
審判の刻
「では……そろそろ宜しいですね?」
第五熾天使の権能が一つによって構築された地……パノプティコン。外界から隔絶された、絶対の監獄の中枢にて――今、一つの裁決が下されようとしていた。それは第五の天に下れと告げる勧誘であり……
人類に刃を向けよ、露と消えたくなくば――
事実上、そう宣告している悪魔の囁きでもあった。
「答えを聞きましょう。愚かな選択はしないと信じたい所ですが……さて。
返答は明確に、言の葉に乗せ紡いで頂きましょうか。
我が影の一片となる、その誓いの言の葉をね」
「――悪いな、其れには乗れぬ」
されど。その勧誘を真正面から魂(r2p000385)は否と断じた。
……いや、彼だけではないか。なぜならば。
「……私も、貴方の影にはなりません。
忠誠を捧げる。ただそれだけで救われるのだとしても……
私が抱いた唯一の忠誠は、唯一人にだけ捧げられるモノだから」
「あんたに生き方を決めてもらうのは不服って事さ。悪いな」
夜神 ステラ(r2p002295)に宗堂 シンジ(r2p000139)も同様に断りの意志を示すのだから。
ステラにとって忠誠とは、容易く別に乗り換えるようなモノに非ず。
永劫変わらぬ忠誠の注ぎ先は、一つだけだ――
「甘言を重ねられたとて、掴みとるものは決まっている。
拒否をするよ、アレクシス。ヒーローは敵に寝返らない」
「猊下、数多のお心遣いに感謝します。
しかし――貴方は、心のこもった一輪の薔薇を下さる事はなかった。
……だからこそ嘘偽りない気持ちで答えます。愛の無い贈り物は、嫌!」
「貴方は間違った事は何一つとして言っていません――
それでも、私は貴方の言う愚かな人間であることを選びます。
誰かの考えによってではない。自分自身の導き出した答えとして」
続け様には断固とした意志で日野原 晃輝(r2p002534)が。
鵜来巣 未明(r2p000774)が。地上 真珠星(r2p001838)が――答えよう。
いずれも否であると! 第五の天の影にはなれないと!
「――なるほど。それで?
他にもまだいますが、そちらも同様ですか?
貴方達も我が影に下るは嫌などと?」
「……私はアレクシス様の望む理想を見たいです」
であれば……アレクシスは、それらの返答にまだ感情の色を見せず残りの面々を見渡すものだ。この場に集められたレイヴンズは11人。未だ意志を見せていない者もいるのだから。
故、言の葉を紡いだのは榊原 京(r2p000044)。
彼女は告げる。嘘など一切込めず、ありのままに。
――ヒトデナシの私でも平和に暮らせる理想が欲しい。
もしもソレが本当に手に入れば、どれ程の幸福の中にいられるのだろうか。
それはそう。間違いなくそうに違いないのだろうけれど。
「だから、貴方を神として信仰したいです」
しかし、それでも。
「信徒として懺悔します」
声が震えながらも、続ける以外の術は持てない。
「私は神の敵となります。
私はもう――最愛の人のものですから」
アレクシスの配下には成れぬ、と。
顔を歪めながら。胸中には毅然とした、高揚たる感情を秘めながら。
「私は私の大好きな人達を信じてる、そして私も皆に信じられてる。
だから皆の命乞いする事はしないし……
何もかも忘れてあーたの影になるなんて事も絶対にない。
私は……いや、マシロ市は負けない!」
「えぇ、お断りします。
受け入れればマシロ市の大事なものを救うと仰っていましたが……
あなたには――私の大事なものは、きっと救えない」
そして明星 和心(r2p002057)とクラリッサ・クラーク(r2p002781)も、己が意志を述べる。今ここで屈するのは、帰還を信じるマシロの皆を裏切ってしまう行為であれば、和心にとって……とても許容できるような選択ではない。
クラリッサも似た様なものだ。彼女にとって大切なのはマシロ市。
そこに住まう人々なのだから。戦うも、生命を賭けるも、唯一それだけ。
(……すみませんね、ヴァルトルーデ。
貴方は、アレクシスに祈れるのでしょう。それを否定はしません。しかし……)
同時。彼女は――アレクシスの傍に控える一人の天使を見据えよう。
ヴァルトルーデ・ライフラス。敵対し、戦い、しかし短い間ではあったがこの地にて言の葉と感情を交わせた相手……少し。ほんの少しだけ、感情が傾きかけもしたけれど。
(己が傲慢で人を選別し、慈しむことのない――この『神』には祈れない!)
