狼よ、月なくとも吠えるがいい
御殿場にて天使とヒトとの激しい戦闘が繰り広げられるその一方。
南西部小田原エリア――つまりは終鐘教会にはまだ、牙が残っていた。
天使に与する人間、終末論者の牙である。
「狼牙様、狼牙様。指導者・ヒルダ様からお声がかかっておりますよ」
燕尾服に素敵なブーツをはいた慇懃な男が囁くようにいうと、カプセル状の治癒保存器がぱりぱりと割れて内側から一人の男性が起き上がった。
ウルフカットに目つきの悪い顔。そのくせ背は高く、ファッションモデルさながらの体型をしている。
「ヒルダか。面倒だな……」
「なんてことを仰るのです、ご主人様」
燕尾服の男が嘆かわしいとでもいうように顔を覆って天を仰いでみせる。いちいち芝居がかかったその動きに、しかし三峯と呼ばれた男はなんという反応も返さなかった。
どこかの地下室。木製のアンティーク家具に囲まれた洒落た部屋には、その風情とは不釣り合いに奇妙な機材が幅を利かせている。その『アンティーク側』に立って、燕尾服の男はパッと顔から手を離し笑顔をつくった。
「狼牙様。三峯 狼牙様。……ヒルダ様は天使の救いとヒトの正しい価値をお示しになった素晴らしい御方。まさに聖女ではありませんか」
「それについちゃ何も異論はねえけどよ」
一方で『機材側』に足をおろす狼牙。
カプセルから完全に身体を出し、狼牙は非常にラフな格好を整えるべくすぐ側にあったシャツに手を伸ばした。
乱雑に袖を通すと、帽子掛けにさがったベルトを掴む。
上質な革ベルトに、大きく無骨なバックルがついている。それをワンアクションで腰に装着すると、ブロンズカラーのバックル部分を撫でた。
「だが、天使とワタリをつけてくれたことには感謝しかねえな。おかげでこいつも最終段階にまで仕上がった」
言いながら、狼牙はふと燕尾服の男へと振り返った。
「……ちょっと待てよ。お前、一体、だ――」
「どうしましたご主人様。私は貴方様の忠実なるしもべ、シャルルではございませんか。
狼牙様の研究を支援し、広め、力無き人々がせめて天使様のお役に立てるよう鎧を配るお手伝いをさせて頂いているのです。だから、ほら――」
シャルルがパチンを指を鳴らすと、壁に備え付けていたモニターが起動し映像がうつしだされる。
ブロンズカラーの狼男めいた鎧を纏い、巨大なハンマーや刀を用いて能力者と戦う者たちの姿である。御殿場東部エリアを映したもののようで、背景をみるに分散配置した食料庫や武器貯蔵庫を能力者から守るべく鎧の者たちは戦っているようだ。
いや、この鎧……。
「おい、俺の『ラスティーウルフ』じゃねえか！」
「ええ、ええ。ご主人様のお作りになられた最高傑作にして研究の終着点。聖釘を特殊強化することで只の人間を強靱な存在へと変身させる鎧。その名も『ラスティーウルフ』に御座います」
あのブロンズカラーは、これまでいくつもの暴威を振るってきた。
狼牙が纏い戦っただけでは勿論ない。旧タイプの鎧に至ってはマシロ市中華街で何人ものフレッシュたちが装着し、暴走した憎しみや暴力性によって町へ物理的にも精神的にも傷を刻んできた。
そればかりか、大和市に留まった終末論者、とりわけ聖釘の売人グループであるグルガルタなどこの鎧で随分と奮闘したという話である。
仰々しく両腕を広げるシャルルを、狼牙はぎろりとにらみ付けた。
が、シャルルが笑顔で振り返ってみせると、狼牙はその目から力を抜く。
「狼牙様が、この終鐘教会を守る力を皆に与えるべく作りお配りになったのでしょう」
「……そうだったな。奴ら、案外使いこなしてるじゃねえか。マシロ市の連中も追い返せそうか？」
「さあ、それはどうでしょう」
肩をすくめるシャルル。
「しかしご安心ください。例え食料庫を多少潰されたところで、『城』までは届きませんとも。それに、ラスティーウルフの量産体制は既に整って御座います。ですので、もう『裏コード』を使用なさっても問題ありませんよ」
「ったく、しょうがねえな。結局最後は俺がやることになるんじゃねえか」
狼牙は頭をがりがりとかき、ふと手をとめる。
（なんだ？ 俺は、何かを忘れてるような……。……葵、巳笠、超次郎……それにあのガキと……）
浮かんだ疑問や人々の名前は背にかけられる言葉ですぐに霧散した。
「狼牙様。わたくしが最初に申し上げた言葉をお忘れですか？ ――指導者・ヒルダ様からお声がかかっておりますよ」
「おっと、やべえ！」
狼牙はベルトのホルダーに真っ黒な釘をさしこむと、地下室の出口へと駆け出した。
「おや、お食事は？」
「いらねえ！ それより、俺の研究の話が最優先だろうが！」
慌ただしく出て行く狼牙を見送り、シャルルは肩をすくめるのだった。
