崩落する天上世界


 時間は僅かに遡る――
(ああ、畜生――)
 全く――らしくない事を強いられている。
 主天使ミハイルは断固たる粛清の刃を振り下ろすアレクシス・アハスヴェールと決死の抵抗を見せる人類の壮絶な戦いを
 出力が抑えられているとは言えアレクシスのその技は絶大であり、それに真っ向から立ち向かう人類の意思は鮮烈だった。
(――畜生、まったく。、こんなもん)
 何れも一目も二目も置くべき素晴らしい現状。ミハイルはである自分に苦笑いを禁じ得ない。
 ……いやさ、相手はあの猊下でも、いっそ人間の方でも構わない。
 
 何れにせよ彼は人類との前哨戦で熱が入った彼は一秒毎に強くなる刹那的な願望を押し込める事に全精力を注ぐ事を余儀なくされていた。
、この上我慢が重要って事かい。今更になって?)
 もし目の前に広がる光景が千載一遇の好機で無ければ飢えた獣ミハイルは堪える事が出来なかっただろう。
 もし彼が誰よりも長い時間を見果てぬ野望ゆめに費やしてきた夢想家ロマンチストで無かったならこの時間を踏み止まれた訳も無い。
 

 ――お主は全く最高に弱いのう!
   だが、貪食なのは悪くない。まぁ、精々頑張れ。
   餓鬼の遣いを過ぎたら――儂がちぃとは遊んでやるからな!

「こっちはクソ真面目にここまでやって来たのによ。
 あっさり約束を破りやがって。アンタが抜けちゃ俺は全く興覚めだぜ」
 かつて小突かれながら言葉を交わした熾天使バルタザールが脳裏に蘇れば、ミハイルの口元が皮肉に歪む。とは言え、

 ――崩天のミハイルの目的は遥かな昔から一貫して最強の天使に到る事である。

 エデンでも最古の天使として知られるミハイルの階位が天使級で始まった事を知る者は極めて少ない。
 あの至高マリアテレサが成り立ちから神の寵愛を浴びる程に受け、に収まったのとは対照的にミハイルという男は始まりにその名さえ持ってはいなかった。
 ただ、一点。殆どの天使級が碌な自我を持たない一方で、ミハイルは最初から明瞭な自覚を持っていた。
 それは確かに他と異なる、突然変異的な才能だったのかも知れないが――最弱の天使が永い時を生き抜くには余りにもささやかで小さなギフトだったと言わざるを得まい。
 何れにせよ事実は明確だ。
 ミハイルは有象無象エンジェル級としてこの世界に顕れた。卑怯も策も芸の内。総ゆる手段を尽くし、荒天のエデンを航海し、幾つかの偶然と幸運、或いは根源的な資質に拠ってここまで昇ってきた。で残っているのがマリアテレサだけという事実は至高に相反する底辺であった彼の特別な運命を何よりも物語っていると言えるだろうか――
 ともあれ、今日という日はミハイルにとって待ち望んだ人生最高の機会であった。
には鍵が要る)
 座天使ソロネを超える位階は単純な力の多寡のみならぬ絶対がある。
 高位天使と呼ばれるそれに到るには何かの殻を破る必要があるのだと――主天使ドミニオンに長く滞留したミハイルはあたりを付けていた。
座天使ソロネは――コツみてぇなもんだろうな。
 単純な出力なら筈だ。だが、切っ掛けが足りなかった。
 智天使ケルビムは俺の性質上不可能だな。じゃあ野良にはいよいよ縁は無ぇ。
 すっ飛ばして熾天使解決に到るなら――これしか手は無ぇって訳だ)
 繰り返すがミハイルの目的は最強の天使に到る事である。
 アレクシス・アハスヴェールを弑逆するこの機会はその入り口に過ぎない。
 彼の宝冠を簒奪するのはその道のりを行く為の入場券に過ぎない。
(謀惑のディオン、死と豊穣のフレア、永遠の薔薇リーゼロッテに怪物ミミ。
 理想騎士マーカス・シャトーペルに万物の母アレクサンドラ……
 最強バルタザールは今は無くても、何はなくとも究極そのもの――同期の至高様タカビークソ女
 十一番イレギュラー双子ガキは兎も角、あまりにあんまり――
 ――ええ? お楽しみが広がるってもんじゃねえかよ?)
 燃え上がる野望と、燃え盛る渇望に身を焦がしながらミハイルは目前の戦いを密かに睥睨し続けている。誰にも気付かれぬよう細心の注意を払い、やがて放たれる最高の一瞬の為に張り詰めた弓の弦を引き絞り続けていた。

