大いなる愛よ。赦したまえ、救いたまえ
この世は愛に満ちているべきである。
故に、この乾ききった世界はまさに救いを求めている。
いや、愛を求めて叫んでいるのだ。
見よ、あの富士の咆哮を!
霊峰と呼ばれし富士山ですら、愛に乾き泣き叫んでいる。
愛。
愛!
愛!!
愛こそが全てを救う鍵であるからこそ、この世界という器は一刻も早く会いに満たされなければならない。
「愛!」
万感の想いを込めた朗々たる女の声がそれを告げた。
「愛! 愛! それは永遠の価値! この世の何にもまつろわぬ光! 素晴らしきもの!
お二人とも、大変に結構です。こんな所で愛の語らいなんて――素敵ではありませんか!」
一方的に酔った言葉と共にシスターのような恰好をした少女が、建物の上に降り立った。
おかしな組み合わせだ……一人は、目の中に螺旋のようなグルグルとした輝きを持つ少女天使。
もう片方は、全長60メートルにも及ぶ巨大なドラゴン……のような天使。
二人は互いに顔を見合わせるとやがて少女のほうは笑い出し、ドラゴンのほうはその顔面でも分かるほどに嫌そうな顔をする。
「……ミランダか。何を意味の分からないことを。それは新手の侮辱か何かか?」
「そうですね。眩暈を否定する人とはちょっと……」
少女天使……『虹色の』メニィエル(r2p005193)も微笑みながら意味の分からないことを言うが、実際この少女天使とドラゴンは気が合わない。
当然、ミランダと気が合うという意味でもない。
「まあ、まあ! なんてことを言うんですか!」
実際、侮辱などとんでもないことだ。ミランダは常に本気であり、ドラゴンにもメニィエルにも、愛に満ちた感情を向けている。
だからこそドラゴンはミランダをこの上なく嫌っているのだが、ミランダは気にした様子すらない。
木っ端であれば叩き潰せば済む話だが、ミランダはそのようなものではない。どの程度のものか、ドラゴンをもってして底が知れない。
だからこそ、ドラゴンは……『人類に怒り、そして憎む竜』フォスィモスエル(r2p002084)は、大きく溜息をつく。
今のところは話を聞いてやるしかない。会話になるかは別問題ではあるのだが。
「愛は素晴らしいものですよ? 愛無き世界は余りにも乾いております。
聖職者として――無明の何方かを照らして差し上げるのは性分なのです」
「は。くだらん」
「くだらないだなんて! 愛とは真摯に向き合う者にこそ微笑むのです。さあ、胸に手を当てて自らの愛を呼び起こしてください! そうすれば」
「黙れ。それ以上俺に踏み込もうとするな。この場で殺し合いがしたいのか」
「私と愛し合いたいのですか? でもごめんなさい。私の愛はもう捧げる相手が決まっているんです。あ、でもでも! 貴方はたくましいですから、きっと真実の愛を捧げてくれる相手がいますよ!」
なんと耳障りの良い言葉ばかりを並べ立てるものだろうか。だが、このミランダという女はまともなコミュニケーションが取れていない。
ともすれば怪物めいたフォスィモスエルの方が余程意思疎通が簡単な辺り、この女がどういう性質かは知れていた。
「踏み込むなと言ったはずだが。聞いていなかったのと聞く気が無いのと、どちらだ。言ってみろ」
「愛とは恐れず踏み込むことです。その過程で傷つくというのであれば私は喜んで進みましょう」
より一層タチが悪い。しかしフォスィモスエルはそれ以上ミランダをどうにかしようと思うのをやめた。
全く話にならない。答えが一つしかないロボットと話をしているような気分になってくる。
そんなに愛が愛がとわめくのであれば、自分のいないところでやればいいというのに。
嗚呼、殺してしまいたい。しかし、そんな衝動をフォスィモスエルは押し留める。
「永遠の愛はあります。ここにも、別の場所にも確かにありますとも!