自らを神の如く扱うこの男だけは認めがたいのだ!
「私はあなたの影にはならない。
私の事を壊れている、などと言っていたわね。
フフ。それでもいいわ――例えなんと言われようと、壊れていると称されても。私が守りたいものは日本全部だから。アレクシスさん、あなたには日ノ本を背負うなんて――荷が重いわね?」
そして。蘇芳 菊蝶(r2p000425)はアレクシスを見つめながら、優しく告げるものだ。
彼女の信念とアレクシスは相容れない。
元より、分かっていた事ではあるが。あぁしかし遂に言ってしまった。
――これにて、後は引き返せない。
レイヴンズはいずれも強い意志を瞳に秘めている。アレクシスはそれらを見渡し、て。
「愚か――等とは。今更言わないでおいてあげましょう。
予測は出来た事です。愚民の思考から抜け出せぬ者が少なからずいるだろうとね。
まさかここまでとは思いませんでしたが……
やはり人間は度し難く不合理なものです。
しかしそう答えるのならば――これよりどうなるかも、また分かっているのでしょうね?」
故に。アレクシスは微笑を浮かべるまでだった。
だがその微笑みに慈悲の色は一切宿っていない。
この裁決は、恩寵を受け入れる栄光の場であると同時に、命を繋ぐ、最後の場でもあったのだから。それを受け入れないというのなら、後に残る結末はたった一つだ。
静かに、せりあがる。
殺意の水面が静けさをだけを帯びながらも、冷たく、無慈悲で、止まる事は無い
――感情を荒げる程の事ではないというだけの話なのだ。
そう、レイヴンズ達の命など、撫でれば終わるだけの事なのだから。
だから――アレクシスは怒らない。ただ、ゆっくりと粛清の意を込めた指先を彼らに向けて――
『――ちょっと待ってくれ』
だが、その時。
『一つ、願わせてくれ』
「おや……何をです?」
『こいつらを無事にマシロ市に帰してほしい。
そうしてくれたらもう好きにしていい。俺の事はな』
「……りもこんさん?」
『俺が成るよ』
その時。たった一人。たった一人だけ――
アレクシスに対し、恭順の意を示した者がいた。
――りもこん(r2p005402)だ。
『粛清の時も、こいつらは俺の手で磨り潰す。
だから――今この場では見逃してやってくれないか?』
「りもこん……!?」
「何を――!」
シンジが、晃輝が。りもこんを見据えるものだ、が。
彼の紡ぐ言に一切の虚言はない。
彼は皆を救わんとしている。己が全てを捧げてでも。
(――あぁ。全く、なぁ)
そういう存在は作らない様にしてきた。最後の決意が鈍るから。
大事なものなどありはしない。世界が崩れた日、医者の自分は何も救えなかったあの日から、むしろそうすべきだと信じて生きてきた。少なくともマシロ市ではずっとずっと……そうしてきた。
だけど、話は変わったのだ。
語らい。接し。情を交わせばどうしても……あぁ、クソ。
ここにいる10人が――大事で大事で仕方ないんだ。
喉の奥が渇く。もう彼も、後には引けない。
だけど仮面の奥底――胸の奥での軋みにも、嘘は付けない。
「俺はな」
――誰かが傷ついて倒れる前に、傷つかずに守れる者になろうと思った。
――だから。ここでこいつらをあんたの慈悲で守りきれたら。
「俺はあんたに感謝するよ。俺に役割を果たせてくれた恩人だって。
そんな忠誠心じゃ不足かよ、神様」
言おう。アレクシスの幕下に加わると。
……で、あれば。
「フ、フフフ――成程、なるほど? そう来ましたか」
アレクシスは、先程とはまた異なる笑みを見せるものだ。
口端を吊り上げ。不敵たる気配を纏いながら。
りもこんを、まっすぐに見据えて――
「謀りを一片も込めなかった事は良しとしましょう。
貴方の心は解しました。しかし、私はこう告げたはずです。マシロに大事な者がいるというのなら、その者達は例外にしてやると、ね。……だが? ここはマシロではありません。分かりやすく言いましょうか、貴方達の事は、そもそも対象外であるのですよ」
「――それは」
「言葉遊びだと思いますか? しかし、そもそも私の――えぇ。
私と言う神の恩寵を拒んだ不心得者達を救ってやる道理はないのですよ。
貴方達は元々、二つの道だけがあった。私に首を垂れるか、ここで死ぬかです」
りもこんが、もし。マシロ市の誰かを指定したなら、恐らくアレクシスは違える事無くそうしただろう。だがパノプティコンは違うのだ。そもそもからしてアレクシスの告げた言の条件外である。彼は嘘は言っていない。
更に言えばりもこんを除く全員はたった今、傲慢な神に宣戦布告を果たした者達なのだ。
未来に生殺与奪を握られるであろう羊と、今まな板の上で捌かれるのを待つ羊は違う。
命が助かりたいなら、恩寵を受け入れれば良かったではないか。その覚悟の上での見栄だろう? と。アレクシスはそう言っている。そしてその言葉はアレクシス自身が無意識の内に愚かな勇者に込めた、一抹の評価であったと言っても良いのかも知れない。
――信心深い者には寛容を。不心得者には粛清を。
神には時に傲慢とさえ呼べる誇りが不可欠だ。
アレクシス・アハスヴェールが自らを真の神と謳うのなら神が前に囀った勇者の決意を無碍にはすまい!