 ――覚えておけ。否、忘れるな。
  我はいつでも、いつまでも、汝らを見ている。
  汝らの先行きを祝福している。人の生を愛している。
   そして――道を違え、誇りを忘れたなら頭から全て丸呑みしてやる。
  忘れるな、人の子達。其れを、決して、忘れるな――

(まだ。まだだ……)
 蛇の顎の死出の一撃を見送り、

 ――わたしは、になろうって

 愚かで愛しき天使の届かぬ想いと最期を見送った。
(まだだよ。焦るな。止まれよ、!)
 ぐらぐら、ぐらぐら。
 世界が煮える。怒りにも似た喜悦で揺れる。
 くべられた全ての熱が解放の瞬間だけを待ち詫びていた。
 それは――全く原初の破壊欲求であり、何ら憎しみで濁らない全く透明な殺意下剋上そのものを成している!

 ――今、アレクシス・アハスヴェールは眼前全ての敵に烙印を落とし、命じん!
   即ち、神罰執行。畏れ、慄け! 『我が裁決、此ケラウノス・処に成れり』ゼェェェロッ!!

 ……嗚呼、神鳴る雷霆が世界を焦がす。
 数限りない雷が戦場を、レイヴンズを、りもこんを灼く。
 そんな光景をミハイルは半ば恍惚の気分で見つめていた。
(だって――ようやく、ようやくじゃねえかよ!)
 瘧のような強烈な寒気に背筋を舐め上げられ、ミハイルは遂に最高潮を迎えていた。
 見開いた彼の青い瞳が最後の奇跡で身を挺する――りもこんの姿を映している。
 パノプティコンで交わった――曲がりにも男の最後の雄姿を映していた。

