
チェイス・ゲイム
「見つけた」
御殿場に設置された簡易キャンプにて索敵を行って居た嘉神 ハク(r2n000008)はそう言った。
勢い良く立ち上がった王条 かぐら(r2n000003)の椅子が大きな音を立てる。響めきと共に彼の手元に集積されたデータへと幾つもの目線が集まったか。
「あむさん」
「おけ、見えてる。いち、に、さん、し……頑張ったじゃんアイツら。――うん、頑張ったじゃん……うん」
「あむさん?」
「鬼ごっこの参加者が一人足りない。遠すぎて誰かまでは見えんけど」
ぼやく七井 あむ(r2n000094)の傍でVALKYRIE(r2n000098)は悔しげな表情を浮かべて俯いた。
「きりでも何が起こっているかわかりませんの。ハクちゃまと広げていた広範囲索敵網の中に唐突に人影が見えただけ。
皆ちゃまがどう言う状態であるかも分かりません。何処からどうやって出て来たのかも。
恐らくは何らかの権能や敵の術中であったのかと思います」
「うん。でも、今はそこを考えて居る場合じゃなさげ。
あいつら追われてる。索敵、広げれそう? ハク、キツイ?」
「いけます。無理のし甲斐がある。……追撃を行う天使が数体存在して居ます。
脅威判定も完了。隊を分断し、それぞれで足止めをしましょう。
一先ずはゴール地点は簡易拠点と設定して戦略を組み立てましょう」
「よし、……状況を簡潔に纏めてから皆に説明して貰っても?」
かぐらの問い掛けにハクは小さく頷いた。
第五熾天使の軍勢との衝突地帯である御殿場に現在のK.Y.R.I.E.は簡易拠点を設置している。
それは天使によって拐かされた11人の能力者の救出作戦の準備と索敵のためだ。
その索敵網に突如として10名の能力者の反応が見られた。――1名足りていないのは何かがあった、と言うことだろう。
「……はは、涼介君は下手な博打は打たないとは思っていたけれど。
今回も負けとはならなかったようだ。この際、何が起こったかは良い。彼等がいるんだね?
それも、敵に追掛けられながらも逃亡の最中。事態は混迷としているがシンプルな解法が見えてきたというわけだね。
我々は彼等を救援に向う事が出来るようになった。つまりは、助けられる」
容易な事ではないとも心得ている。だが、容易ではないからと目を背けられるほどに女は冷淡ではなかった。
一度ぶら下げられた希望を前にしたのだ。それを掴みとらずになど居られるものか。
「して、どうする?」
華氷 ヒメリ(r2n000018)の問い掛けに「え? 聞く必要あった」などと浪花 アルネ(r2n000145)がぱちくりと瞬いた。
「いーや、なかったよ。行くだけだろ」
堂々と告げた忍海 幸生(r2n000010)にハクが少しばかり渋い表情を浮かべた、が、仕方が無い。
かぐらとてよく理解している。K.Y.R.I.E.の能力者達の命を背負い、進まねばならない。
中位天使。力天使。あの横須賀戦でさえも力天使級一体に対してあれだけ苦しんだというのに。
「嫌にもなるね。どうにも苦難ばかりが押し寄せる。
のんびりとティータイムを楽しむ時間さえないのかと思うと遣る瀬なくもなるね。
さて、我らの苦難は一際大きな波となったみたいだ。追撃として力天使級か……。
だからといって、迷っている時間はないね。命懸けの鬼ごっこを開始しようか――!」
「さあ、鬼ごっこにしましょうか」
ぱちん、と乾いた音を立てた。しんと静まり返ったその場所には余りに似合わぬ楽しげな声だった。
ゆっくりと顔を上げてからエルシィ(r2n000198)は思う。
やっぱり。やっぱり。
直感していた。あの人達は、そう言う人達だ。しかして、それは同時に己の、主の判断を盲目しなかったという裏切りでしかないのだ。
けれど。
けれど、これはおのれが殺さなかった罪だ。罪は、消さなくては。生きている為には、消さなくては。
エルシィは乾いた笑いを浮かべる。アレクシス様が本気になれば、あの場にいた人間は、塵芥にすぎない。それもまた事実だ。事実、なのに。
――私の、生来の、気弱さからくる、怯懦。それだけでは、説明できないような、何かを。彼らは、持ち合わせている、ような。
だから。
だから、こんな。
「エルちゃん。人間の人たちが逃げてしまいました! ほら、鬼ごっこを始めましょう!」
いつもの通り、エルシィの望む明るく天真爛漫で穏やかな友人はそう言った。
「ひひ、ひ……はい、そうしましょう。……殺さなくては、ならなかった……っ!」
「ええ、そうです。アレクシス様が手を下すまでもありません。だって、わたしたちはあの方の影なのですから!
