イレギュラー・ゲイム


「……は? 今何と?」
 アレクシス・アハスヴェールは思わず目の前の男にそう問い返していた。
 自覚して――自身の美学にそぐわぬ、間抜けで凡庸な言葉だった。
 聞こえなかった訳でもなく、意味が理解出来なかった訳でもない。
 
「だから、儂が出ると言ったのよ」
 他方でアレクシスの動揺に頓着すらせず赤毛の大男――バルタザールはそう答えた。
 何事も無く平然と。驕りは無く、自らの手を煩わされる事にはむしろ幾分か機嫌の良ささえ見て取れる。
「……餓鬼の遣い等、御免被ると仰っていたのでは?」

 失態にも似た放心から気を取り直したアレクシスが何時もの皮肉気な調子に戻って言うが、バルタザールの答えはシンプルだった。
「餓鬼の遣いなぞ、儂が出るまでも無い。
 何処ぞの世界を幾つ制圧しようと、滅ぼそうと。そんな必要は一度も無かったなあ。
 変わらんと思っていた。儂が楽しめるのはだけだとな」
「それがどうして」とアレクシスが口を開くより先に答えはやって来た。
「任せていた下の連中が壊滅しよった」
「……念の為にお伺いしますが。?」
「そうさな。座天使ソロネが三、主天使ドミニオンが四。有象無象共は山程だなあ。
 ベルトルドが報告するには最早麾下だけで使命を全うする事は不可能だとさ」
「それ程に強力な種族、或いは軍隊が存在するとはね」
「いいや」
 首を振ったバルタザールはあっさりと告げた。
「相手は一人だ。どういう訳か知らんがほぼ塗り潰した後――顕れたに我が軍は引き潰されたらしい」
「……………」
 アレクシスは今度こそ絶句した。
 智天使ベルトルドはバルタザールの副官だ。
 有能な将軍であり、不敗である。
 更に取り分けバルタザールの麾下天使軍は主人の気質を顕すように精強であったと記憶していた。
 楽園エデン最強の熾天使に率いられる、最強の部隊はこれまで何をも敵にはせず、他の熾天使の全てより世界の攻略を進めていた筈なのに。
(……壊滅した? そしてバルタザールの出陣を仰いだ、だと……?)
 
 アレクシスとて――いや、他ならぬアレクシスだからこそ。
 この重大な危機的状況インシデントが時に起き得る事実である事は誰より理解していた。
(有り得ない。馬鹿げた話だ。私の計算に狂い等――)
 しかしそれはバルタザール麾下に生じるべきものではない。
 
「間違いでは……ないのですか。或いは何かのトリックがあるのかも知れません」
「ま、後者の可能性はゼロではないなあ――
 ベルトルド曰くらしいしな。
 お主も宜しく、権能やらそれらしきまがいものやら。
 全く益体も無く、下手な小細工に頼る連中は多いからなあ」
「偉大なる熾天使の宝冠を小細工呼ばわりするのは貴方位でしょうけどね」
 アレクシスは呆れて苦笑いを浮かべた。
(そうだ。その可能性は否めない。
 例外存在のの権能は時に軍勢さえ呑み込もう。
 ならば、この状況も頷ける。嬉しくない事態だが、まだ幾らでも修正は効く、か。
 バルタザール麾下の失陥は痛いが、最悪同盟を申し出る名分にもなるだろう)
 アレクシスは明敏な頭脳で状況に対するを見つけ出した。
 彼でもこのバルタザール麾下の全ての軍勢を一人で相手取って――大将を引きずり出せる確実な自信等無い。
 故にそれはバルタザールの言う所の賢しらな小細工の仕業に違いない!
「……それで、本気で出陣という訳ですか」
「ベルトルドが乞うならば必要という事だからな」
 部下への信頼も厚く、部下からの信頼も厚い赤き覇王は獰猛に笑って頷いた。
 漲る気力がその巨体を実物よりもずっとずっと大きく見せていた。
。何百年振りか――滾りおる」
 アレクシスさえも気圧しかねない圧倒的な存在感は最強の熾天使がすっかりその気になっている事を告げていた。
「どんな輩が相手だろうなあ。ミミを超える怪物か。それとも神話を捻じ伏せる一騎当千の戦士か。楽しみだなあ――」
 自身を残してのしのしと大股で廊下の先に行くバルタザールの背に、アレクシスは小さく呟くだけだった。
「……どんな相手だったとしても。同情以外出来ませんよ、その相手」
「そうかもな。まあ、お主にも土産話位はくれてやろう。愉しみに待っておれ」
 アレクシスは「そんなものを楽しみにする性分ではない」とは言わなかった。
 完璧な頭脳を持つアレクシスは、アーカディア・ツー、即ちこのバルタザールを楽園最強と信仰している。それはバルタザールが賢しらににして弱いと笑う自身の持つ根源的な憧憬のようなものとさえ言えるのかも知れない。
「……馬鹿げた話だ」
 自身と似ても似つかぬ無頼な男と何故馬が合って来たのだろう?
 ……認めたくはないが、唯強く豪放磊落なこの男に幾分か惹かれた自分を否めない。
 だから彼はきっと、あの嫌な女マリアテレサ等よりずっと強い筈だと。
「……………」
 そう、確信せずにはいられなかった――

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