大いなる美しき我が理想よ!
熾天使達によるゲイムが始まった!
嗚呼、熾天使。
それは絶大の権化、比類なき超越者、途方もなき絶対者。
木っ端にできることは精々、その六枚羽に吹き飛ばされぬことを祈りながら地に這いつくばることだけだろう……。
(いいや、いいや!)
その常識に、ある権天使が刃向わんとしていた。
(動乱こそ好機であろう!)
黄金に彩られたチャリオットにて腕を組み、豪華絢爛の鎧を纏う野心家はあまりにも不敵に口角をつった。戦車を曳くのは、馬鎧で身を固めた幻想馬の変異体。焔を散らすその疾駆は、大海原を眼下に晴天を駆け抜けていた――その燃える轍を、従者たる天使達が整然と隊列を組み翼を広げて随伴する。
「……ヴィトー様、この先に例の――」
「ああ、レイネ。大怪物クラーケンがいる!」
権天使ヴィトーの隣には、踊り子然と金銀財宝で着飾った乙女が控えている。レイネと呼ばれた大天使は、妖艶なヴェールの奥より彼方の暗雲を見澄ました。
「本当にできるのですか?」という言葉を、レイネはそっと細い喉の奥に飲み込む。隣に悠然と立つこの男は、権天使なれど、一つの突出した異能を持ち合わせていた。
「聞くところによると多摩の連中も俺に似た技を使うらしいが―― ハッ! 俺から言わせてみればまだまだだな」
「ええ、ヴィトー様の最たる御権能は変異体支配……数多の獣を従え成す千獣軍団は圧巻でございますもの」
品を作り権天使の装甲を撫でる大天使の指先に、男は呵々と笑った。
――かくて一団は嵐の中へと突入する。
横薙ぎの雨と強風が手厳しく出迎えるが、チャリオットの速力が弱まることはなかった。寧ろヴィトーの胸の内は逸るほどで。
「ふ――フ。ふふふ! この俺は権天使などで留まる器ではない……!
かの大怪物クラーケンを支配し手土産にすれば、熾天使の軍勢に取り入ることも難しくはあるまい」
「ふふふふふ。なんでしたら道中に、件のマシロ市とかいう連中を蹂躙してやるのも素敵そうですわ」
「それはいい。かの第五熾天使を退けた連中を壊滅させれば、ますます俺の地位も安泰と成ろう!」
所詮は変異体。所詮はただの海の生物。
翼を用いて空を飛ぶこともできなければ、神聖領域すら有していない。
そう、所詮、ただの、でかいだけの生命体――。
「大怪物クラーケンよ!」
権天使が右手を構える。その手の甲に、権能たる紋章が黄金に輝いた。
嵐の深奥。暗澹の中枢。
空中で停止したチャリオットの遥か下――うねる波のその奥に、あまりに巨大な黒影がある。
「我が命に従え! 我が名の下に兵と成れ!」
燦然は一条の光となり、海へ。『支配の紋』は確かに蠢く巨影を貫いた。
眩い輝きに目を細め、大天使レイネは「決まった」と息を呑んだ。主人が最大出力で術を行使したことが分かっていた。その威力たるや、荒れ狂う異界の獣すらも奴隷にする恐るべき権能――レイネは巨獣を兵に変えてみせたヴィトーの威光を、その目で実際に見たことがある。
(如何にこの大怪物といえど……)
海が唸る。潮が戦慄く。巨大な怪物が、光に応えるように浮上しつつある!
勝ちを確信し、権天使は低く笑った。チャリオットから黄金の翼を広げ飛び立ち、高らかに告げる。
「さあ、主人の前にその姿を現せ! クラーケンよ――」
ぽん。
「え?」
あまりに呆気ない、間抜けなほどに呆気ない破裂音に、レイネは思考と呼吸を同時に忘れた。
「――え?」
そうして我が目を疑うのだ。
海より振るわれた巨大すぎる触腕が、ヴィトーを跡形もなく消し飛ばしたなんて。
バラバラという言葉すら生温い、それはもう、『消失』としか呼べぬほどの木っ端微塵。
それは世界で一番簡単なトリックである。
物凄く巨大なものを、物凄く高速で叩きつけたら、当然物凄く強いだろう?
ただ、それだけのことである。
「え…… は、 え!?」
一撃?
権天使が一撃で跡形もなく?
「ありえない、ありえない! こんなことが――」
事態が呑み込めないレイネの眼前に、巨大な……巨大な『死』が、塔の如く聳え立った。
ひい、と息を呑む乙女はすぐさま翼を翻して逃亡を試みる。その視界の端では、海面より次々と跳びかかり現れる大怪物の分体が天使級を食い荒らす惨状が。
「ぎゃあぁああああッ!!」
「く、来るな! 来っ――ガぁあああ゛ッ!」
混乱、狂騒。首魁が居なくなったことすら呑み込めていない天使達に、成す術などない。もうそれは蹂躙どころか虐殺で。喰い千切られ、啜られて、毟られて抉られて引きずり出されて、ばらばらと、黒い海へと落ちていく。
「な、なんでっ、なんでこんなっ、」
レイネは必死に――助けを求めて手を伸ばす天使級を一瞥すらせず――全力で羽ばたいていた。なんで――どうして――こんな変異体ごときに!
「嫌……嫌よ!」
泣き叫ぶ。目の前が真っ暗になる。巨大な触腕が、大天使を簡単に絡め取る。冷たいぬめりが全身を包んだ。覆われていく。閉じていく。「ああ死ぬんだ」という絶望の確信と、大天使としてのプライドと、死にたくない本能とがレイネの中で爆発する。
「あっ アイツが! アイツが調子乗ったこと言ったからッ!
わたしはっ わたしついてきただけでなんにもわるくなっ わたしわるくないわたしわるくないわたしわるくないわたしわるくな」
――ぷち。
血に染まった暗い海は、天使の羽根を揺蕩わせ、ただ嵐の音だけを奏で続ける。
これでこそ。
嗚呼――これでこそ『海』だ、と。ファルマチュール(r2p003494)は随喜する。
なんて途方もない。きっと……己が本気を出して挑んでも、神が巨大な掌で戯れ撫でるかのようにすり潰されるのだろう。
どこまでも、どこまでもどこまでも圧倒的なる超越――嗚呼、大いなる美しき我が理想よ!