さあ、いきましょう? ――粛清の時間です。……おねいちゃん? それとも、何か躊躇う事でも?」
響めきはさんざめく雨のように次第に広がっていく。廊に響く軍靴の音は、無数の影と共に一斉に波の如く遠離る。
静寂を取り戻したばかりの謁見の間に今は主の姿は無い。立ち尽くす白服の女だけが唇を噛み締め忌々しい現実を呪っていた。
「いいえ、有り得ない。有り得てはいけないの。人類と僅かにでも言葉を交わしたから? それで、躊躇う訳がない。
時間がない。時間がないわ。伽藍堂の牢など有り得るわけがなかった!
……直ぐにでも追手を。私も向かいます。
ああ、……罪人は所詮罪人であったということ。
それに……ええ、それに猊下の恩寵を拒絶した挙げ句の果てにこれとは……。
挨拶の出来る良い子かと思っていたけれど、随分と礼を欠く客人を招き入れてしまったものね。
ただ、影なる同胞を一人、受入れられた事だけは良かったのか」
そう、独り言ちるヴァルトルーデ・ライフラス(r2n000203)の言を耳にしながら少女は立っていた。
「おねいちゃん」
酷く冷たい響きであった。ターリル・マルタル(r2n000197)はそう呼び掛けた後、ゆっくりと瞬きを一つ。「ヴァルトルーデ」と。
そこに立っていたのは彼女が目を掛け慈しみ愛する妹ではない。ヴァルトルーデ・ライフラスよりも位階が一つ上の天使だった。
歪に固められた砂の城を容易く壊すようにして彼女は言葉を紡ぐのだ。
「この場を任されていたのは、おねいちゃんですよ。指示を」
そうだ、そうだ――何が起こったのか。まだ、理解さえできていない。冷静たれ。
パノプティコンにて宣言された洗礼勧誘を受け入れたはただ一人。
これはそうはない栄光、渇望の的である。誰もが喉から手が出るほどに求める慈悲。
主の慈しみ深き提案を拒否をしただけでも罪深いというのに。愚かしくも交渉までもを持ちかけたのだ。
しかし、主は慈しみ深き存在だ。彼が交渉に応じた後――残されたのは監守の死骸のみ。
そして、その顛末が空の牢だという。
「――……」
冷たい汗がその背中には流れていた。
何と言う在り様だ。おのれが罪に問われたとて仕方があるまい。今すぐにでも粛清とその首と胴体が別れを告げたとて可笑しくはない。
不安が彼女を変える。ヴァルトルーデがもっとも欲しいものとして、玩具に反映し出される。
「ターリル」
「構いません。追走劇くらい。笑って済ませてやればよいではありませんか。
それに、我らはアハスヴェールの影。この程度些末な事でしょう?」
「……ええ、そうね」――彼女は、当り前の様にヴァルトルーデに安心を与えた。
「罪人は捕えましょう。猊下は仰いました。自ら手を下されるのだ、と。
それに、人間程度捕えるのも易い事。中位天使にとってはちょっとした暇潰し程度のゲイムとなるでしょう。
そう……罪を重ね、やりやすくなっただけ。彼等は自ら首を差し出してくれたというだけのこと。殊勝な行いです」
乾いたその声だけがその場所には響いていた。座に着かぬ主の代りを行うように少女は謁見の間を練り歩く。
誰に望まれたかなど明確だ。
この場の誰もが主の勅を待っていた。彼が居ないのであれば彼を映し出せば良い。
その声に、仕草に、目線に、心を沸き立たせ、闘争と宿命へと駆り立ててくれるのだから。
「――身の程を教えてやりましょう。
露命を繋ぐ程度を許せぬほどに狭量ではありません。
ですが、度も過ぎれば神罰も下るもの。『裁き』の時間がやってきました」
少女はまるで第五熾天使が如く振舞ってそう言った。
彼ならばそう言うだろう。
――だが、失敗は許されぬ。アハスヴェールの影は主の命を遂行せねばならぬのだから――!