
『アレクシス』
――アレクシス・アハスヴェールは己こそ完璧にして完全な存在だと定義した。
彼は彼として誕生しえた時から極大の力を持ち、渺渺たる智識の海を宿していた。
誰も彼もが馬鹿に見えた。
誰も彼もが対等に見えなかった。
誰も彼もが何故このように――愚か極まるのだ?
「猊下、人間共が抵抗の動きを見せています。また同時にミハイルの配下の姿も……」
「――くだらない事です、全て粛清を。万象悉くを粉砕し我が威光を知らしめるのです」
「ハッ!!」
己が忠実な配下たるヴァルトルーデの報告を受け、告げる。
人への対処を。契約を違え裏切った者共の処分を。
ただただ力をもってして捻り潰せと――
……しかし人類は未だ抗うというのか? 何の為に?
私という存在がいると連中は承知の上だろうに。
到底叶いようがない次元の違う存在がいると、分かっているはずだろうに。
どうも軽く一瞥した限り破れかぶれな動きではないようだが、まさか――
「……私を打倒するつもりだ、とでも?
愚かな……ソドムゴモラの全霊稼働まで一時ばかりながら時があった。
私なりに最後の慈悲と猶予をくれてやったのです。
赦しを請うて平伏するか、さっさと逃げればよかったものを」
『……』
「おや、りもこん。同郷の人間に力を向けるのはやはり、気が鈍りますか?」
『……いやぁそんな事は』
「一時だけの事ですよ。あぁそうだ、大切な者がいるなら今の内に言っておきなさい。
謁見の間での約束。アレは結局果たされていないのだ。
私には、未だ守るつもりはありますからねぇ――フ、フフフ」
『……』
りもこん。裁決によって天使へと至った人間を横目に、アレクシスは笑みを見せる。
アレクシスは別に人類などどうでもいい。
マシロに存在する、あの娘を見つける事が叶えばそれだけでいいのだ。
他の有象無象など追いかけ回して殺す程、暇ではない。
――ミハイルとその取り巻き共に関しては話が別だが。
証拠こそないがパノプティコンを砕いたのはどうせ連中だろう。そうでなかったとしても、連中は事此処に至り明確な造反を行っている……ならばもういい。粛清しよう。図に乗ったはぐれ者どもめを。
なによりミハイル。最も旧き天使よ。
永く生きてその程度の座にしかない愚昧如きが……
「今なら、私に勝てるとでも思ったのですか? 本気で?」
瞬間。アレクシスの胸中には無限の憤怒が沸き上がるものだ。
確かに今のこの身は実に脆弱。我が身の全盛には程遠い。
ミハイルであれば――幾つもの幸運と流れをその手中に手繰り寄せ、文字通り全霊と身命を注げば。もしかするとの事態が生じるのは――あぁゼロとは言うまい。
――だがそんな理屈上の話はどうでもいい。
そもそも『勝てる』と思われた事、それそのものがアレクシスにとって屈辱極まる。
あの会談の時、わざわざ話に乗ったのは『逃げに徹されれば困る』と言う事情だ。
『主天使程度に負けるから』などとは――一寸たりとも思った事は無いッ!!
「この私が……随分、安く見られたものだ。
来るなら来なさい。月並みな言葉ですが……
誰に喧嘩を売ったのか、思い知らせてくれますよ」
――純白の六翼が広がる。
普段の聖衣に非ず、闘争の為の軍服を身に纏う第五熾天使の全霊が、其処にあった。
「フ、フフフ。フハハハハハ……」
――と、その時。
アレクシスは眼下を見据えつつ、笑う。
豪快に非ず。粘りつくような侮蔑の色を伴いながら。
「世界は――」
それは、愚かな人間共の抵抗に対してか?
或いは無謀な夢を持つミハイル派を見据えてか?
――否。
「世界は――私によって清く正しく管理されなければならない。
他の誰に出来ましょう? 他の熾天使など、誰も彼も馬鹿ばかりだ。
誰が勝ち上っても悲惨極まる。私以外が勝ってはならない。
同時に……こんな愚鈍な世界の誕生を放置している現行の神とて粛清の例外ではない。
偽物にはいずれ消えてもらいましょう。
私こそが真実、森羅万象の頂点に立つに相応しいのですから!」
それは極限に増大した自負心から生じる世界そのものに対する諦観と苦笑であった。
……アレクシスは世に誕生した時から完全にして完璧だった。
誰も彼も敵わなかった。故に自身の完全性を常に疑いもしない。
彼の『智』は世界の果てまで届き、彼の『識』で解せぬものは無いと信ずる。
故に、その智謀をもってして彼は告げるのだ。
己を解せぬ者達に。己に従わぬ者達に。己に逆らう――愚民共に!
「神託だ。私こそが真の神である! 首を垂れて――死にたまえ!」
それこそが絶対の神託であると――断ずるのだ!


