
第五熾天宝冠
「この、ドブカスがああああ!!
なにしてんだよテメェ!! 覚悟はあんだろうな、ァア!?」
「ふ、は――どうしたふぇるえな。そんなにも囀って。
あぁそれとも……忘れたか? 僕らはカスでないし、僕は鬼だ、ヒトではない。
熾天使に喧嘩を売った鬼だ――覚えておけ。フェルエナ」
霊峰富士。その膝元でフェルエナは、捕らえた魂(r2p000385)の顔面を蹴り抜き去っていく。
激怒だ。激怒している。脱走者が出た挙句、結局彼一人しか捕らえられなかったとは!
あぁ恐ろしい……! 一体どのような判断を下される事だろうか。
遂に帰還なされた、アレクシス・アハスヴェール様は!
「…………」
「報告は以上となります、猊下。
パノプティコン崩落につきましては申し開きのしようもなく……
ベルセノスは役目を果たそうとしましたが……戦場で散り、未帰還です」
「……成程。事態は理解しました」
ヴァルトルーデは、ただ沈黙しながら耳を傾けていた主へと余す事なく伝える。
パノプティコンの変災。ベルセノスの失陥。人間達の逃亡とその結末……
一切の嘘も、一切の虚飾もなく。ただありのままを――アレクシスへと。
さすればアレクシスは沈黙の果てに……やがてゆっくりと口を開き……
「まぁいいでしょう。今や、その程度であれば些末な事です」
吐息一つだけで総てを片付けた。
(……おいおい、マジかよ)
その様子を見ていた、力天使りもこん(r2p005402)は心中で悟ろう。
間違いない。アレクシスはベルセノスが死んだ事など砂粒一欠片程の感情も動いていない。報告に対し『あぁそうですか』と聞き流したのだ――彼の、最期を。
……第五熾天使は部下の失態を余程でなければ許す。
だがそれは彼による優しさではない。興味がないからだ。
アレクシス・アハスヴェールという神は愚民に期待などしない。
アハスヴェールの影であろうと例外ではないのだ。
詰まる所……自分以外を有象無象と捉えている。ベルセノスの奮戦と想いなど知らぬ存ぜぬ興味もない。
誰も同列などとは思わないし、全て等しく無価値であると捉えている。だから部下の失態にも心は動かない。その心中を言葉として表すならば『お前達はどうせそんなものでしょうからねぇ』――と言った所だろう。
……強いて彼が失望を抱くような例外がいるならば、それこそ智天使ぐらいだろう。彼が失態でも犯せば、それは彼に価値を見出し智天使に置いた、己が目の節穴になる為に。
「……まぁ、現状が良いとは言いませんがね?
かつて一度も崩落した事なき我がパノプティコンに亀裂が走り、あまつさえ捕らえた筈の人間のほとんどに逃走されるなど前代未聞です。実に馬鹿馬鹿しい。愚か極まる。私がいれば異変が生じると同時に、原因そのものを即座に見つけ、消滅させてやった所です。
……とは言え、もう過ぎた事。
貴方達も懸命に事態を収束させようと試みたのでしょう?
ならば私が罰を与える程の事は無い――
この場に裁きを下す対象がいるならば、それは一人だけです」
と、その時。
アレクシスは眼下に視線を滑らせるものだ。
其処にいたのは魂である――あぁつまり。
「では粛清の時です。私が戻った以上想定外などもう二度と生じませんよ?