「ですが――まぁ、そうですねぇ」
だから、アレクシスはこの時僅かな逡巡の顔を見せていた。
それは見栄を張り通した十人に向けた評価であり、賢明に自らに降ったりもこんへの気遣いにも似ていた。
「我が恩寵を受け入れると誓った、貴方の切なる願いです。
全てを無下にするというのは些か慈悲に欠けますかねぇ。
……ならば私も最後の譲歩と機を与えようではありませんか」
「譲歩……?」
「簡単な事ですよ。貴方達は私との語らいの最中にも、随分とアレの事を気にかけていましたね? ならば――えぇえぇ。最終結論は貴方達がとてもとても大好きなターリルに任せましょう。フフ……ターリル、いますね?」
「はい、アレクシス様」
瞬間。アレクシスの傍に、ターリルがやって来る。
無邪気な様子を秘めながら。
いつも通りのターリルの儘でありながら。
「ではありのままに応えなさい。
彼等……救いを理解しない愚かな羊達に下る裁きは何が相応しいと思いますか?」
「――――」
誰かが息を呑んだ。
構わずにアレクシスは言葉を続ける。
「私にも、他の天使達にも何ら遠慮する必要はありません。
可愛いターリル。貴方は貴方の思う通り、貴方の望む通りに答えを紡ぎなさい。
愚かな勇者達に相応しき先行きは自由か。それとも絶対の終焉か。どうですか? ターリル」
「はい、アレクシス様」
答えろと水を向けられたターリルは何時もの笑顔のまま、一拍も置かずに答えを出した。
「――殺しましょう」
そこには確かに一瞬の迷いさえも存在していなかった。
彼女は何時もの柔らかな調子の侭、レイヴンズの抹殺を選択したのだ。
ターリルはそう言った後、その視線をアレクシスからレイヴンズへと移す。
「皆さんがアレクシス様の下に来てくれないのは、すごく、すごく……残念です。でも仕方ないですよね。アレクシス様に逆らうなら、それってリルちゃんの大事にもなってくれないって事ですもんね?」
「ターリル――」
「だから、バイバイです。ステラおねいさん! 皆さん!」
ターリルの貌には、アレクシス以上に純粋で。にこやかな笑顔が張り付いていた。
――あぁ決して忘れてはならない。忘れてはダメだ。
ターリル・マルタルは、天使であるという事を。
彼女は人の味方などでは、決してないのだ。
……いや、もう少しウェットに言うのなら。彼女はそういう風に出来てはいなかった。 「裁決は下されました。であれば最早残る道は一つ」
洗礼を受け入れた者は許そう。
だがそれ以外は――始末する。
『そんな――』
抗議めいたりもこんがくぐもった声を上げて言葉を閉じた。
「りもこんさん!?」
誰かが悲鳴を上げた。
胸を押さえて苦しむその姿は承諾を述べた彼が既にアレクシスの権能に侵されている事を示している。
「まさか承諾をしておいて、好きに振る舞い続ける事が出来ると思っていたのですか?
