『ターリル・マルタル』


 九頭龍大神の消滅と瞬爆
 全ての神威が注がれた一撃はアレクシスの権能を突き破り、遂にありの儘の彼が世界に晒される。守護の障壁は消滅し、忌々しくも神を僭称する畜生の手によるものなれば、すぐさまの再建は望めまい――
「……おのれ」
 だが――それでも。思わず、無意識の内に声を漏らした第五熾天使は
 未だ一度たりとも敗北した事無き男は――傷を負いながらも――健在であった。
「おのれ、おのれ、おのれ――畜生風情が! 何たる愚行、何たる不敬!」
 それでも内に渦巻く怒りの蜷局だけは、止めようがない。  燎原を焼くような激情はアレクシスらしくは無く、さりとて今や爆発せんが如く膨れ上がっている。

 ――

 激情は抑えなければならない。  そんな事は当然だ。聡明して優秀なるアレクシス・アハスヴェールは完璧でなけらばならないのだから。
 この怒りは確かに思考を乱すだけの劇毒ノイズに過ぎない。
 分かっている。分かってはいるが、あぁ――!

「――――か、はッ!!」

 喉の奥底から、咽せるように空気を吐き出した。
 全てが不快極まりない中――それでもアレクシス・アハスヴェールは
 塵芥共に生意気な反抗を受けようと、自身の絶対――その結論は疑うべくも無かった。
 崩れえぬ純白の天上である……と。その自負に一片の揺らぎも生じていない。
 古今東西、世界の枠さえ超えて――神話を嗜むなら分かる筈だ。
 なぜなら
 蛇畜生出来損ない等とはレベルが違う。
(そうだ。何一つ変わらない。権能ソドムとゴモラによる終局も、人類の行く末も)

 ――無論、遥かなの勝者さえも!

「僅かばかりは評価を改めるべきなのでしょうね」
 幾分か冷静を取り戻したアレクシスは誰とも対象を取らず、に言った。
「運命、情、事象――何でも構いません。
 簡単に外に染まる劣等共も、時に神をこれだけ苛つかせる事もある……と初めて知りましたよ」
 アレクシスに言わせれば何某かの色に移ろう事それそのものが劣等の証であった。
 彼にとって神の完璧とは、完全性の象徴である。絶対不変、永劫不朽の――最早それは理だ。

 詰るように言葉を零した彼の声色に念を押すような色が見え隠れしていた。
 揺蕩うようにモノなど、自己が確立されていないだけではないか。
 故に、
 その時だった。

「――アレクシス様!」

 ――もう最高潮の不快を微塵も隠せなくなったアレクシスの下へ現れた影が一つある。
 人類ではない。それは、天使。それは――
「……? 何をしているのです。貴方は命を果たしたのですか?」
 その名を呼んだ時、アレクシスの引き攣った表情は幾分か和らぎ、普段の余裕たっぷりのそれに近しいものになっていた。
 どれもこれも使えない――不出来な駒に過ぎなかったが、このターリルはアレクシスにとって幾分かのである事は確かであったから。臣民に祝福を与える聖王の威厳と自負は正しくアレクシスの心情を宥め、落ち着けていた。
「アレクシス様……」
 大粒のサファイヤの瞳が潤んでいた。
 この無垢にして残酷な童女のような力天使に走る僅かなノイズにアレクシスは柳眉を歪めた。
「――もうやめましょうアレクシス様。今ならまだ間に合います」
「……は?」とアレクシスは自覚しない――彼からすれば有り得ない程にな声を上げていた。
 今、この天使は何と言ったか。塵芥、ゴミのような虫共に集られ、最高の不快に苛立つ己に何を言ったのか――
「アレクシス様! ね、。ゲラントが待っています!
 いえ……エデンじゃなくてもかまいません。どこか遠く、だれの手も、眼も届かない場所でもいいんです……
 皆。皆、いなくなっちゃいました。エルシィエルちゃんも……もうどこにもいません。ヴァルトルーデおねいちゃんも、いなくなっちゃったんですよね。でも……うん、大丈夫。ゲラントならきっと分かってくれますから!」
「…………何を、言っているのです?」
 怪訝に問うたアレクシスの面持ちには強烈な困惑だけが浮かんでいた。
 純粋に分からない。
 なぜ、ターリルがこんな事を言い出すのか。
 自身麾下の天使でも特別に忠誠心の高かった彼女が、なぜ――
「決めたんです、アレクシス様。わたし、友達が出来たから」
 果たしてターリルは、アレクシスの問いを待たずに意を決してを伝えた。

