コッペンの丘へ
鼻歌交じりに彼は征く。軽やかなステップでスティッキをくるくると振り回しながら。
――ねえねえ、聞いた? 愛しのジュール!
富士でアレクシス・アハスヴェールが見られるのだそうだわ!
愛らしい兎の耳に黒いボディースーツを着用した天使が囁いた。結い上げられた桃色の髪がふわふわと動きで揺れている。
豊満な肢体を惜しげもなく晒した彼女を振り返った青年は「勿論知っているとも!」と手を叩いた。
「我らが姫君もその喧騒に眠りを妨げられたとお思いなのだからね!
ほぅら、ご覧よ。
塩の領域がじわじわ広がって……おっと、危ない。麗しの子リスちゃん。
触れてしまうと溶けてしまうよ。我らが愛しき眩金の姫君はうっかり屋さんだからね」
小さな栗鼠の姿をした変異種を抱き上げてから彼は揶揄うように笑う。
アレクシス・アハスヴェールの巻き起こす富士の動乱とは大きく違った平穏がこの場には広がっているかのようだった。
旧時代には神奈川県であるとも称された東京都町田市に彼等は居る。
専ら、富士の動乱についての情報を探りながら我が道を進んでいるのだが。
――ご機嫌よう、愛しきジル。
どうやら不思議な影が人類拠点に向けて進軍しているようだわ!
道化師のような姿をした可愛らしい天使の一声に青年は「それは素晴らしい!」と手を叩いた。
「人間達が拠点を築くのは余り好ましくは無いからね!
至高の方々のパーティーに驚いて散り散りになってくれたならば嬉しいけれど。
ああ、ほら、何せさ、彼らは海で鯨のお姫様とさえ出会ったしまったようだよ?
彼女のことはわたし達がスカウトしたかったのにね! きっと姫の為に素晴らしい声で歌ってくれた筈なのだから!」
青年は芝居がかった調子で何度も何度も繰返す。
くるくると踊るような足取りで、塩の領域との境目でステップを踏み続ける。
そう、この塩だ。人間が踏み入れたならば瞬く間にその肉体は崩れ落ちていく。能力者でも耐性は幾許かしかないとされていた。
マシロ市の至近に存在したこの塩の領域が彼の言う通り広がっているというなら問題だが、その理由がアレクシスというのはどうしたものか。
「聞いてくれるかな? 麗しの子リスちゃん。
我らの愛しき眩金の姫君はね。大切な宝物を抱き締めながら眠っているのさ。
今までは平穏だったこの森にも人が進んでくるようになった。
そこで、だ。わたし達は考えた。
まどろむ愛しきプリンセスにとっておきのショーを見せて上げようと!
熾天使を相手にしても耐えている彼らがいるんだ。本来ならば瞬時に塵となり、跡形も残らないであろう小さな命がだよ?
しかも、聞いたかい? 旧い天使までも戦場で暴れている。そんなの、一溜まりも無いだろうに! 彼らは、なんと、生きている!
素晴らしい。実に、素晴らしい! だからね、彼らをスカウトしよう。我らが愉快なサーカスに!」
――まあ、可笑しなジュールヴェール。
――そうよ、人間如きを呼ぶだなんて!
「そうは言わないでおくれよ。見込みがある奴だけ先に引き抜いておくのは良くある話じゃあないか!
彼が全てを滅ぼしきる前に、少しでも。
ある意味これは渡りに船、救いみたいなものだよ。何かあっても、わたし達の手を取ったものだけは川を越えていけるのだから!」
※町田方面に奇妙な動きがあるようです………。

