
暮色蒼然の候
崩落した家屋は隅へと追い遣られ、馬が悠々と通れるようにと開けて行く道の先にその場所は存在して居た。
現在の鎌倉に於ける中心地たる仙泰宮は嘗ては鶴岡八幡宮と呼ばれた重要神秘拠点そのものである。
名の由来こそ、大破局から鎌倉を守り抜いた仙泰たる男に肖ったものであり、現在もこの守護結界の維持を行って居るとされている。その説明と共に外部の人間が結界内部に入るためには鎌倉にとって害敵ではないことを証明せよという願い入れがあったのだ。
K.Y.R.I.E.としては内部に何があるか分からない以上、彼等の言葉を呑み結界内部の調査を進めたい。
K.Y.R.I.E.室長の言葉を借り受けるとするならば「鬼が出るか蛇が出るか、どうあったとしても結界内部で調査を進めなくてはならない」である。生活をも窮する状態であったならば直ぐにでもマシロ市の手も借りたいはずだろうに、彼等は不躾にもマシロ市側の品定めをしているかのようだったからだ。
鎌倉側の態度には訝しい点がある――が。ともあれ鎌倉側の要請に伴った先の作戦は成功している。
ならば、結界内部にも入る事が出来る筈だ。
かくしてレイヴンズは周辺任務を達成し鎌倉へと再度歩を進めた……さすれば。
「よくぞお戻りになられましたな。流石は真白より城壁を作り上げた者達とでも褒め称えるべきでありましょうか」
「――おぉ、何故このような場所にまで。お身体に障りますぞ、お義父上」
老齢なる男性がレイヴンズを待ち受けていた。
一体何者か――思考を巡らせた、その時。
そそくさと老父の傍へと駆け寄っていく佐竹 黄蓮は読んだ。彼を義父上と。
ならば、それこそが話に聞いていた先代――仙泰と見るべきか。
「耄碌しておろうとも、わたくしめの力はそう衰えておりませんとも。
この眼はしっかりと皆様方が我らが鎌倉が為にと尽くす姿を見ておりました。実に素晴らしき姿でしたとも」
「お義父上……皆様方、この方こそが仙泰宮の主なる仙泰と呼ばれるものでございます。
この結界の主で有り、今現在も結界の維持に尽力しておられます。
鎌倉に生きる我らにとっての恩義ある存在であり、父そのものですとも」
「父などと……鎌倉が崩壊していく折に、わたくしは子等を拾いましたとも。2024年より、幾人もの子を拾い、そして見送った。
その悲しみは皆様方とも同じでございましょう。不躾にも皆様を試して申し訳ありませぬ。これも父が子を護りたいが為であったと……苛立ちという矛を収めては下さいませぬかな?」
穏やかな調子で告げる老父の声音は、緊張をも解きほぐす。黄蓮も彼を心の底より信頼しているのだろう、浮かべる笑みは喜色に満ちる。
「黄蓮や、この方達にはしっかりとした宴席を用意するように。我々が生きていく為には必要不可欠なのだから。
……ああ、K.Y.R.I.E.でしたかなあ。その名は昔聞きましたとも。
世話をした事がある子が、幾人もK.Y.R.I.E.より来たと……懐かしい。あの子達が生きていたならば皆様との再会を喜んだのでしょうなあ」
仙泰はそう言ってから結界へと手を伸ばした。黄蓮が気遣う様にその身を支えたか。
薄膜が避ける様にも見えた刹那、空気が変容した。内部から漏れ出でた暖かな気配が能力者の身を包み込んだのだ。
「どうぞ、お入り下さい」
仙泰が促す。――どうにも気乗りしない。
「さあ、どうぞ」
黄蓮が促す。――一歩、踏み入れれば重苦しい空気がした。
「この結界は特異なものですから、身が馴染むまで少し時間が掛りましょう。
簡易的な宿舎も宮に用意致します。巫女達も小規模ながらも宴席に皆様をお誘いすることでしょう。
……ああ、しかし内部を自由に歩き回ってくれても構いませぬが、くれぐれも皆様方だけで地下道を歩きなさるな」
仙泰は何処か悲しげな表情を浮かべ、黄蓮が「ああ、お義父上」とわざとらしく声を上げる。
「よい、よい、黄蓮。彼等には伝えておかねばならぬだろうよ。
宮の地下には牢が存在しておりまする。
そこには嘗ての仲間であった者達……天使へと変容してしまった者達を捕えております。
暴れ回る者は宮で組む自警団や神職が引き受け、尊い命を奪う事も在ります。
しかし、見知った存在を殺すなどと我らにはどうにもできなかった……!
故に牢には彼等が囚われている。命を間引く必要があります。手を貸してくださるというならば介錯を頼みたいものですが……。
皆様方の負担にはなりたくは無い。……ですから、心のご負担に成られますようならば近付くことはなきように」
「……それでは、皆様を宮にご案内致しましょう。
大変な失礼を致しました。これよりは我々の賓客としてどうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
黄蓮は両手を広げ、能力者達を迎え入れる。
結界内部で感じられる生温い空気に、重苦しさ。息が詰るのは結界に身が慣れていないからと言ったか?
それにしたって、奇妙な空間だ。先に進む仙泰は一礼したかと思えばそそくさと宮の中へと消えて行ってしまったか。
目の前の男は心の底より能力者達の戦果を喜んでいるかのように笑っている。
鬼が出るか、蛇が出るか、それはさて置き内部に入れたならば調査が必要だ。目の前の男が信用に足るかどうかも、この際には別問題か。
「ようこそ、鎌倉へ――」
能力者達はマシロ市外部の人類の拠点、鎌倉へと漸く踏込んだのだ。
