
刹那と永遠
重い、重い――重い扉が軋み音を立てて開く。
楽園の最奥、如何なる天使も寄せ付けない最も荘厳な聖堂の中心に彼女は居た。
何かに祈るでは無く。何かに縋るような事も無く。
静謐に佇む少女は外界の光を差し込ませた来訪者にゆっくりと視線を向けていた。
「珍しいわね。マリアテレサ」
純白のドレスに身を包んだ五枚羽の天使は幽かな微笑みをその顔に浮かべ、訪れた二人目の名を呼んだ。
「どういう風の吹き回しかしら。ここに私を閉じ込めたのは、貴女なのに」
その言葉にはたっぷりの余裕と僅かばかりの棘が潜む。
皮肉めいた少女は少なくとも聖堂で過ごした退屈な日々を肯定はしていない。
そんな時間は永き生を抱く熾天使には瞬き程のものに違いなかろうが、彼女だけはその例外だからだ。
「――人聞きの悪い話です。
僕が貴女を閉じ込めただなんて。
これは保護と言って欲しいものですよ、永遠。それに」
「それに?」
「僕の事はお姉ちゃんと呼んで欲しいものですね?」
マリアテレサの言葉を永遠と呼ばれた少女はせせら笑う。
凡そ楽園の暴君として君臨するマリアテレサが御前で斯様な不遜が許される天使は他におるまい。
微動だにせず、五感の全てを殺し。聖堂の扉の前で目の前だけを睥睨するイサーク・グラシア(r2p007134)は己の脳裏に揺蕩ったそんな不敬な認識を思わず悔いた。
(石像のようにあらねばならぬ。僕はここにあって、ここにあってはならないもの。
我が父の――愛娘たる御姉妹の何を知ってもいけない。いや、何を知る事もないんだ)
至高の近衛の一として、供として。マリアテレサに同道した主天使は至高の誉と最悪の不運を併せ持つこの役割を前に瘧のように震えていた。
(嗚呼――)
耳を突いて鼓膜等破ってしまいたい。 鈴鳴る姉妹の歓談はまるで咲き誇る毒花のようであり、主天使風情の及び得る世界では無かったからだ。
「じゃあ、お姉ちゃん。そろそろ私も出してくれる気になったのかしら。
優秀なお姉ちゃんの事だから、もう片割れは保護したでしょうからね?」
永遠は半ば答えを知っていたが、揶揄するようにそう言った。
27年前の事故以来、彼女は完全な状態ではない。
他ならぬ自身の事だからこそ永遠は楽園にその1/6が存在しない事を知っていた。
「あの子は未だ地上です」
「貴女も意外と凡庸なのかしら」
「戻っていますよ、永遠」
へらりと笑った永遠にマリアテレサは嘆息した。
「全く。貴女でなければその首を百回は刎ねている所ですよ。
第一、貴女が失敗しなければこんな話にはなっていないのに」
「出来ない癖に。お父様の意向は知っているでしょう? 代行者の貴女なら」
「ええ。お父様は僕を見込んで妹の面倒を見る事を望まれているのです。
他ならぬ僕がそれを違えるものですか」
神より受けたその使命が何処までも誇らしいのか、マリアテレサの美貌は蒼天よりも晴れ渡っていた。父からの期待が何よりも嬉しい。その命令の一つ一つが彼女の琴線を弾き、天上の歓喜を奏でている。例えばあの智天使が見たならば雷にでも撃たれそうなマリアテレサの上機嫌は何度も見れるものではない程の例外であった。
「……ともあれ。僕はあの子を敢えて保護していないだけです」
「あら、どうして?」
「地上のあの子が面白い所に居たから。
それから決勝が――そろそろだからです」
「ああ――」
永遠は面倒臭そうに、しかし一応は合点した。
「物分かりの良い反応ですね。不平不満位は聞く心算だったのですが」
「私が揃ったらここで抑えつけられないから……じゃない?
保護者からすると、決勝が始まるなら尚更私の所在は一番大事の筈だわ」
「……僕だって過保護な自覚はありますけど。
これでも姉ですからね。妹のお転婆振りは理解しています。
貴女が好き勝手して不測の事態でも起きたら、お父様を悲しませてしまう。
僕にとってそれは決勝以上の大問題です」
「でもね」とマリアテレサは続けた。
「僕は代行者にして執行者。
勿論、当たり前の勝利を目指すプレイヤーでもありますけどね。
アーカディア・テンの決勝戦に到るなら、その舞台は相応しく愉快なものでなければ嘘でしょう?」
「……まさか、貴女。1/6を餌にして」
「ええ、ええ。
あの子は力の破片のようなもの。自分で飛べない翼のようなもの。
その翼の欠けた貴女をここに据え置き、紆余曲折を天上の戦略とする。
管理もしやすい、ゲイムは愉しい。そして何れにしても僕の勝利は揺らがない。
これはもう、一石三鳥というものでしょう?
僕にはその権限が与えられている。このゲイムを差配する義務がある。
他の有象無象もお父様の使徒なればね。多少なりとも神意を遂行した者達ならね。
少しの時間希望を愉しむ権利位は与えてあげても良いでしょうし」
「お父様の意向にかこつけて、遊ぶ気なのね。
……それにしたって酷い審判だわ」
「そうですか?」
「審判が自分に有利な舞台を整えているなんて最悪のゲイムじゃない」
「そうでしょうか? 僕はむしろチャンスをあげているんです。
元より詰んでいるのなら、彼等にとっての最後の術ではありませんか。
それに、僕は貴女を保護しなくてはいけない。
だから地上に干渉出来ない以上――これはハンデですよ。
上手くやれば彼等の目はゼロではないでしょう?
最悪、5/6を守る為ならば、1/6の破片位は捨て置きますよ。
まぁ、破片位ならばお父様もお目こぼし下さる事でしょうし」
「叱られても知らないわよ」
永遠のそんな言葉にマリアテレサは今日で一番の笑みを見せた。
「お父様は僕に一番甘いので」
砂糖菓子のように愛された最初の熾天使の。
「お父様は、何時だって、どんな僕だって――必ず愛して下さるから」
一切の否定を想定しない、一つの疵さえ持たない少女の断言は太陽のよう。
疑いそのものの存在しない彼女の事実に他ならなかった。