いっそ貴方自身に決別の証として粛清させても良いのですが……彼らの命を請うたばかりの貴方にそんな事はさせるのは、流石に酷でしょう。ですが、裁決通り貴方達には最悪に惨たらしい死こそが相応しい。彼等が拒絶したのは……私が折角にも設けてやった救いの糸の否定なのですから」
だから。
「だから――私が直接、その命を摘んであげるとしましょう。
彼を尊重し、せめて苦しまない様にはして差し上げましょうか。
何か言い残す事はありますか?」
「――そうね。それなら、その結果すら拒絶させてもらうと言おうかしら!」
「俺は人として戦う。命が尽きるその時まで……諦めはしない!」
瞬間。未明とシンジが即応しよう。
アレクシスに対し最後の抵抗を試みるのだ。勧誘を拒絶したレイヴンズとて黙って殺されてやる気はない。自らにも仲間にも指一本触れさせぬと、未明は己が力を行使し氷のブーツを身に纏い――
「あんたの事は嫌いになれねぇ。それでも、俺達はお前に勝つと信じてる」
「夢物語ですね。我が慈悲を拒絶した以上、もう貴方達はいりませんよ?」
「――それでも。あんたは人の強さを……本当の意味で理解しちゃいない! 解き明かせぬ理が此処にあるぞ!」
シンジはどこまでも人として在ろう。
されどアレクシスの殺意は本物だ。要らぬと断じたなら、粛清に迷いはない――そして、アレクシスを害させぬと天使級達が現れる。彼らは主を守護するべく、そしてレイヴンズの抵抗を削ぐべく叩き伏せんとしてくる。
「皆で生きて、必ず帰るよ……!」
「アレクシス様……信仰をお認めください!!」
続けて和心と京も応戦に移っていた。
武器が取り上げられている以上、戦闘すら厳しいが……和心は天使級らをなんとか食い止めんとし、京はアレクシスへ声を張り上げながら自らの五感を活用して戦場の状況を把握せんと試みた。どこかに希望は、脱出の為の穴はないのかと!
されど自身の誘いを断った不信心者の言葉ばかりは神に響こう筈も無い。
――押し潰れろ。あり得ぬ希望を抱きながら。
「くっ――! せめて、少しだけでも道が拓ければ……!」
「私は……まだ夏休みの宿題を終わらせていません。だからマシロ市に戻るまで……学生としての本分を果たすまで、死ねませんッ! 小学生ですけどね!」
神意は何処までも圧倒的だった。
更に、晃輝は懸命に隙がないかと模索するが全く見当たらない。
自らの影をもって抗するが敵の数が多すぎて時間稼ぎすら難しいのだ。
……だがそれでも。小さな、叶えたい約束があるのだ。
死ねない。されば、真珠星も似た想いを抱いている。
――本当なら夏祭りにも行っていたはずだったし、まだやりたい事が一杯ある。
――死ぬわけにはいかない。私、普通に大人になりたかったんだなと、そう思うから。
「耐え抜け……! 機は、ある筈だ……!」
「脱出の可能性を、か細い糸でも掴むことが出来れば……!」
次いで魂は一寸たりとも絶やす事なく周囲の観察を続けよう。
可能性0を1にする為に。不可能を可能とする為に。
誰も彼も、ステラも『脱出の可能性』そのものを探るべく共に力を尽くさんとするものだ。
……されど、やはり見つからない。
どう足掻いても不可能の文字しか浮かばないのだ。何故だ? ステラは思考する。
(女に恥をかかせたら――許しませんからね、伊達男……!)
あの天使の言に嘘がなければ、何かはありそうな筈だが――
今ではないとでも言うのだろうか?
これ以上無い位に舞台は運命を試している筈なのに、彼は動く様を見せていない!
