順調な反攻
「成る程、流石かぐらさんですね。K.Y.R.I.E.の作戦遂行能力も素晴らしい。
想定通りですが、やはり想定が想定通りに展開するのは都合も気分も良いものです。
いよいよ当市もリスクを買った甲斐があるというものではありませんか」
市長室のデスクで報告書類をぺらぺらとめくった涼介・マクスウェルは実に満足気にそう言った。
言葉は何処まで本気か分かり難い調子だったが、やや悪趣味めいたその言葉の真摯性は付き合いの長い王条かぐらだからこそ良く分かる。
報告を受ける彼に正対するかぐらは嘆息めいて呟くだけだ。
「現場の苦労を理解しない――如何にも役人的な台詞じゃあないか、涼介君」
「そうですね。私は冷房の効いたこのデスクにおりますから、天使との最前線の話は確かに理解しませんね。
……しかしながら、作戦に関わる十分なバックアップはしている、と自負してはおりますが。
特に氷取沢橋頭堡設立作戦は迅速だった。マシロ市が一歩前進した事は人類の大きな一歩でしょう?」
「涼介君はギャンブルをしない方だと思っていたけどね」
「ええ。ですから私はこの瞬間に到るまで一度もギャンブル等してはおりませんよ。
リスクは買ったが、それは必要なコストでしかないし、そもこの状況は想定通りだと言ったではありませんか
ギャンブルで勝ちを確信しているのは阿呆のやる事ですからね」
「……何処まで本気で言っているんだか」
問い詰めた所で返ってくる言葉は想像が出来る。恐らくは――
――全て本気ですよ? 私は優秀ですので。
――聞いた所で頭痛が増すような応答を敢えて引き出す程にかぐらは愚かな人間ではない。
「しかし、状況は以前に比べ加速していると評価せざるを得ないよ。
橋頭保の確保は上手くいった。だけど、続けて展開した金沢区での戦いは特筆すべき事が起きてしまった」
「……ふむ」
「涼介君。マシロ市が設立されてから数十年の時間が過ぎたけれど、これまで戦後の人類が中位天使と会敵した事はあったかな?」
「『早贄』だけですね。痛ましい事件だが、あれはかぐらさんの発言意図からすればノーカウントとすべきでしょうが」
「……感傷なのは理解してるけど、私はあれを会敵とは表現したくないんだ」
「意地悪でしたね。では、ありません。人類の生存圏で遭遇したのは精々が大天使級までだ。
そして言いたい事も理解しています。能天使級と思しき個体の報告でしょう?
……前回は向こうに余り積極的に戦闘する意図が無かったようですが、この先はそうはいかないでしょうね」
「現在のK.Y.R.I.E.の戦力で氷の天使――或いはそれ以上の個体に対抗出来るか真剣に検討する必要があると思う」
「それ以上の天井値が確実に観測できない以上、答えはNullだと思いますが。
上位個体の天使が生じた以上、天使側が何らか計画的、組織的動きを見せる可能性はありますがね。
正直を言えば、私の想定よりもう少し早く順調に戦力を増しているK.Y.R.I.E.ならば特級のアクシデントでもない限りは対応出来ると考えています。
少なくとも現時点では。例えばそう――アーカディア・イレヴンが顔を出したりしない限りはね」
「悪趣味な冗談を言ってくれるなよ」
苦笑したかぐらに涼介は肩を竦めた。
「ですが、嘘ではありませんよ。根拠もいくつかある。
まず、連中の出足は恐らくかなり遅い。能天使級個体が姿を現した現在においても違和感を感じませんか?」
「……違和感?」
「はい。そもそも、彼等は積極的に戦わないような連中では無いのですよ」
「――――」
「能天使級は現場の指揮官だ。そして天使は人類を滅ぼすものです。
本来であれば彼等、彼女等は会敵した人類を排除する方向に動くのが正当なのです。
だが、そうはならなかった。彼等は積極的では無かった」
「つまり……?」
「より上位の個体が何らかの理由により、その動きを抑制している。
これは恐らくアーカディア・イレヴン消失後の天使全般に言える事でしょうがね。
つまり、彼等の組織的動きというのは組織的動きである程に必ず後手を踏む。
この期に及んで動きの悪い彼等が突然に思い切りの良さを発揮するとは思えませんね。
もう少し当市は――K.Y.R.I.E.は彼等を押し込む事が出来る筈です」
「……」
「痺れが切れて、腹を括るタイミングが何時かを読み切る事は出来ません。
しかしながら、まぁ――実を言えば私は彼等の目的を知っていると言えば知っている。
少なくとも突然に何十年も姿を見せなかった中位個体が生じた理由はね。
一定の合理性を以って貴女に説明する事も可能ではある」
「これは確信を以って憶測を言うんだけど――」
苦笑を深めたかぐらは心底嫌そうに涼介に告げた。
「――君はその理由を説明する気はないんだろう?
そして、だからこそ一矢報いてやろうとも思うよ。
これは私の勘だけど、その理由とやらにはあの雪代刹那君が関わっているんじゃないか?」
「ご名答ですね」
肯定した涼介はかぐらの言葉の何処を指して「ご名答」なのかを言わなかった。
説明する気がない部分なのか、それとも刹那の話の事なのか――
「――何れにしても、真に覚悟を決めなければならない決戦は幾分か後でしょう。
これについては私の判断ですが、万が一があれば自ら責任を取る事を約束します。
K.Y.R.I.E.には金沢区方面への進軍を進めて貰います。
人類が本格的反攻に出るには、旧人類軍横須賀基地の確保は必須でしょう。
足元をきちんと固めれば、太平洋側への打通作戦――即ち、鎌倉、箱根を経た上での西日本へ道が漸く見える。
綱渡りは否めませんが、人類の生存自体がそうであったのです。
ならば、やれる事はやるしかありません。唯一無二の機会を無駄にしない為にもね」
涼介の言葉にかぐらは大きく頷いた。
やるしかないとは為政者に何と便利な言葉だろうか?
しかしながら、全て飲み込む。大事の前に全ての小事を劣後する。
(……本当に君が全部を説明してくれる人だったら、どんなにか)
理知的にそれを説明する涼介の調子に彼らしくもない調子が覗くのが癪に障る。
……言いたい事は山とあれど、かぐらはそれ以上は彼を疑う気にはなれなかったから。