――遺言があるなら聞いて差し上げましょう」
「フッ、ハハ、ハ」
さすれば魂は、豁然とアレクシスを見据えながら、言を零す以外の術を持たぬ。
遺言。遺言、か。あぁならば告げさせて貰おうと敢えて笑う。
「あぁきっと我はここで死ぬのだろうな」
だが。
「それならば――最後の一暴れだけさせてもらおうか」
『……魂さん! 待て!』
瞬間。魂は不敵に不遜に。元より叶わぬと知る最期の抵抗を試みた。
荒々しい闘気が彼より溢れ――同時にアレクシスへと跳躍する。
五指を固め奴に一撃加えんと、往く! K.Y.R.I.E.にとって最大の敵たるアレクシスに傷の一つでも付ければ御の字といった玉砕をも覚悟した、決意の突撃であった。
自ら死にたい訳ではない。されど、もしも。もしも己にまだ生きるという道があるとすれば――奴を殴り飛ばす以外には、あるまい。
例え、夢想と呼ばれる類であったとしても……己は、帰らねばならぬ場所があるのだ。
「猊下!」
「不要です、下がりなさい。
これは彼の最後の輝きですよ。一度は裁決の対象とした者……
ならば今際の名誉をくれてやろうではありませんか――えぇ」
さすればアレクシスはヴァルトルーデらの動きを制し、魂を真正面から見据える。
あぁなんと可愛らしい抵抗だ。あまりにも一所懸命。愚かしい、愚かしい――
だが折角だ。その愚かしさに免じてくれようではないか。
「魂、でしたね? 喜びなさい。貴方には」
一息。
「我が真の権能を見せて差し上げましょう」
「――!? 猊下、しかしここには、りもこんが……!」
『――何、をッ?』
アレクシスの言。ヴァルトルーデは驚愕し、りもこんは困惑の色を見せる。
だが直後に生じた――極大の神秘の発現に誰も二の句が継げぬ。
それは。第五熾天使の真の権能。秘匿し続けていたアレクシスの切り札――
――『森羅万象の理よ、我が手中たれ』起動。
何が顕現したのか。だが理解している暇はない。
魂はそのまま全霊にてアレクシスへ殴打の一撃を――だが。
「ッ――!? なんだ、と……!?」
手ごたえが無い。
おかしい。アレクシスは魂と比して隔絶した実力を宿しているのは間違いない、が。今の一撃が通じなかったのはそういう次元の話ではなかった。拳に込めた威そのものに完璧に対処されたような……
困惑。焦燥。その光景に満足したかのようにアレクシスは答えを告げるものだ。
「無駄ですよ。貴方の能力、人生……全て理解し終えました。
貴方の紡ぐ全て、私にはもう通じません――
しかし全く、この身では解析完了までに恐ろしく時間がかかりますね。
本来の私であれば大概の者は瞬時に解析しうるというのに。
謁見の間で語らっていなければより深く手間が掛かっていたでしょう」
「……!? あの最中にも、権能の影響が!!?」
直後。魂の右の腕が吹き飛んだ。
アレクシスの魔術だ。放つ魔力の奔流が魂を穿つ。
「おの、れェ、ッ――!」
右の腕がダメならば、左の脚でアレクシスの身を撃ち抜かん――が、それもダメだ。
魂という一個人の総てが解析されてしまった以上、彼はアレクシスに決して届かぬ。元々権能抜きでも絶望的な相手だったろろうが……しかし今は文字通り一寸の可能性も潰えているのである。
彼の一挙手一投足がアレクシスの手中に在るのだから。
何をしても見破られる。全ての技も動きも決して届かない――
吼える。鬼が咆哮と共に死力を尽くし……それでもアレクシスの権能は揺らぎもせぬ。
残った左腕。果てにはアレクシスの喉に食らいつき歯を突き立てんとしても……
アレクシスはただただ徒労の抵抗を嘲笑うだけであった。
『魂さん……! くっ……、……』
さればりもこんは、思わず目を逸らしてしまおうか。
何も出来ない。彼が心の奥底で何かを想ったとしても、何も出来ないのだ。
アレクシスに逆らえない束縛を受けている。彼に出来るのは……ただ拳を握りしめ、沈黙するのみ。
「では、そろそろ気が済みましたね? 終わりとしましょうか」
「く、ッ――ぁあ――が、ッ――ぁ――っ」
「恐れる事はありません、身を委ねなさい。
我が権能の真髄はね……解析しえた者の力を掌握する所に在るのですから。
貴方の力は、我が中で生き続ける。
素晴らしいでしょう? 私が創造した至高の宝冠……
あらゆるものを管理下に置き拡大し続ける、究極の権能だ。
貴方の宿していた力は、私が適切に有効活用して差し上げますよ」
瞬間。アレクシスによって致命の術式が放たれ、呑み込まれると同時――
魂は自身が分解されていくのを感じる。
抗えない。馬鹿な、クソ、こんな事が……! まずい!
(ダメだ――これは、これだけは誰かに伝えねば――!)
己の異能が、切り札が、鷲掴みにされる。
ダメだ。アレクシスに殺されるのだけはダメだ! 命を賭してアレクシスに向かうのは、奴の権能に喰われる危険性が潜んでいる!! この情報を、誰かに。誰かに……!
