
<裏ルール>
「……物事にはねェ、限界ってモンがあンのヨ」
イサーク・サワ(r2n000206)は深い、深い溜息を吐き出した。
富士山麓、近郊。
悪事の露呈は証拠を帯びぬが、神の断定は問答無用で彼等にとっての事実になろう。
アレクシス軍からの物理的威力を伴った尋問を回避したミハイル派が集合を果たしたのはつい先程の事だ。全員が今揃っている訳ではないが、あんな鈍間な追撃に捕まるような身内が居ないのが彼等の自慢である。
むしろ――
「最高にスリルでしたわ!!! 私、改めてミハイル様に惚れ直しましたのよ!!!」
――パノプティコンからの脱出、混乱に紛れた逃亡には予期せぬオマケがついてきた。
アハスヴェールの影に過ぎなかった彼女は降って湧いた災難に撃たれ、彼の軍門に入ると言って成り行きでついてきた変わり種である。
「ややこしくなるから黙っててネ!」
無軌道なミハイル派は酔狂なベロニカを何となく受け入れたのだが、それはさて置き状況は深刻であった。
「アタシ達はアンタを手伝う。そりゃあアンタを心底いい男だって思ってるから。
盲目的に、絶対的に。忠誠なんて言葉で片付けられたら全身に蕁麻疹が出ちゃうケド。
少なくともアンタの決めた事は絶対だワ。仮に死んでこいって言われても疑いなくやり切ってやるわヨ」
サワの顔に浮かぶのは彼――彼女にしては珍しいありありとした不満であった。
「でもね。今回のアンタは余りにも――整合性が取れてないの。
いきなり猊下の所へ行って手伝うなんてらしくない事言い始めたと思ったら――
今度はノヴィア、ノエルカ、サレリアにリーザまで連れて行って人間達を取り逃がす。
賭けてもいいけどアンタ一人でもお釣りが十倍出た話でしょ?」
サワの詰問にミハイルは「続けなよ」と瞑目したまま。
「そうして人間を見逃しておいて、今度は『まあまあマジでやれ』なんて言い出す。
結果的にそれで捕まった人間に今度はパノプティコンで手を貸したわよネ?
大方暴れたのは――ノエルカかなんかなんでしょうけど。
人が上機嫌で絶望のパスタ作ってたら蜂の巣を突いた大騒ぎヨ!
アンタ達だけで先にバックレたの普通にアタシ赦してないからネ!?」
ジロリと――言葉程には強くないのだが――視線を向けたサワにノエルカ(r2p006756)は「あ、あわわ」と少し慌てた顔をした。
「……ま、ノエルカはどうせミハイルの所為だし、保護者に免じておいてあげるケド。
どっち道、支離滅裂なのは変わらないわヨ。態々捕まえた人間を協力していた猊下に敵対する形で逃亡幇助した。
お陰でキッツい追撃喰らう羽目になったんだから、もう潮時って事なのヨ!」
「姐さんがここまで言うんだ。そろそろ頼みますよ、主様」
「命令は聞くが状況が分からないのは詰まらない」。サワに続いたシャルル・バルト(r2p006755)の言葉は実にミハイル派らしい価値観だ。
サワにペコリと頭を下げたノヴィア(r2p006764)の顔も何とも神妙で複雑だった。
(……本当に何考えてるんだか)
ちらりと見上げたミハイルの端正な横顔は何時もの余裕のままだった。
「秘密主義の男はイケてるけどぉ、そろそろお話聞きたいかなぁ:トランプのハート:」
独立愚連隊であるミハイル派は軍勢らしい軍勢を持っていない。強力な天使だけで構成されたグループは格別の戦闘力を有していたが、それも熾天使たるアレクシスの真の力の前では風前の灯にしかならないだろう。つまる所、ミハイルは現状アレクシスの粛清対象になっているのは明白なのだから運命を共にするサワの疑問、話を結んだベルガモートの問いは尤も過ぎるものだ。
そうして暫し。
「……う、ううう! く、くうきがおもい……!」
ノエルカだけが耐え切れない然して長くない沈黙の後に、
「……ま、余り話したい事でもねぇんだが」
頭をぼりぼりと掻いたミハイルは渋々と口を開いた。
「ああ、いや。お前等を信用してねェとかそういうんじゃねーよ。
ただな。これは下手に知るとお前等の為にもならねェ話だと思っててよ」
「知ると為にならない話ぃ?」
唇に手を当て小首を傾げたベルガモートにミハイルは「ああ」と頷いた。
「特級に厄い話だよ。
お前等レベルの階位で知ってる事がバレたら楽園に消されかねねェレベルのな。
ま、でもどの道か。猊下は状況に動き出した。猊下が動いたから俺も仕掛けた。
これからの楽園はこれまでの楽園とは違う。ゲイムは変わる。