「――わたしは、になろうって

 色んな人と話した。色んな人が話をしてくれた。
 果て無い物語の先に、或いは行く末に。彼女は一つの答えを得たのだ。
 それが幸福か不幸かは分からない。正しいものか、大いなる間違いかもまるで知れない。
 ただ――他者の願いを叶える伽藍洞は、彼女はこの期にて自らの願いを得た。
 或いは
 これからは、己も願いを伝える一個の生命であろうと――
「…………」
「今までずっと、ずっと一緒でした。なんだって一緒でしたよね」
「……………………」
「アレクシス様はいつもわたしにやさしくしてくれました。
 色々教えてくれました。アレクシス様は頭がよくてつよくていつもりっぱで――」
 拙くたどたどしいターリルの賞賛は最もおためごかしから程遠い、純粋な主人への好意だけで出来ていた。
 胡乱で当を得ない彼女の言葉に目を細めたアレクシスは彼女の言葉の切れ目を待って小さく頷く。
「……えぇ、ええ。貴方とはずっと共にありましたねぇ。
 思えば実にありましたとも。
 貴方との付き合いは、ゲラントやヴァルトルーデに次ぐでしょう。これほど長い者は、そうそういない」
「いつも、ずっと感謝しています。アレクシス様はわたしに役目意味を与えて頂いて……
 これまでのわたしの総てを、つくってくれたのはアレクシス様でした。
 他の人は……私の事を『傀儡の生がらくた』って呼ぶかもしれません。
 でも、わたしにとっては……他の人がなんて言おうと、しあわせでした。
 アレクシス様の役に立って、あなたがと言ってくれることが、しあわせだったんです」
 彼女らしからず熱っぽい瞳でそう言ったターリルは今一度、願いの言葉を強く、強く願って吐き出した。
「だから。
 息を整える。
 ターリルに取って、一番大事な事――それは。
「わたしはアレクシス様がだいすきです! 他の誰より一番のだいじです!
 これからも生きてほしいし、これからも一緒にいてほしいです!
 ずっとずっと、これからも、ずっと――
 だから……帰りましょう、アレクシス様!
 地上から離れて、どこか遠くに、もう一度!
 あなたがあの日、を拾ってくれた、あの時のように――!」
 早口でそう言ったターリルの言葉は半ば叫びじみていた。
 己が胸中に生まれた感情を、そのままに。理想エゴと言われようとなんだろうと、敬愛する主へ言の葉を形にしている。それは正しく、同時に何よりも間違っていて。ターリル・マルタルという傀儡が生涯初めて発した彼女自身の声に違いなかった。
 可愛がってきたのまごう事無きにアレクシスは口角を持ち上げる。
「――成る程」
 怒りに満ちようと困惑しようとも、やはりアレクシスはアレクシスだった。
 全知の男の頭脳は数式を読み解くように、
 眼前のターリルが如何なる景色を見たのか。如何なるが生じたのか。

 ――嗚呼、何という。何とこの地上は予想外の驚きに満ちているものなのか。

 ……だからこそ。アレクシスはただただ、穏やかに微笑んだ。
「分かりました。えぇ、ターリル。
「――!! アレクシス様、分かってくれましたか!」
「えぇ貴方は――」
 一息。
「――
 アレクシスは。第五の天は。
 
 そして。


 ――権能名『汝、煉獄の彼ダスト・ト方へ追放せんゥ・ダスト』、発動。


「あ、アレクシス様、それは」
「残念です。非常に残念です、が。貴方はもう
 我が影。我が臣民たる者は――我が色以外に染まる事などあってはならないのです」
「あ、あ……あっ……」
「さようならターリル・マルタル。
 貴方とは長い付き合いであり、永く楽しませてもらいました。
 これは怒りではありません。私はただただ残念なだけです。
 貴方は――貴方は極めて理想的な――我が理想郷のモデルケース筆頭
 瞬間、
 視界の端でのおまもりが、小さな星型のアミュレットが散った。
 それは彼女の右腕を神速に抉り飛ばし――直後、離れた右腕は
 その権能は、粛清の為の。穿たれた者は
 この権能を使う事が何を意味するか、ターリルは分かっている。
 
