
狐とがちょう
うそ、うそ。
幾度となく女は繰返した。
うそです、うそ。うそだ、うそじゃないと。
だ、だめ。そんなこと、あってはいけないことなのに。
『歪みの』エルシィは頭を抱え、空を駆る。私が望んだ、たった一つの事、生きている為に必要不可欠なあなた様――彼の下は安寧で、安全で、傷付く必要も無い楽園であったというのに。
その楽園が欠落した。あろう事か、人類の手で。
自らが選び、見逃したがらくたの山の光る石達が。
「あ、あ……あっ……うそ……」
形振り構っていられずに、エルシィは追掛けることを止めてしまった。
殺し尽くすつもりだった。すべて、すべてを。第五熾天使の裁決を否定した全てを。
それを、こんな、浅ましい。己の感情一つで戸惑って殺す事を諦めてしまうなんて。
「ベルセノスさ……っ」
「聞きましたか、エルちゃん」
ひゅ、と息を呑んだエルシィの視線の先には彼女がいた――ターリル・マルタル。青い瞳の小さな少女が。
「あっ……ターリルさ、ん……あ、あの、本当、に? 本当の、本当に?」
「はい。……驚いて人間を殺し損ねましたね。お利口な人間さんでした。
リルちゃんを殺す事を選ばず、場を引き延ばし、出来る限りの時間を稼いで、鬼ごっこをクリアしようとするだなんて。
……そう、そうです。アレクシス様の為に、リルちゃんたちはあの人達を殺して、みんなを捕まえなきゃならなかったのに……なのに、あんな……」
ターリルは俯いた。彼女のかんばせに張り付いていたのはあからさま程の悲哀であった。涙を浮かべ、憂い、そして惑うような表情。
それはエルシィがターリルという少女に求めている人間性――優しく、穏やかで、何時だって自己を肯定してくれる友人。
「ベルおじーちゃんを殺すだなんて、許せません……っ。
そうでしょう? エルちゃん。あの人達は自分の仲間が攫われただけであれだけ大騒ぎをして居たのに!
リルちゃんたちの大切な仲間を殺しても悪びれることもない! ひどい! ひどいです!」
ぼろぼろと大粒の涙を流す青い瞳の彼女にエルシィは大きく何度も何度も頷いた。
「そう、そう……そうです……っ、そう、です……!」
「復讐しましょう。あの人達がそうするように。
エルちゃんがそう望むのならば、リルちゃんは、そうします」
渇望するというならば、彼女はいくらだって望む通りに動いてくれる。
「ターリルさん……」
「ヴァルトルーデおねいちゃんが帰ってきたら、話し合いましょう。
おねいちゃんは最もあの人たちに近いところに居た筈です。だから、どうなったかも知っている筈」
「ヴァルトルーデ、さんが……? じゃあ、あの人達に一番に接触して……?」
「いいえ、それは新しい影が、りもこんさんが。
大丈夫です。アレクシス様の下さる宣告は彼の心だって救ってくださいますよ」
ターリルの微笑みを見ても、エルシィは安心する事は出来なかった。
いつだって、彼女は安心をくれていたのに。今日ばかりは、不安が膨れが合っていく。
それでも、アレクシス・アハスヴェールが己の手を下すと言った囚人達を取り逃がしたとなれば――?
己の頭と胴体が別々になってしまう、かもしれない。それは致し方ない。粛清は甘んじて受け入れるべきか。
「だ、大丈夫、でしょうか」
「大丈夫です、ねえ、おねいちゃん――?」
ターリルはゆっくりと、ゆっくりと、振り返った。そこには――