それならまあ――そろそろいいかな」
独り言ちたミハイルは面々の顔を見回して言った。
「――アーカディア・イレヴンは神が選んだ至高の天使だ」
「それがどうかしたんで?」
「表向きはな」
シャルルの言葉に被せミハイルは思わせ振りにそう言った。
「いや、より厳密に言えば第一世代は間違いなくそうだ。
とっくの昔におっ死んだ当時の俺の上司も含めて、な。神が直接選び給うた熾天使はたった二つしか現存しない。
つまりそれが、マリアテレサ・グレイヴメアリーだ」
「もう一つは一体誰なの?」
「内緒」
首を傾げたノヴィアの唇にミハイルの指が触れた。
「……お、おとななかんじだ……!」
「そういうの、他所でしちゃだめよ、ミハイル」
二人の反応はさて置いて、ミハイルは説明を続ける。
「だが、当然お前達はこう思ってる筈だよな。
『現代には熾天使が十一体も居る』って。
まあ、勿論? そりゃあ完全な事実で――間違いのない現実だ。
神が選び給うた天使は二体しか残ってねぇが、熾天使は現状で十体存在する。
これが意味する事実が――分かるか?」
「……まさか」
ベルガモートの口元から微笑みが消えた。
「アーカディア・イレヴンには確実な入れ替わりのルールがある?」
「ご名答」
ミハイルは笑う。
「今の連中は歴代最強。大分昔のアマランスを最後に誰も入れ替わっちゃいない。
その一つ前のバルタザールの失陥が事態をややこしくしたとも言えるな。
殆どの天使がそのルールを理解しない理由は、バルタザールの入れ替わりが正しく行われなかったからだ」
「……フレアちゃんは兎も角、バルタザール以降、楽園には二位が存在しないわネ。
後任が居たり居なかったり――何かおかしな話だとは思ってたんだケド」
「そう。そして天使の寿命は然して長くもない。
畳の上で死ぬ天使なんてそんなにいねぇからなあ――熾天使が失陥するような戦争で下っ端が良く生き残るかよ」
獰猛に笑ったミハイルは実に楽しそうだった。
「ただな。入れ替わりのルール自体は大した問題じゃない。
事実フレアのお嬢ちゃんはアマランスの後任で七位に収まったんだ。
だからそれをお前達が知った所で楽園は目くじらを立てたりはしないさ。
話の問題――そして俺の目当てはここからさ」
ミハイルはたっぷりの勿体をつけてまるで謳い上げる俳優のように声を張った。
「正ルールは神の任命。俺の狙いは裏ルール。
つまり入れ替わりの条件を達成する事。ハッキリ教えてやるから楽しんで聞けよ。
アーカディア・イレヴンに勝利した資格者はプレイヤーの権利を得る。
この反逆的なルールは極めて限定的な天使しか知り得ない。
つまり、俺が猊下に勝ったなら、晴れて熾天使ミハイル様さ!」
「――」
「――――」
「―――――――」
一同に衝撃が走り、全員が思わず絶句した。
とんでもない男とは思っていたが、改めて披露された野望は実に規格外にとんでもないものだった。
成る程、最強を目指すと公言するミハイルの軸は一分たりともずれてはいない。
「条件は『一定以上の力を持つ個』。そして『前任に勝利する事』。
前者条件を満たしているかどうかはお祈りだが、俺は随分と待ってたぜ。
長く――永く。ああ、本当に気が狂いそうだった!
ゴミみてぇな木っ端から始まって、気が遠くなる位今日という日を待ってたぜ?」
爛々と輝く瞳がギラギラとした覇気を煮え滾らせている。
それはこの美しく危険な男の本気を誰に知らしめるにも十分過ぎた。
「熾天使様が主天使に毛が生えた程度の力で顕現してくれた事。
カイロスの奴に嗅ぎ回られて決戦を急いでやがる事。
仲間の仇にブチ切れるK.Y.R.I.E.とやり合ってくれる事――
サワは何で捕らえたり逃がしたりって言ったがよ。当然だぜ。
俺が直接見極めねえで、こんな博打の材料なんかに出来るかよ」
ミハイルは両手を広げて天を見つめた。恍惚と高揚を僅かたりとも隠す事は無く、己が人生最高の幸運とチャンスに打ち震えていた。
まるでそれはミハイルの独奏するステージのようだった。
「さあ、どうする。お前等は。
この最高のゲイムに付き合うか? それとも尻尾巻いて逃げてぇ気分か?」
「そんなこと」
サワは、ベルガモートは、ノヴィアは、ノエルカは、シャルルは、そして新参のベロニカは余りの愚問に破顔した。
――そんなこと、馬鹿馬鹿しい位に最高じゃあないか!