「――どうしました? 完全な破れかぶれという訳でもなさそうですが……
ああ、奇跡かなにかで私の監獄を打ち破ろう、とでも思っているのですか?」
「どうかしらね。少なくとも……もし、私達の運命が此処での『死』を指し示しているとしても。そんな運命なんて、捻じ伏せ従えてみせるわ!」
アレクシスは菊蝶の啖呵を鼻で笑った。
「笑止。私も随分舐められたものです。
ミハイルですらパノプティコンを打ち破るのは無理だというのに、貴方達で出来るとでも。
単一の奇跡で打倒が叶うのなら、デウス・エクス・マキーナを簡単に肯定するのなら。
パノプティコンは難攻不落の監獄足り得ぬ。その認識こそが神を愚弄する人の愚かな限界と知りなさい!」
「――蘇芳さん!」
アレクシスの一喝が物理的な威力を伴い、菊蝶を壁へと叩きつけた。
アレクシスは、レイヴンズの抵抗を面白がるように眺めているだけだ。
故にこの戦いは戦いですらなく、悪趣味に彼が時間を引き伸ばす拷問の時間に他ならない。
余程の自信があるのだろう。人の身の尽力程度でなんとかなる代物ではない、と。
「だい、じょうぶ――絶対に、絶対に折れないから……!」
それでも菊蝶は魂と手を繋ぎ、か細き糸だとしても奇跡を手繰り寄せんと試みる。
クラリッサも菊蝶の名を告げながら、彼女の力を補強せんと手を伸ばす。
この場を混沌の如く滅茶苦茶にかき乱す事が出来れば、或いは――と。
だが、どれ程抵抗を試みようと総ては無駄である。
ここはパノプティコン。アレクシスの権能が一つたる絶対の監獄であり、端的に言えば敵地の中心部なのだ。
そもそも敵性存在の奇跡を強く阻害する地の利は当然として、その上で天使級など数えきれない程の数がいる。更にはヴァルトルーデやターリル以外の幹部級も内包している。
バルトロ、エルシィ、ブラムザップ。
ベルセノス、イザベル、フィフス。
フェルエナ、ジルデ、ウィラ――
列挙した名は主力ながら、数の上ではたかだか一部。力天使や能天使、次いで権天使や大天使達を押しのけ脱出の機を掴むなど死力を尽くし奇跡を願っても、土台不可能である。
微かな希望に縋ろうとも、そも武器さえ取り上げられてもいるのだ。どうしようもない。
万か億か譲って……もしも隙を突く事が出来たとして、殆ど全ての不利を振り切り、一瞬の好機を掴めたとして。それでも――
アレクシスが無理であるのは絶対だ。
真の力にほど遠き姿なれど、それでも人類にとって隔絶した絶望である。
逃れられる目など存在しない。0は0であり、それ以外の結論を許さない。
……覚悟と決意は尊い。それは時に不可能を可能とする事もあるかもしれない。
だが同時に、砕くに足りぬ絶対の壁というのもまた存在するものなのだろう。10人の人類が命を懸けてアレクシスをどうにか出来るなら――きっと既に、人類は天に勝利している。
――押し包まれる。やはり、どうしようもない。
無数の天使級達が迫りくる。刃が彼らの身を抉り。銃撃が彼らの命を抉る。
アレクシスは満足そうに微笑み、ターリルはソレらをどこまでもにこやかに見据えるだけ、だ。
繰り返すが彼らの抵抗は無為である。
何をどう足掻いても。彼らの命運は此処で尽きるだろう――
……だが。
――俺ぁアンタ達みてーなバカが大好きだね。
とある天使のお告げは嘘ではない。
――アンタ達の運命は最初から俺の手じゃあ追い切れねえ。
――だからまあ、最後は努力と健闘と大分の運次第なんだろうが。
――せめて、アンタ達の運勢が一等である事を祈ってるぜ。
運命なる存在は、例え主天使であろうと図り切れるモノではない。
だが同時に、運命は悪戯好きであり誰に味方するとも限らない。故、もしも状況を覆すとすれば――運命という名の女神を振り向かせたくば――努力と健闘となにより運が必要だというのは、どこまでも世の真実だ。
……だからこそこれは。偶然にして必然であったのかもしれない。
無駄である筈のレイヴンズの抵抗。稼げた時間はどれ程か。それは数分にも及ぶまい。
だが――その僅か数分の抵抗が、彼らの運命の水面に漣を作ったのは間違いない。
いよいよ抵抗の余力も潰えんとした……正にその時だった。
その僅かな揺らぎはきっと。無駄な――無為な努力を重ねたからこそ訪れたのだ。
「……ゲラントの合図ですって?」
アレクシスの声は良く通る。
彼の端正な表情が歪んでいる。
常に余裕を見せていた彼の貌から笑みが消えている。
同時に、全てのアレクシス麾下の天使の動きが止まっていた。
「……何? 何が起こったの?」
「アレクシスの様子が……妙である、な……?」
最初に菊蝶と魂が気付いた。アレクシスに異変が起きている、と。