 それはこの冷徹な合理主義者にあるまじき、感情的な結論だった。
 傷んだ分け身をするならこのターリル・マルタルは好都合な餌だったのに。
 ヴァルトルーデを喰らった時のような完璧な正解を彼は進んでいなかった。
 ……アレクシスは怒ってはいない、と言ったが。少し違う。
 今や、彼の怒りは天上を突破したのだ。一周回って実に冷徹に裁決を下した。
 ターリルが変わっても、アレクシスが変わる訳ではない。
(あぁ……これは……)
 ……だからこそ、。分かっていたからこそ、語り合ったレイヴンズの誰をも連れず、ターリルは一人でここまで来たのだ。
(……これはもう、やっぱりダメでした……)
 アレクシス・アハスヴェールとは、こういうだ。
 愚民は悔い改めれば赦す。無知の罪は真なる神を崇拝する事によって浄化されるが故に。
 もう一度皆に会いたかったけれど。予想通り儚い夢だったかとターリルは力無く笑った。

 ルラちゃん――青春部の皆さんぶちょー、悠河おにいさん、結永ちゃん――
 Athenaのおねいさんや小さな妖精さん――ステラおねいさん――
 秀逸さん――所縁さん――スピカちゃん、みずか……おねいちゃん――
 ……ちまきちゃん……

 ――あたし、リルさんが欲しいです。

 ちまきちゃん……リルの事が欲しいって、祈ってくれたんですよね……ありがとうございます……
 泣き虫で、リルのとってもだいじな人。
 望めばきっとちまきちゃんは、隣に来てくれたでしょう。
 だからごめんなさい、リルは一人で来たんです。
 リルのわがままに付き合わせて――ちまきちゃんまでなってしまったら。
 リルは、さいごにリルが許せなくなっちゃいます。
 だいすきでした。とってもとっても、だいすきでした……だから、ばいばい。
(あぁ――)
 でも。
 でも、もっとわがままを言うなら。
 もし、
 一緒にこの先を生きたかった。日記を……文字でいっぱいにしたかったなあ。

 運命は残酷だ。
 底冷える畏れを抱こうと、灼熱の太陽を目指して飛ぼうとも。
 等しく冷淡なは気まぐれの侭に誰かの意思を弄ぶだろう。
 何ら悪びれる事はなく、この世界は誰を失っても続いていく。何事も無かったように
 結論から言えば、ターリルがアレクシスの眼前に辿り着いた時点で、彼女の死は確定的だった。
 それでも――今すぐ遁走すれば――助かる可能性は那由他の果てに、欠片程度はあったかもしれない。
「――――」
 だが彼女は見てしまった。目で追ってしまった。
 アレクシスの一撃によって――甲斐 つかさ(r2p001265)からもらったリボンが。九重 縁(r2p001950)の結んでくれたミサンガが――己が身から離れ、飛んでしまったから。
「――あっ、ダメ!!!」
 瞬間、も、友達からの贈り物した。
 それは以前のターリルであればあり得ぬ動作。理解不能で深刻な間違いバグに他なるまい。
 ただ、ターリルは砂金よりも大切なその刹那の時間をせずにはいられなかった。  残った左腕を伸ばし、宝物それを掴む。
 あぁ、良かった。どこかに飛んで行っちゃう前で。無くさずに済んだ。
 ポケットから転がり落ちたねこのオベリスク模型も、星のヘアピンも、可愛らしいリボンも、沢山のおまもりも。
 全部、ここにある。蝶々の使い魔が目の前で霧散した。
 もうどこにもいかないように抱きしめながら……この場にその顔は何一つそぐいやしないのに。
 確定的な終わりを迎えた少女はあの人好きのする笑みを浮かべていた。
「えへへ」
 ねぇ、皆さん――
(やっぱりわたしダメでした。ごめんなさい。預けたもの、受け取れなかったな。
 日記も書けなかったし、もう一度会ってぎゅって出来なかった……。
 怒られるかな、泣いちゃうかな。でも、笑って欲しいです。
 、怖くもない。
 ……温泉も、駄菓子も、スイーツも……みんなとの約束……ごめんなさい)
 でも。結局、こうなってはしまったけれど……
 この選択に悔いはありません。
「わたし、やっと、わがままにんげんになれました」
 アレクシス様が、わたしを見ている。
 アレクシス様。1度だってを見てなかった気がしたけれど――
「えへ……」
 皆さんに会えて本当に良かった。
 ターリルの顔には、アレクシスと異なる……純粋な幸福の色で満たされていて――

