破滅の日 - 根岸線
真夜中なのに。
まるで朝、カーテンを開くかのように、光が舞い降りる。
教会の鐘がなるように、左ハンドルのイギリス車がぺちゃんこにひしゃげた。
悲鳴と怒号と、ガラス片が飛び散る騒音の中で、白い怪物が翼を広げる。
悠々と、堂々と、泰然と。誰かの祝福を全身に浴びて嗤っている。
無数のクラクションが奏でるデタラメなラッパを背に、『それ』は指揮棒のように剣を振っていた。
元町の丘の上――山手は観光地であり、閑静で高級で少し古びた住宅街でもある。
明治の面影を色濃く残す欧風の街並みは美しく、ところどころに立つ洋館は瀟洒なものだ。
やれ、どこそこの家は芸能人の数億円する豪邸だとか、代議士の実家だとか、ヤクザの親分が居るとか、昔は外国の大使が住んでいたとか。
そんな坂の多い町が、燃えはじめている。
「涙! 大丈夫!?」
「……っだ、大丈夫、です。ちょっと……気持ち悪く、なった、だけです、から」
よろめいた月音 涙(r2p000814)の肩を、紫崎 天子(r2p001137)が支えた。ひどく嫌な予兆に思えて、誰かが身震いする。
山手本通りには、大きな酷い物音が、何度も何度も響いていた。
空に光が幾重にも瞬いている。
耳の奥はずいぶん前から、わんわん鳴ったままだ。
鼓膜を叩き続ける騒音には、汽笛も旧正月の爆竹も去年の花火もかなわない。
とつぜん聞こえた破裂音に、ケイ・アッシュ・クラフト(r2p002557)の身体は思わず縮こまる。
何の音かなんて分からない。
あのマンションの上から地面へ、米袋でも投げ落とせばそんな音がするだろうか。
けれど震える脚を叱咤するように手のひらで打った。そして再び、懸命に歩き出す。
「……目的地は、磯子セーフハウス、です」
「ん、なら私もついていくよ」
ケイの言葉に続けたのはアルティヴィォン・エグザフィア・フェルファレアー(r2p000449)だった。
根岸の森林公園を抜けると、細い道は、ひどく渋滞している。
遙か前方には燃え上がる車があり、途中にいくつかの玉突き事故が起きていた。
立ち往生する救急車の中で、命がこぼれ落ちている。喪われている。
そんな状況を前に、車を捨てて走り出した親子連れがいた。
後方の車内でハンドルを握りしめたままの壮年の男が、窓から顔を出して怒声を張り上げる。
車から降りればいいのに、きっと正常な判断が出来ていないのだろう。
イグナイト・ネメシス(r2p000058)は鳳 菖蒲(r2p000556)と背を合わせ。
一帯の人々に徒歩で逃げるよう促しながら、イグナイトと菖蒲は『あれら』への対処を迫られていた。
手は尽くしている。守り、戦っている。
なのにてんで間に合わない。
「ん、DM帰ってきた。地図と……あと、和菓子屋だって」
スマートフォンの電波は、つながったりつながらなかったり。はやくも78パーセントになった充電も心許ないが、今は命綱だ。
「すいません、刻陽学園中等部の神寺っていいます。親を探しています」
「ん、あれ? 刻陽学園の方で見た?」
肩で息する神寺 一弥(r2n000019)に、天子は小首を傾げ。
知人と、そうでないものと、とにかく一行は、磯子方面へと向かっている。
追われるように、逃れるように、それでも懸命に。
電車ならば秒――とまでは言い過ぎだが、僅か数分の距離だ。
そのはずだ。
京浜東北・根岸線の、たった四分と少しだけ。
けれど歩くなら、なぜこうも遠く感じられるのか。
「崩れてる、こっちはだめみたい」
「じゃあ、そっちの細いほうから行こう」
丸く滑り止めの穿たれた、ひどく狭い坂を降りて行く。
もうすぐ根岸を抜ける。堀割川を越えれば、次は磯子。
「線路沿いがいいかも」
瓦礫を避け、明かりのない路地を照らせば、充電はあと76パーセント。
もはや日常は、幻想になっていた。
それもとびきり暗く、不条理で、破滅的な。
けれどここは、まだマシなのだろう。
菖蒲が振り返る――おそらく桜木町のほうは、もう目も当てられまい。
――今はただ、歩く。
歩き、歩き、歩くほかにない。
「天子ちゃーん!」
元気いっぱいに手を振る甲斐 つかさ(r2p001265)に出会えたのは、山手のあたりから、かれこれ一時間ほど歩いた頃だ。
「つかさー! 連れてきたよみんな!」
「いらっしゃい。まずこの大福はサービスだから受け取ってほしい……」
戸を開けたヒリュウ・シルバー(r2p000116)が小首を傾げる。
「ごめん、このネタ続きなんだっけ?」
そんな風に笑ってやらなければ、きっと誰もが落ち着かない。
「このあたりの安全な場所と聞いてきました」
「……あ、はい。此方では地域の方含め広く、避難いただいています」
座り込んでいる夫人が居る。
俯き、涙をこらえている子供がいる。
苛立ちで脚を揺すっている老人もいる。
だが北靈院 命(r2p000308)達が招き入れたそこは、まだ安全だった。
夜明けまでの時間は、きっとあまりに長いのだけれど――
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