折れず、曲がらず。病めるときも健やかなるときも、たとえ全てを打ち捨ててでも貫ける愛こそ――」
「ならばそのまま人知れず消えろ」
「消えません! 何故なら永遠の愛は全てを救うんです。だって、最後に勝つのは愛なんですから! ああ、咲き乱れよ愛の花! 世に愛よ、光よ満ちよ! 勿論貴方にも!」
真っ向から視線をそらさず対峙するミランダに……殺気立ったドラゴンのほうが先に目を背ける。
「そうか。狂っているな」
「狂わない愛などに価値はありません。狂うこと、それこそが真実の愛です!
私はあの人を愛していて、あの人もまた私を愛してくれているはずです!
だって私はこうなってもあの人のことが大好きで大好きで大好きで大好きで大好きで愛して大好きで大好きでたまらないんですから! 人が愛し合い未来を紡ぐというのであれば、私の愛もまたあの人に届いています! ええ、ええ! 今は遠くて感じられませんが、あの人に会えばその大いなる愛が私を包むでしょう! ねえ、分かりますか⁉ 愛とは、愛とは! 互いに与え合うものなんです! 私が与えるのと同じ量の愛が天秤に乗せられ、揺れることなく見つめ合う! 嗚呼、なんて素晴らしい! 離れる時間も愛を育むといいますが、熟す果実を見据える人もきっとこのような気持ちだったのでしょうね!? 今か今かと待ちわびるこの時間もまた、愛! 故に私は愛の素晴らしさを何処までも広く伝えていきたいのです! さあ、まずは語りましょうか。あれは私が」
「やめろ。聞くに堪えん」
愛。
愛。
愛、あい。
鬱陶しい。ミランダの言葉は全てがノイズだ。
そんなものが何を救うというのか。
今すぐ踏み潰して、そんなものはくだらないと示してやりたい。
「メニィエルさんも、そう思いませんか?」
そういえば、先程からメニィエルが全く話に参加してこないと思っていたが、見ればすでにメニィエルはそこかしこにいる人間たちに視線を向けている。
まるで此方の会話も事情も存在も何もかもが関係ないというかのような、その態度。
実際、メニィエルは先程の会話の流れなどほとんど記憶に残していないだろう。
メニィエルの興味はフォスィモスエルにも、ミランダにもない。
自分が救うべきは人間であり、正しい方法を知っていると信じるからこそ……早く救ってあげたいという、そんな使命感に満ちてすらいた。
その手には銀色の杖があり、メニィエルを知る者からすれば何処か異質なものであった。
だが、この場にいる者ならばそれが聖釘と呼ばれる代物であることに当然辿り着くだろう。
聖釘。その存在こそが、メニィエルを此処に導いた原因だった。
いや、確か……ミランダが「それも愛だ」とか言って、此処を仲介したのだったか?
確かに面白いとは思うが、メニィエルは此処の連中の思想に賛同しているわけでもない。
「ああ、やはりメニィエルさんもそう思われるのですね。この世には愛が足りていません。乾いた大地も、荒れる海も、何もかもが愛を欲する叫びであると。そう気付いておられるからこそ」
「必要とされているのは『眩暈』ですよ。眩暈の果てに神様との同一化があります。それこそが人類に残された救いなんです」
「愛ですね! 誰かを救おうというその愛! 私は理解いたしましょう!」
「……くだらん」
会話は一応成り立っている。使う言語が同じだからだ。しかし理解し合っているかといえば否だろう。
この二人の会話は、表面上成立しているように見えてその実、何一つ互いを慮ってはいない。
だが、それでも。湧いた僅かな疑問をフォスィモスエルは投げかけてみる。
「おい、そこの破綻者ども。結局のところ救いがあればいいのだろう? であれば、此処の連中のやり方でいいのではないか?」
フォスィモスエルは、ひどく冷静な口調でそうメニィエルたちにそう問いかけて。
フォスィモスエルは終末論者とはいえ人類があちこちで慌ただしく動くこの場所で暴れることすらなく、冷静である。
事実、フォスィモスエルの言葉は誰が聞いても……少なくとも終鐘教会の者たちであれば頷けるものだっただろう。
しかし、破綻者呼ばわりされた二人からしてみれば、それは最悪に理解の無い言葉に聞こえるのだ。
「まあ、此処に愛があるとでも?」
「なんてことを。そんな過程はどうでもいいみたいな事を言うなんて!