 ――直後。万象を灼き焦がす雷霆の刃が落とされ、想いも魂も全てが叩き潰された。

 誰が介入する事も出来ぬ、一瞬の出来事。
 ターリル・マルタルは己が死んだという自覚すらなく。
 この世から――消滅したのである――
「……なんたる事を」
 忸怩たる痛恨を抱えたアレクシスは、告げる。
「あぁ……あぁなんたる事をしてくれたのですか、愚民共風情が……
 忠実なる我が影。愛すべき我が臣民の一角を誑かし。
 宝玉のように美しく在った彼女人形を。
 こんな薄汚れた石くれ人形にしてくれるとは――」
 アレクシスは己が足で地を踏み付け、擦る。
 だがその憤怒はターリルそのものではなく、人類に向いていた。
 ターリルが変わってしまったのは
 アレクシスは無自覚だったが、ターリルはやはり彼にとっての特別だった。
 人間めいた情愛でそれを語るのは難しかったが、彼女は彼の――作品だったから。
 可愛いターリルは、歪んだ彼の寵愛を受ける実に美麗な器であった筈だから――

 ――敢えて、陳腐な表現をしよう。
   アレクシス・アハスヴェールにとってターリル・マルタルは娘にも近しかった。

「もういい。もう、宜しい」
 アレクシスは、激憤を超え絶対零度に至っている感情を携えながら。
 神秘を紡ぐ。自身の有する全てのリソース余裕を、注ぎ込み。
 

 ――権能名『滅亡の書・ソ神の怒りドムゴモラを知れ
 ――権能名『森羅万象の理よアーカイバ・グ、我が手中たれランドレコード
 ――以上二点、使使

 繰り返す。それはアレクシス・アハスヴェールらしからぬ愚挙であった。
 
 獅子搏兎。獅子は兎を狩るにも全力を尽くす――などという言葉があったとて。アレクシスが今まで総力を曝け出す事をそうしなかったのは、最大の警戒対象である意義が大部分を占めていた。
 後は、熾天使として気高すぎるプライドが故か。
 兎はおろか人類など踏み潰す蟻に過ぎぬと思っていたから。力を尽くす事が恥。
(だが、もういい。あぁ貴方達は蟻では無かったのだ。そう――)
 実に皮肉な事に事これに到りアレクシスは最初に辿り着くべきだった結論を知る。
 ねじ曲がった精神構造の末に、最もシンプルな正解にその意識を向けていた。
「今確信しました。
 貴方達の紡ぐ生など、なんの価値も無い。なんの意義も無い。
 いやそれだけならまだしも……貴方達は我が影のとなった。
 万死に値します。比喩ではなく、文字通りね。
 貴方達は秩序を乱す、許されざる破壊者にして異端者だ。故に――」

 ――我が裁決、此ケラウノ処に成れりス・ゼロ』――

 第五熾天使は、決して死んでも認めぬだろうが。
 彼の傲慢たる精神は今、ターリルによって僅かに――
 アレクシス自身が何か変わった訳ではない。未だ彼の根幹は不動である。
 されど真に、心の底から……こいねがおう。

「滅びなさい。死滅しなさい。
 神の我が名の下に、万象悉く消え失せるがいい――!
 貴方達は! 最早一片も! 存在する価値などないのです――!!」

 


 ※ターリル・マルタルがアレクシスの粛清により完全消滅しました……!
 ※アレクシスの神秘規模が急激に高まっています――!


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