自分も仲間も信じて欲しい。
 それだけの準備を念入りにしてきただろう? ……大丈夫だ。K.Y.R.I.E.は困難に打ち勝てる」
 念を押したかぐらはしかしハクの気持ちが良く分かる。彼は首脳部の人間では、レイヴンズの中でも相当数を占める『学生』に誰より近い。
「ああ、まあ――そうでしょう。それしかない、という事ですね」
 ハクは唇を噛んだ。かぐらの云う事は尤もだ。効率的な行政とシュペル・M・ウィリー(r2n000005)の異能じみた能力でギリギリ運営されていたマシロ市の都市計画はフレッシュの存在によってバランスを崩している。何時破綻しても可笑しくはないだろう。
 故に、人類の生存圏を広げるための作戦を立ち上げ、市外遠征を実施する必要があるのだ。
 これまでの近郊掃討など比では無い。K.Y.R.I.E.が、マシロ市が、探索範囲とした近郊区の更に外に出る事は最早『必須』なのだ。
 あの冷徹な市長の人間性はさて置いて彼が立案したのなら勝算があるのも事実なのだろう。
「どこまで……」
「まあ、横浜であることは確かだね。ただ、その後……横須賀か、鎌倉か……そちらに向かう為に橋頭堡が必要ではある。
 その前に、外がどうなっているかさえ未知数だからこそ、先遣隊による橋頭堡予定地の選定が必要になるか。
 ……一般論で言うなら高度な柔軟性を以って臨機応変に展開する、なんて言ったらぶん殴られそうだけど。
 きっと涼介君は大真面目にそんな感じなんだろう」
 かぐらの美貌が僅かに陰る。何もかもが暗澹としている。先に思わぬ存在が待ち受けて居る可能性とてあろう。
 ハクが言う通りが再始動したら――「うん、まあ、それも含んだ上での反撃かな」
 かぐらは脳裏に爽やかに笑いながら「為さねば分りませんよ」などと肩を竦めた男のかんばせを浮かべてから、首を振った。
「と、まあ。作戦についてはK.Y.R.I.E.人事統合部や学園にも正式に通達するよ。
 その前に、キャンプ・パールコーストが行なう海岸と基地の一般開放だけれどね、この反撃の一歩である遠征をの激励会を兼ねて貰うことになった。
 今回の最大目標は『海』の確保だ。沿岸部への確実な打通と周辺のクリアリングだ。
 或る意味、いいタイミングかも知れないけど、今回の催しは『らしい』感じじゃあないか?」
「ああ、……はい。聞いています。青年会の皆さんの夏祭りと合わせてですよね。
 その為にK.Y.R.I.E.とマシロ市としても祭をバックアップし、水着コンテストを開催するのだとか……」
 ハクはその情報だけは先んじて聞いていましたと頷いた。雑談の傍ら激励会のことを青年会にも言伝願ったが……さて、伝わっていただろうか。
「では、激励会の準備を頼むよ」
 かぐらはハクの肩をぽんと叩いてから「私はまあまあ忙しい><。」とデスクへと戻っていった。
 水着コンテストの会場確認はしておかねばならないかと全体スケジュール確認をしたハクと視線がかち合ってから、
「あ、ぼくの水着はSSRだから。それに盆踊りとかしないの? えもじゃん」
 あむはひらひらと手を振ってその場を後にした。
「……っ、盆踊りは体育祭でいいでしょう!?」
 ――生徒会長はその時ばかりは声を荒げたのであった。