レイヴンズの視点からでは生じえた事は分からない。だが――どうも見た限り。
彼の意識がどこか別のモノに注がれている気配を感じる。
それは。アレクシスの真の側近たる智天使からの緊急連絡であった。
完全隔絶領域には高位天使の力を以ってしても念話を届ける事は不可能である。
だが慎重なアレクシスは己が側近たる智天使には単純合図の方法だけは届けていた。
あくまでただの合図である。その合図の意味する所は至急、パプティノコンから出て通信を繋げてくれだ。
ゲラントのような能吏がそれを使う事の意味は知れている。それは間違いなくS級の問題発生に相違ない。
「…………成程、このタイミングでとは。
不運は、構えている時にやってきてはくれないものですね。
しかしそうなると、この場に時を費やしている場合ではありませんか」
玉座のアレクシスが立ち上がる。そして。
「早急の所用が入りました。彼らの粛清に関しては、一端捨て置きます」
「しかし猊下。抹殺するだけならば御身ではなく、我々だけで十分に……」
「いいえ。彼らの命を終幕へと導くのは私自らが行います。
故に、それまでは決して手を出さぬように。
このパプティノコンは絶対だ。神に反目する奇跡に縋ろうと無駄ということ。
シ・ビュラの檻にて、遺言と最後の祈りを残す時程度はくれてやってもいいでしょう」
アレクシスは一言追加で釘を刺す。
「貴方達も彼等には接触しないように。
彼等は私が処刑するのです。それが何より重要だ。
特にフェルエナの顔を見ていたら――彼等を今すぐにも殺してしまいそうですからね!」
「――かしこまりました、猊下」
ヴァルトルーデが天使級に指示を出し、粛清の中止を命じた。
どうもアレクシスは追い詰めるまでは良いが、最後の始末に関しては自らの手で行いたいらしい。それが、アレクシスの裁決を拒否したというが故なのか、それとも他に何か理由があるのかは分からないが――
「まさか、このような事になろうとは運が良かったですね。
……いや。ただ単純に先延ばしにする、というだけの事。
苦しみが長引くと思えば運が良かったはさて、知りませんが……まぁいい。
りもこん。貴方は少しついてきなさい。洗礼を授けて差し上げましょう」
「――――」
「今さら無かった事には、ならないわ。
ええ、幸いね。貴方だけは恩寵を受け取れる」
茫とアレクシスに付き従うりもこんにどれ程の自由が残されているのかレイヴンズには知れなかった。
「……お互いに別れの言葉を告げたいなら猊下が再び戻って来られるまでに済ませておく事ね」
ヴァルトルーデの言葉にはほんの少しの憐憫が滲んでいた。
いずれにせよ。ほんの微かな一時だけだが、レイヴンズの命は繋がったようだ。
……だがソレは告げられたように不測なる何かが生じて、少しだけ先延ばしになっただけの事。アレクシスが戻って来れば、その時こそ終わりである。二度目は無い。
彼らの命運は、未だ崖の端にある――
ただ。
――ああ、そういやステラチャン居るんだっけ?
――じゃあ、朝のほし占いは期待は出来るんじゃねえの――
「……………」
シ・ビュラの檻に強引に戻されんとしているステラの脳裏には、どうしてか。
崩天のミハイルの言が――ずっと響き続けていた。
かくて揺れたパプティノコンの切っ掛けはまさに運命への投石となる。
ゲラントからの念話を受ける為、一時的にパノプティコンを脱したアレクシスの柳眉が歪む。
「それは、間違いのない話ですか? ゲラント」
無意識に強く詰問したアレクシスに能吏は恐縮しながら肯定を返した。
――申し訳ございません。しかし極めて緊急性を帯びていると判断しました。
まだ程度は知れませんが、由々しき事態に繋がっている可能性も否めません。
「……………」
無言のアレクシスのプレッシャーはゲラントでなければ受け止め切れるものではなかったかも知れない。
ただ、報告を聞く限りではやはりゲラントの判断は正解だった。
この事態を報告等しなかった日には比喩ではなく雷を落とさずにはいられない。
――パノプティコンにお籠りになられている以上、些事ならばお伝えしないのですが。
やはり、この事態は見過ごせないものです。カイロスの奴めが――
※りもこん(r2p005402)が洗礼勧誘を受け入れました――彼は今後、アレクシス直轄の力天使級として人類の敵となるでしょう。
※パノプティコンに捕らえられたレイヴンズが抹殺され……かけましたが、ギリギリの所で生き残っているようです。

※本コミュニティは特殊なコミュニティとなり、加入は出来ません。(一部のNPC、EXPC、「不明」PCのみが所属しています)