やり方が間違っていれば――似た結果さえ異なるに決まっているじゃないですか!」
そう、そうだ。メニィエルからしてみれば、それは違う。純粋な黒と、色んな色を混ぜ合わせた結果の黒くらいには違うのだ。
「神様との同一化、一体化には『眩暈』が不可欠です。ええ、ですから天使だって眩暈を体験すべきだというのはそういうところにあるんですよ!」
「分かりますよ。愛なくして得た結果に何の意味があるのでしょう?」
「そうか。お前たちは永遠に誰かと分かり合えることはないだろうな」
「ああ、神様……!」
「私は信じています。この乾ききった大地に愛が満ちることを……!」
どいつもこいつも!
全く期待などしていなかったが、もはや会話を試みるこそ自体が愚かにすら感じられる。
クルクル回り始めたメニィエルは、もはやフォスィモスエルの言うことなど聞いてもいないだろう。
いや、そもそも……最初からきちんと理解して聞いていたかどうか?
平和主義者を気取るメニィエルは、その能力からして戦場にたてば人間を殺しやすい天使でもある。
どうにも断り切れない事情があってこの小田原に留まっていたようだが……隙があればすぐに何処かに飛び去っていってもおかしくはない。
そして、ミランダもまたそうだ。
この女は、どうして此処に居るのかさえ分からない。
愛だなんだと喚く割には此処に居る人間たちに大きく干渉するわけでもなく。まるでおあずけをくらった犬のようですらある。
(……ん?)
だがそこで、フォスィモスエルは気付く。とても……とても重要なことであったような気がするのだが。
(そういえば、俺自身はどうして此処にいるのだったか……)
不思議と、此処に居る人類を殺そうとは思わない。
それが何故だかは分からず、此処にどうしているのだったかも思い出せないが……そんなことは些細であるように感じるのだ。
「……何を見ている」
「いいえ? 別に」
メニィエルの、そのグルグルとした視線に見つめられてフォスィモスエルは舌打ちしそうになる。
この自分よりもずっと小さな天使は……いや、それは元からだったと思うのだが……。
(自分の身体は、流石に此処まで大きかったか……?」
いや、それも些細なことだとフォスィモスエルは思う。
それよりも。自分たちに立ち向かわんとする人類が……もし、此処に来るというのであれば。
一人残さず滅ぼさなければならない。
終鐘教会の人間以外は全て。
「……?」
そう言えば、なぜ自分はそれを例外にしているのだ?
そう考えるフォスィモスエルの首元に刺さった小さな……フォスィモスエルからしてみれば針に等しい大きさの短剣を、メニィエルはじっと見ていた。
聖釘。そう呼ばれるものであるそれはフォスィモスエルの精神を歪ませ、更なる力を与えている。
終鐘教会に都合よく、そしてメニィエルからしてみれば少し不満な。それが今のフォスィモスエルを形作っている。
彼はそれに気付かない。気付いたら――どれ程怒るか、背筋はきっと寒くなろうが。
「大丈夫ですよ。人類は私が救ってあげますからね」
「それもまた、愛ですね。嗚呼、私は貴方たちのこと、好きですよ! 貴方たちなりの愛が世界を包もうとしている……私はそれを心の底から応援いたしましょう!」
ミランダもまた、フォスィモスエルと……メニィエルの聖釘を見て、そう微笑む。
人類を眩暈で救おうとしているメニィエル。
人類全てを憎むフォスィモスエルの矛先を、絶妙に変えている聖釘。
どちらもまた愛だと、そうミランダは信じている。
いや、確信に満ちてすらいるのだ。愛は大きく、深く……それ故に、全てを内包するのだから。
「何度でも言いましょう! 愛は全てを赦す大いなる力です。
嗚呼、此処は愛に満ちています。誰かの愛を助け、育てるなら……私は愛の翼を広げましょう。
嗚呼、神が愛よ。そして我が愛よ……いずれの時を、今は楽しみに待とうではありませんか!」

