雷域の娘
「よ、こ、す、かぁ~? あー、何だっけ?
ああ、はいはい。はいはい。分かった分かった。海ねー」
神奈川県大和市――雷の領域と化したその場所で、頬杖を付いて彼女はそう言った。それから何かを思い出した様子で「力天使かぁ」とそう言った。
「あたしはあの女に協力する気なんざさらさらないんだよな。良い子チャンじゃね? あれ。
そもそも、上の命令で捜し物ってどんな仕事だよ。その辺に落とした釦でも捜せってパワハラかぁ?」
美しい桃色の髪には茨が絡む。薔薇の花の天冠に真っ白な翼、金色の眸は美しい光を帯びて居る。
華やかな娘だ。じとりと睨め付けるような眸を差し引けば理想の天使像である。
ただし、その豊かな肢体が身に纏っているのがK.Y.R.I.E.の制服であることを覗けば、だが。
まるでヤツメウナギのような口を持ったドラゴンがぬたぬたと足音を立てて遣ってきた。
ばかりと口を開いたそれは雷を身に纏い女の前に傅いたか。女はその頭をぐっと踏み付けてから「もう一回言え」と低く言った。
「は? 人間が此処に入り込んでる?
クソボケ、入られてから言うとか脳味噌腐ってんのか?
つーか、その前に食い止めろよ。テメェ、何のために生きてんだこのべちょべちょドラゴン」
天使というのは伝承に登場する神の使いを意味する。
それは清麗で美しく、神聖な存在と人間の中間であるべきだ。
人間の欲求に理解を示しながらも道を示すべき存在。ただ、欲を知ればその身は堕ちるとされている。
しかし、天使ではなく天使である彼女はどうか。
「うざってェんだよ、クズ! ザコ位、さっさと殺せよ、何ちんたらしてんだよ。
は? つーか、んだよその目はよ。害獣が天使様に対してしゃしゃってんじゃねぇぞ! つっかえねぇなあ!」
その態度の悪さに加え振る舞いそのものが神聖で高尚な存在らしからぬものだった。
彼女のそうした態度に喜ぶように配下の害獣――そう呼ばれていただけだ――は身を揺らしている。
彼女はそれに更に気を悪くしたのか「揺れてんじゃねぇよ、さっさと行け!」と叫ぶのであった。
雷の領域内部、まだ立ち入らぬ場所より――その天使は人間の侵攻を知ったのだ。
「テメェ! おい、でけぇ方のべちょべちょドラゴン!」
「はい」
変異体であろうともその変異バランスによっては人語を用いての対話が出来る個体も出てくるだろう。
大きな個体はくるりと振り返ってから彼女を見た。
「行けや」
「はい」
「テメェらでさっさと人間殺せよ」
「分かりました」
頭をぶんぶんと振った変異体に彼女は嘲るような笑みを浮かべてから「出来んだろ、そん位よぉ」とそう言った。
ぐ、と頭を踏み付けるヒールに変異体が「助かる」と言ったか。「キメェんだよ!」と勢い良く踏み付ける女は苛立ちをその顔面に貼付けたまま呟いた。
「横須賀がどうだか捜し物とかどーでも良いんだよ。鎌倉もよ。
人間が生きるも滅びるもどーでも良い。
でも、ま、……ちょーっとは情報だけ仕入れておくか。力天使が醜態晒したら面白ェもんなあ。
ここじゃあ、あたしが領域の女王なんだから邪魔すんなよな……相変わらずクッソむかつくな! K.Y.R.I.E.!」
女はまるで幼い子供の様に叫んでから、足をドラゴンより退けて「さっさと行け!」と蹴り飛ばした。