旅立つ者の帰る場所


「ご迷惑をおかけしてすみません。お手伝いを申し込んでしまって……」
「ううん、何だか懐かしくなったから大丈夫。何時でも頼ってね、ハク君」
 穏やかに微笑むその人を見ると嘉神 ハク(r2n000008)の心は痛む。28年前の時代を思い出すからだ。
 当時のハクは生徒会長であり、目の前で微笑んだ美夢・ペンスフォード(r2n000053)――いいや、木ノ崎 美夢は会計だった。
 現在の龍華会で若頭を務める神寺 一弥(r2n000019)は書記を、そして押し掛け庶務の忍海 夏帆(r2n000020)と共に同じような準備をしたのだ。
「本当に、懐かしいね」
「……そうですね。あの時も夏休みに学園祭の準備を開始して、各部活動やクラスの出し物のための予算管理をしてましたね。
 夏帆が生徒会執行部コスプレ喫茶だと騒ぎ出して一弥さんが怒ってたのを思い出します。その後、水泳部の手打ちうどん屋に引き摺られていったっけ」
「そうそう。いきなり『私が美夢ちゃんのためにうどんを打つよ。見て居てね!』って生徒会室を粉だらけにしてたっけ……」
 刻陽学園学友会連合ブラックシープ、通称を『連合生徒会』とも呼ばれる執行部の会長であるハクは手許の書類をまじまじと見た。
 刻陽大学附属中学校時代は、こうした書類を作って教員に見て貰う事でやりがいを感じていた。
 今は学園の行事管理は己が行ない、学園長には形だけの承認を得るようなもの。時が経てば立場も変わるのだ。
「何かミスでもあった? ……に言われてから久しぶりだったから可笑しな所あったかも」
「いえ、完璧です」
 ハクはぎこちなく笑った。どうしたって28年以上も前の事を思いだしてしまうのだ。
 朗らかな気配を宿した美夢が呼ぶパパとは彼女の夫であるウィリアム・ペンスフォード(r2n000022)その人だ。
 一人で準備を行って居たハクを見かけたウィリアムは買い出しの役割を買って出て、妻の美夢にも手伝ってやって欲しいと声を掛けてくれた。
 偶然の出会いではあったが「可愛い娘の学園生活のためだ!」と弾む声音で言われては「ではお願いしようかな?」と答える他にない。

 ――刻陽学園文化祭。2052年9月21日、22日。

 その文字列を眺めてから「美夢さんは、不安じゃないですか?」とハクは問うた。
「……何れのことを聞いてる?」
「学園祭の前に、K.Y.R.I.E.は遠征任務を行なう事を決定しました。夏祭りと水着コンテストを激励会として、9月には初の遠征任務に出ます。
 それも、これまでマシロ市が探索範囲に定めていた近郊区域から踏み出す形の、です。それには、当然――」
「当然、ソフィーリアも行くかも知れないって?」
 美夢の顔を見てからハクは頷いた。彼女には娘が居る。魔術師の夫との間に生まれた一人娘、明るく笑う中学生の少女。
 ――ハクや美夢が生徒会をして居た頃と同年代の女の子だ。
 ハクにとってあの頃の思い出は褪せぬものだ。それ以上にその時代はまだ幼く大人の庇護下にあっても良いと考えている。
 そんな少年少女が10歳にもなればK.Y.R.I.E.の一員として戦闘行為を行なう。そして、遠征任務にだって参加するのだ。
「不安も心配も、当り前にしているよ。けど……だからってソフィーリアがじゃあお留守番するねって言わないと思うの。
 それは結斗くんも同じだし、今はもう、いないけど……夏帆ちゃんだって幸生くんに頑張ろうねって笑って戦場に行くと思う」
「それ、は……」
「だから、ママに出来るのは見送る事だけだよ。子供が一人で遠くに走って行けてしまうのは、少し寂しいけれど」
 肩を竦めた美夢は「それに帰ってきたら文化祭。それを楽しんで欲しいでしょう」とハクを励ますように告げた。
「アガルタの食育教室もあるんだって、るうあちゃんやシェス先生が張り切っていたもの。楽しみは多い筈!」
「そうですね。……皆さんに沢山良い思い出を作って貰わなくてはなりませんしね」
 ハクはどこか自身に言い聞かせるようにそう言った。
 刻陽学園は巨大な学校だ。9月の文化祭と10月の体育祭を合わせて『学園祭』と呼んで居る。
 その際には学生達は準備期間から様々な思い出を得ていくことだろう。その思い出作りの一助となるのがブラックシープだ。
 がらり、と音を立てて生徒会室へと入ってきたウィリアムは「ただいま!」と天真爛漫な笑みを浮かべて見せた。
「おかえりなさい、パパ。暑かったでしょう?」
「此処は涼しいね。頼まれていた物を買ってきたよ。はい、サンプルの布」
「もの凄く見覚えのある男の子が描いてある布なのは、気のせいでしょうか……」
「似てるよね? そう、そう思って買ってしまったんだ。結斗みたいなキャラクターの描いてある布と、これは結斗の概念を感じたカラーの布で、それから」
 鞄の中からの概念を取り出すウィリアムに美夢は「じゃあ後でポーチとか作りましょうか」と然り気無いスルーをしてハクを見遣る。
「布って、学園祭で生徒が使うためのサンプルに置いておくのよね。あ、これ浴衣の生地かな……麻……?」
「そうですね。防炎加工されているものはこういうのだよ、って。
 浴衣の生地があるのも良いですね。体育祭にどこかの――そう、KPAとかいうどっかの主任がですね!――盆踊り大会をするぞと意気込んでましたから」
 10月12日に行なわれる体育祭に合わせて盆踊り大会で浴衣を皆で着るという催しがあるのだ。
「七井主任らしいというか……」
「かわょなぼくの浴衣とかSSRでしょ、おもろ……って言ってましたね。
 うん、書類チェック大丈夫です。これで学生の皆さんに掲示してきますね」
 布もサンプルにと適当な大きさでカットをして掲示物を手にしたハクをまじまじと見詰めてから美夢は「ハクくん」と呼び掛けた。
「はい」
「……遠征任務、もうすぐだね」
「そうですね。初めての遠征となって僕自身も少し臆病風を吹かせましたが、きっと能力者の皆さんなら大丈夫。
 K.Y.R.I.E.は困難に打ち勝てるって、かぐら室長にも言われましたから。帰ってきたらこんなに楽しいんだぞって皆さんにも思って頂く為に準備頑張ります」
 ハクはそう笑ってから掲示物を手に生徒会室を出て行った。その背を見送ってから「ねえ、あなた」と美夢はウィリアムを振り返る。
「ん?」
「みんな、しあわせな夢を見て居られると良いわね。ずっとずっと」
 誰も欠けないような、万人にとってしあわせな夢をみていられるように彼女は帰ってくる場所を整えるのだ。
 ――何時の日か、自分の夢が叶うように。