破滅の日
辺り一帯が恐ろしい程の喧騒に包まれている。
遠く響く爆発音、何かが倒れる重い音、悲鳴、怒号、綯い交ぜになった破滅の音が鳴り止まない。
「此方ではエイプリル・フールと言うのでしたっけ」
混乱の夜に一人佇む涼介・マクスウェル(r2n000002)は小さな嘆息と共に独白した。
嘘が許される日に許されない嘘が吐き捨てられたーー
状況を語るのならば、或いはそんな表現が丁度良かったかも知れない。
大半の人々が寝静まる四月一日の月曜日の午前二時、運命の時間は何の前触れも無くその凶相を見せつけていた。
短い時間で幾つの人命が失われただろうか?
(いや、全く気に入らないシーンだ。見るに堪えない。
この世界の住民にそう義理がある訳ではないが、天使の仕業と思えば嫌気も差すというものだ)
残酷な現実よりも、脳裏に一つの顔を思い出した事で涼介の口元には苦笑いが浮いていた。
例えば陰陽寮、『神祇院』、神秘対策課に一菱、紫乃宮、在日米軍の一部にも情報を流した。
直接的な影響力で、間接的な工作で、出来る限りの準備はしてやった心算だったが……
(当たり前の話だ。全てを防ぎ切る事等出来はしない)
第一が、完璧な予測が出来た訳ではないのだ。
やがてこの日が来る事は分かっていたが、それが完全にこのタイミングだった事は把握していない。
いや、たった一つの裏技を使えば『この程度なら』防ぐ事は出来なくはないが――それは涼介にとっての絶対的禁じ手だ。
「この国の総理が非常に優秀な人物だった事は救いでしたが――」
近付いてくる騒ぎの震源に涼介は眉を顰めた。
事件に自分の責任はまるでない。むしろ感謝されてもいい程度の事はしてやっている。だが、少しだけ気に入りかけたこの街が無惨な顔を見せるのは彼にとっても決して愉快な事では有り得なかった。
「成る程」
子供の泣き声が耳障りだ。
「助け、助けて――」
涼介が視線をやれば、逃げ惑う若い母親が子供を抱いたまま、前のめりに転ぶ瞬間が目に入った。
傷付き、疲れ果てている。最悪の状況にも幼い子を決して離さないのは『母親が故』なのだろう。
――ケケ、ケタケタケタケタ……!
実に醜悪に笑っている。
母子を追うのは人型も取らない実に低級な『天の御使い達』であった。
せめてももう少し高位の個体ならば『自身の最悪の運勢』に慟哭し、心底から恐怖出来たろうに。
例えば
「身の程を知らないのですね、出来損ない共は」
短く吐き捨てた涼介の顔が一瞬だけ酷い獰猛さに歪んでいた。
彼が右手を一振りすれば、ダース単位も居た天使達は黒い炎に包まれて、一瞬の後には塵も残さず消え失せている。
「……あ、貴方は……」
「失敬、マダム。緊急事態なので天使の排除を優先させて頂きました」
乾いた声で問う母親に駆け寄り、涼介は手を差し伸べた。
暗闇の中、先程の顔に気付かれなかった事は幸いか――誰もを安心させる端正な微笑みを浮かべた涼介は「落ち着いて」と念を押した。
「私は内閣危機管理監、涼介・マクスウェルと申します」
「内閣危機管理監……?」
「ええ、時村総理大臣の御命令を受けて今回の事態の収拾に当たっています。しかし……」
「……しかし?」
「この時間、私は実は業務時間外でね。お話を外でされると少々困る」
「え? 業務時間外って、そんな……」
「癖になるものなんですよ。変に頼りにされるのは。
『長期戦』にそれは禁物。焦りは碌な結果を出さないし……
ああ、長い、長い戦いにはオンオフの切り替えが何より重要だということ」
不思議そうな顔をする母親に涼介は多くを語らなかった。
仕事ではないのだ、実際。
今夜を眺めに出たのは涼介にとってのルーティーン、謂わば儀式のようなものだから。
……結果としてこの時間に手を出す事になったのは、まぁちょっとしたイレギュラー。
これから死闘を繰り広げざるを得ないこの世界へのサービスのようなものである。
別に母親が少し美人だったからではない。有り様も含めて一切合切が判断に何の影響も与えなかったかと問われればエイプリルフールらしくなるのかも知れないが――
「一先ずの安全地帯まではお送りします。ですから私の事は今は一つ御内密に」
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