だがどれだけの想いを抱いても、もう指一本動かせない。己が蕩け消えていく。
あぁ――
(菊蝶)
瞬間、脳裏に思い浮かんだのは仲間達の事であった。
特に……菊蝶(r2p000425)に想いを馳せる。彼女の矛として誓っていたのに。
(……すまん)
鬼は誓いを違えないと決意していたのだが――
どうやら、もう戻れないらしい。
己が意識が落ちていく。瞼を閉じるようにゆっくりと、もう戻れぬ奈落の底へ。
――刹那。魂の身が、消失した。
もう彼は、この世のどこにも……いないのだ。
『……ぐッ……』
瞬間。りもこんの仮面の奥で、苦悶のような声が響いた気がした、が。
ほんの微かであり、誰にも聞こえぬ届かぬ。幻のような一声はそよ風に塗れて消えて。
「さて」
直後、魂を吸収し終えたアレクシスは、視線をヴァルトルーデとりもこんへ。
「貴方達には先に話しておきましょう。
ゲラントから報告がありましてね。天上でカイロスが妙な動きをしていると――
それは実際に事実のようです。まぁ……私の推測ではカイロスに関与した人物がいそうですが……事の真相はともあれ時間的猶予が狭まった可能性が高い。故に計画を早めます――マシロ市への侵攻準備を整えなさい」
『――マシロ市への、侵攻』
「ハッ、しかし猊下……一つ懸念が。パノプティコンの異変で……」
「あぁパノプティコンの件は、大概予想がつきます。
関与があり得るならばミハイルしかいませんよ――正確にはその配下でしょうか。
彼の下には実にユニークな人材がいるようですから」
「流石の御慧眼です、猊下。
しかし……ミハイルの叛意を悟られているならば、先に後顧の憂いを断たれた方が」
「いいえ、もう関係ありません。全て纏めて引き潰します」
はっ? と疑問の声をヴァルトルーデが発すると同時、アレクシスを見据え――れば。
瞬間、主の瞳を見据えて気付いた。この方は今、ミハイルに対し静かに、しかしこの上ない程に激怒していらっしゃると!
アレクシスは部下の失態は興味がない故に赦す。
だが己に叛意を向ける者や、敵対的な者に関しては決して許さない。
殺す。どいつもこいつもどいつもこいつも馬鹿ばかりならば。
人間も。ミハイルも。思い知らせてくれようではないか。
私の意に沿わぬ者は、全員粛清してやる。
「ミハイルが愚かにも更なる干渉を計画しているのなら叩き潰します。
ですが……我が至高の目的がなによりも最優先です。ミハイルは後回しでよい」
『……、……あのぉ。俺は新参なんで、そろそろ聞いても宜しいですかい?
そもそも――その至高の目的ってのは、一体なんなので?』
と、その時。
りもこんはあらゆる感情を呑み込み、意を決して問う。
ソレは、りもこんも実に気になっていた事だ――そもそもアレクシスの最終目的は一体なんなのか?
問おう。せめて問わねば。アレクシスが地上に顕現し、魂が死する事になってしまった根本の理由を――理解したいから。さすれば。
「……我が秘中の権能を理解すれば簡単な事ですよ。
この世界はかつて、一人の熾天使によって黄昏に導かれた。
その熾天使は、今どこにいると思います?
ラファエラ・スパーダが探していた小娘は、どこに?」
『――――まさか』
「理解できたでしょう? 私は彼女だけが目的で来たのですよ」
アレクシスは遂に答えるものだ。
彼の目的はラファエラとほぼ同じなのだ。
ただし――一点だけ明確に、大きな違いが存在しているだけで。
「天上以来、またお会いしようではありませんか。ねぇ、11番目の熾天使よ。
貴方を喰らう事で、私は真の究極に至れる。
あの傲慢な女はきっと。己を除く熾天の全てさえ侮るでしょうが……
私は違いますよ――? 貴方がどういう存在なのかを真に理解しているのはきっと私だけだ。さぁ……」
私が天を握る為の礎となってもらう。
アレクシスは純白の六翼を広げる。そして告げるものだ。
世界に。審判の刻がやってきたと――!
――『森羅万象の理よ、我が手中たれ』行使。
――第七十二異能。『滅亡の書・ソドムゴモラ』制限解除、並びに全霊解放。
――新規登録『鬼握』改竄実行、並びに既存権能複合行使開始。
――霊峰富士・活火山鎮静の強制解除を執行します。
※レイヴンズの魂(r2p000385)の所在が完全に不明になりました――