天妃海神


 駆逐艦ラファエル・ペラルタ――それは大破局を生き残ったの軍艦のうちの一つであり、対クラーケン戦時に使用許可が下りた代物だ。
 その甲板に九相寺・大志(r2n000122)は一人佇んでいた。横須賀の海は何時だって澄み渡り、男の心に浮かび上がった不安を慰めてくれる。
 昨晩の夢見は大層悪かった。底無しの沼は自らの両足を絡め取り黒々とした渦へと全てを引きずり込んでしまうかのようでもあったからだ。
 暗鬱とした思いを今の自分が抱えて等居られまい。特務部隊POSEIDON始め横須賀キャンパスに所属する生徒と教職員、そしてK.Y.R.I.E.の能力者達の命を背負い、陣頭指揮を執る男が弱気でどうするか。
 今、作戦は開始されているのだ。海に姿を現した天使たち。一方は人類を滅ぼさんと牙を剥き、もう一方は自身らの生存圏確保に躍起になっている。
 それだけではない。シェーヴェと呼ばれた暴虐より零れ落ちたそれに帯同する信者たち、そして、シーゴーントと呼ばれた妬みや恨みにより作り上げられた邪精霊たちの姿がこの海には見られ始めた。
 らはクラーケンを求めている。人類がそれを打倒することを目的とするならば真逆の意志を持っている。

 ――お前はなんの為に生き残ったんだ?

 ――あの化け物を、殺す為だろう。

 ――その為に、犠牲は仕方がないと割り切らなくてはならないだろう。
   お前は、司令官コマンダー。誰かに生かされただけのお飾りだ。全てを守り切れるなどと自惚れるな。

 またもおのれの中に大きくなった黒々とした感情に大志は首を振った。
 良く眠れぬままでは薄っすらと浮かぶ隈に誰も気づかないでくれと願いながら、今日も海を見る。
 こうした時に、何時も神に願ったものだ。どうか、海が機嫌を損ねずに達が帰ってきますように――と。
「船を女性と呼ぶのはどうしてなのかと幼い頃に哥哥兄さんに聞いたことがあった。
 その時、兄は天妃が守って下さるからとそう言った。貴様はどう思うかえ? 九相寺」
 大志は緩やかに振り返る。予想だにしない人物が後方で腕組みをして笑っていたからだ。
「……龍妃」
「何、思い出話と雑談をしに来たわけではない。
 海が機嫌を損ね、そしての姿があったと聞いた。彼女は大陸の女神……わらわにとっても親しんだ存在じゃ。
 それが落魄れた姿を見せたと聞けば、まあ、思うことも山程あるだろうよ。
 貴様はどうじゃ。散々祈り続けた神の成れの果てがアレであったというなら? 幻滅し、祈ることもやめるかえ」
 華氷 ヒメリ(r2n000018)は煙管片手に男のかんばせを見上げていた。
「いいや。そんなことはしない。そもそも、彼女は――は最初から神なんていう高尚なものじゃなかった筈だ」
 大志が首を振る。と、そう呼び掛けた海の女神の姿を思い浮かべながら。
「海が我らに牙を剥いたあの日、理不尽な暴虐を前にして縋るべき先に恨みを募らせたことだってあった。
 ……身勝手な人間は信じる神のあらましを詳らかにし、粗探しをしたくなるほどの」
「そうして貴様も知ったか。
 ああ、そうじゃな、は人間味溢れ、感情に突き動かされ、自らの制御ができない……我々と何もかも変わらぬただの青臭い小童ガキじゃ。
 落魄れて行くように破れかぶれになってでも動く姿はとてもじゃあないが、神などとはとても呼べるまい。
 というのは斯くもまあ、人らしいものであろうな。いや、そもそも、我らが勝手に神足り得るならばと決めつけているだけかもしれぬが」
 ふ、と紫煙を吐き出したヒメリを大志は静かに眺めていた。そうだ。光の領域への攻撃を開始したとされる一柱――通賢黙娘(r2p003175)と呼ばれた少女の事を大志はよく知っている。
 そう、彼女は海の神だ。航海の神である。其れだけではなく万物の神として称えられるまでもあった。様々な逸話を残したは零落した異界の神ミラーミスであったと神祇院や各神秘機関の調べで判明していたそうだ。
 彼女の伝承が幅広く知られているのは、彼女が中華大陸のみならず様々な場所へと渡り歩き信仰の芽を落としてきたからだ。
 マシロ市内に残されている中華街にも廟が存在し、キャンプ・パールコーストの軍人たちは海の平和を願うように訪れる事があったという。様々な信仰が綯交ぜとなった現在であらば、その場で何に祈っているかは最早誰も説明もつかぬような状態ではあろうが。
「本当に彼女が?」
「……ああ、間違いなく彼女だろう」
「そうか……。わらわも廟には時折散歩に立ち寄るものじゃが、不幸なものじゃの。
 信ずる者が落魄れるというのは見るに堪えぬ。真月里月光鯨と呼ばれた神霊の如く、隣人になってくれたならばよかったが」
「それで?」
「――何、竜の根城中華街にも彼女は祀られておるからの。
 幾たびと願い祈った相手よ。それが狂ってしまったなどと言われてしまえば……目を逸らすなど出来るまい。ましてや、は我々が信じ慈しんだ神であったのじゃからな。
 して、コマンダー九相寺? その我らが女神をもってしてもは制御できる代物ではない、と?」
 そう問い掛けた女に大志は緩やかに頷いた。その表情には暗い色が差し込む。
「ああ、そうだ――利用することはできたとて真に制御はできない。
 は……クラーケンは災禍と暴虐と呼ぶしかない、意思なきけだものなのだから」



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 更新内容
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