
マシロ会談
「そろそろおいでになる頃合かと思っておりましたよ」
摩天楼の執務室――市長専用のオフィスは日中の時間に関わらず、十分な人払いが済んでいた。
「別に隠していませんからね。でもまあ。中々面白い場所ですね、ここは」
「防犯意識が高いでしょう?」
マシロ市を最近訪れた謎の美少女メアリー(r2n000151)を出迎えた涼介・マクスウェル(r2n000002)の言葉は冗句めいていた。
メアリーが面白いと称した彼のオフィスは鬼才シュペル・M・ウィリー(r2n000005)によって設計され、規格外の悪魔であるラプラス・ダミーフェイク(r2n000004)の運用する、マシロ市において最も堅牢な防護空間である。即ち、涼介が二人きりを望んだ以上、この会談に余人が入り込む余地は無い。
「貴女を相手にするのに有象無象に水を差されるのは御免被りますからね。
それなりの舞台にはなっているでしょう?」
「僕に相応しいかは兎も角ね。半端な天使位では近付けもしないでしょう。
……まったく、それも察知出来ず。
子飼いで情報を得た気になっていたあの力天使と来たら」
「貴女の下はつくづく、かえすがえすも浮かばれませんね」
肩を竦めた涼介はメアリーの顔をじっと見た。
相も変わらず美しい。化粧気等微塵も無いのに白い肌も長い銀糸も、金色の瞳も。全てが作り物のように透き通っている。
文字通り神の作り給うた美貌は――しかし、悲しいかな。その心根の美しさに反映されていないのも以前と全く変わっていない。
「しかし、気の利く対応ばかりは褒めてあげます」
「ほう?」
「僕がこの街を訪れた時点で用があるのは貴方に決まっている。
大人しくしていた以上、貴方は僕が早期の荒事を望んでいないと判断した。
秘書の女性から話を聞いて、すぐに準備を整えた……といった所ではありませんか?」
「どうでしょう?」と嘯いた涼介に目を細めたメアリーは口元を告白に綻ばせて言葉を続ける。
「お久し振りです。アーカディア・ツー」
メアリーの口から零れたそんな戯言に涼介は肩を竦めた。
「相変わらずですね、マリアテレサ。
聞く耳は持たないでしょうし、貴女の主張を捻じ曲げるのは中々骨が折れそうだ」
「僕が貴方の都合を勘案する必要がありますか?」
「ありませんね。私が貴女の考えを斟酌する意味がないのと同じように」
「生意気」
強烈な皮肉にも微動だにせず、メアリーは――マリアテレサ・グレイヴメアリーはただ華やかな笑みを浮かべていた。
天上にあっても、地上においても至高を極めたその存在感は人智の及ぶものではない。
数日間のマシロ市の散策では一切見せなかったその真の存在感は相手が涼介だから遠慮なく漏れ出した彼女の本質そのものだった。
「会談の要望は理解していた――では、この会談の意味の方は?
ふふ、どうせ貴方の事だからそれも承知なのでしょうけど」
奇妙な信頼を寄せて水を向けるマリアテレサの口元には微笑みが張り付いたままだ。
楽園の天使達が震え上がるその至高の愉悦も涼介は一顧だにする事は無い。
「御存知の通り私は優秀ですからね。
簡単に論理で予測してみましょうか。
第一、前提として貴女は無意味な行動はしない。
貴女は基本的に怠惰で、その仕事の大半は楽園に鎮座している事にある。
第二に。過去の履歴から、貴女の仕事は非常時対応である事は知れている。つまり」
「非常時対応を仕事にする僕がこのマシロ市を訪れた事は重大なインシデントを見つけたから、ですか?」
「正解ですが部分的ですね。イージーなひっかけ問題です」
涼介の返答に「それで?」と促したマリアテレサは実に興味深そうな顔をしている。
「重大なインシデントとは間違いなく私の事でしょうが――
重要なのはこの降臨は貴女にとって仕事ではないという事実の方だ。
いや? より厳密に言うなら……アーカディア・ワンとして貴女はここを訪れていないと言うべきか」
「おかしな事を言う。僕はこの世界の何処においても無二なる僕ではありませんか」
「貴女がアーカディア・ワンだったのならマシロ市はもう灰になっておりますよ。
尤も、そんな大雑把なやり方ではどの道私は仕留められないでしょうがね」
「自信家」
「貴女程じゃあない。
続けますが、では貴女がそうしなかったのはどうしてか。
推測は混じりますが、簡単な話です。
このマシロ市を訪れたのはメアリーだったからです。
至高の一の仕事ではなく、より個人的な理由でこの街を訪れ――私に会いに来た。
言ってしまえばこの会談は天使代表と悪魔のそれではなく、マリアテレサ・グレイヴメアリー個人と涼介・マクスウェルの個人会談という訳です。
市内を愉快そうに散策していた理由もそんな所ではありませんか?
滅びた人類の残滓は、それでも日々を生きる人々の姿はさぞや愉快だったでしょう?」
「成る程。貴方は僕が個人としての用でマシロ市を訪れた、と見た訳か。
確かに仕事の僕ならばもうとっくに話は済んでおりますね。
アーカディア・ツーが沈むかどうかは別にして、少なくともマシロ市はもう無い」
「そもそも、マシロ市が貴女に重大インシデントと認識されるとは思いません。
今この瞬間、私とやり合っていない時点でね。
今回の貴女が貴女なりに融和的である事実は確定的です。
言い換えれば私を狙ってきた訳でもない、という事になりますからね」
「それで」と涼介は本題を促した。
「マリアテレサ・グレイヴメアリー個人が当市に、或いは私に何の御用です?」
問いは直截的であり、極めて重要だった。
しかしマリアテレサは上機嫌の中に嫌な顔をしてみせた。
「分かっていて問うような方は好みません。
要領の悪い愚鈍よりはマシと言えばマシですけれど」
「まあ、貴女が来るという事はそろそろ時期という事なのでしょうね。
私が手に入れた大駒が生きてくるという事ですか」
「今回の話に貴方が絡んでいると知って、正直驚きましたよ。
初めから知っていれば流石の僕でも力天使如きなぞ遣いにはやらなかったでしょうに。
……しかし、結果として事情は変わりました。
複数のアーカディア・イレヴンがあの子に注視している。
いえ、僕としては貴方が絡むも絡まないも実は大した問題ではないのです。
しかしね。決勝戦が始まるのなら、この状況は良い余興になるとは思いませんか?」
「人類圏決死の抵抗を余興ですか。
まあ、実に貴女らしいがマシロ市長としては頷けませんね」
「此の世で最も他人がどうでもいいエゴイストが囀るではありませんか!」
涼介の言葉にマリアテレサは珍しい笑い声を上げていた。
「ともあれ。貴女の望みはそういう事で構いませんね」
「ええ。まあ、元より貴方達に選択肢はないでしょうけど。
重要なのは僕はマシロ市と貴方を認知した。されど、滅びの日はまだ先という点です。
市長さんとしてもやり直しの手間が先送りになって嬉しいでしょう?」
マリアテレサの軽侮に涼介は応えなかった。
ただ、彼は最後に言う。
「メアリーさん、今日は美しい方とお話が出来て光栄でした。
当市は多少奇妙なれど、とても良い場所です。
ゆっくりと残りの滞在をお楽しみ頂ければ、市長としてはとても嬉しく存じますよ」