 ――――この勝負は、俺の……いいや、

「いや、アンタ達は良くやった。俺の勝ちだよ」
 言葉は低くせせら笑う。
 その翼を大きく広げ――ミハイルは超上空から一気に急降下を仕掛けていた。
 目標は馬鹿面晒す猊下の首――そして、レイヴンズに捧げるべきはご苦労様の鎮魂歌レクイエム
「よう」
 気安く短い呼びかけにアレクシスが天を仰ぐ。
 逆光の中に浮かぶのは傲岸不遜なる主天使の影。
 最古の天使――
「ミハイル――」
「――まったく。遅いんですよ……」
 同様に。彼方、眩しさに目を細めた明星 和心(r2p002057)が、夜神 ステラ(r2p002295)が彼方を見やった。
(美味しい所だけ自分のものなんて――伊達男格好つけ。本当に恰好良い所見せてくださいよ)
「望みの世界を掴み取るのはわっち達だし! ステラお姉さんもあげないしぃ!」
 無意識の内にな想いを抱いてしまったステラの傍らで和心が気炎を上げたが、無論と言うべきかこのミハイルの干渉に強い警戒を抱いていたのは彼女達だけでは無い。
「――そろそろいらっしゃる頃だと思ってましたよ」
 神代 くるみ(r2p000888)はこの敵の出現に驚かない。
 彼女は最初からこれを確信していた。
「だから一兎を追えと言ったんだ、ミハイル。
 君が僕達に興味を持ったように。この僕も君を逃せなくなった。
 あれ程熱く滾る戦をしておいて浮気とはいただけない。
 人生の不運は幸運の倍はあるって云う。
 大事な時ほど――決まって嫌な予感は、あたるものとは思わないかい?」
「――ええ。
 含み笑い、何処か超然とした調子で揶揄った晦 総嗣朗(r2p000168)に続き、鋭く凛とした声を響かせたのは【Athena】を率いるElaine Willy(r2p000291)だった。
(──共に踊った剣を交えたならば分かりますよ。短い付き合いでも貴方の事は――)
 彼女と彼女の指揮するレイヴンズはこの戦いの、この瞬間こそを粘り強くマークしていたのだ。
「貴方の望みは、貴方の願いは、貴方の野望は!
 今ここで……私達が食い止めます!」
「ふふ、さながら獲物の取り合いと言った所かしら。
 今度は先程の無礼をお返しして――こちらが泥棒猫になる番ですわね?」
「九頭龍大神が顕現してくれた?
 行方不明になってた魂に、菊蝶ちゃんたちの声が届いたって?
 りもこんさんだって……っ、負けられない、絶対に。
 これだけの力が一つになって、熾天使に食らいついてるんだ。
 ミハイル、お前にだってこの金星は譲ってやる訳にはいかないんだよ!」
 Elaineに応じてヨミコ(r2p004131)が、二階堂 朱鷺(r2p001201)が動き出す。
(私の知っているひと、知らないひと皆それぞれ、想いを貫こうとしている。
 それはきっと、熾天使側も同じ。そして、それに成ろうとする存在も、同じ――)
 翡翠黒漆を構える――絃(r2p001348)が引きたいのは唯の弦ではなく運命そのものだったかも知れない。
「ここまできたら、あとは意志の強さの話かなって。
 私は、平凡な日常がこれからも続くことを願って戦う。
 貴方は、熾天使になるために戦う。
 価値は交わらないけど、どちらも大事なら……後は
 きっと、そういうこと、だよね」
 遠目からでもわかる、力の差。
 一度顔を背けたら、そのまま逃げたくなるくらいの絶望的な差。
 でも、ここで逃げたらきっと誰もが二度と戦えない。
 
「まぁ、いい勘してたが――邪魔するにはよ。
 いや? 邪魔をして貰うには――
 ……しかして、魔弓の軌跡さえ荒れ狂う雷撃の渦を超えぬ。アレクシスにとって奇しくも救いの手に成り得る【Athena】達レイヴンズを阻んだのは雷霆だ。最悪の敵ミハイルを阻む彼等の動きはアレクシス自身が展開し周囲を焼き払わんとした御業ケラウノスの残滓に遅らされていた。
 強引に突破を図ろうとするも、そも相手は主天使最強崩天のミハイルだ。
 宝冠の強奪は阻止せねばなるまいが、少数で理も先も無い無理無茶を貫いて止められる相手ではないだろう。
「僥倖だなア――」
 渦巻く雷撃の雨の中、笑みが深まる。
「しかしまあ、随分とあんまりな格好じゃねぇの――
「不敬が過ぎる……! 私を誰だと思っているのですか、主天使ミハイル!」
 怒号と共に放たれた牽制の魔弾の悉くをミハイルの左手が弾き飛ばす。
 それぞれ個々は小さな一撃と言えどその本質は無数に瞬いたである。
 無数に思える程に炸裂、分裂したそれは、相手が並の敵ならば万一の生存を赦さぬ必殺性を帯びていたのだが――
「まァ――見ての通り。人間に追い詰められた俺の餌かな」
 ――神を弑逆せんとする金色の獣を狩るにはその迫力は余りに足りず。
 やり取りに出力低下を痛感したアレクシスの美貌が強く歪んだ。
「猊下サマ。売る程あった余裕の風は品切れみてぇだな?」
「おのれ、おのれ! この、痴れ者が……ッ!」
 誰が呼んだか、薄ら笑いの面を引き攣らせている――が、しかし、まぁ。実を言えばミハイルの仕掛けも本人の態度程余裕を持ってのものではない。
(全くどいつもこいつも。
 猊下の事だ。立て直させたら厄介極まる。
 それに――お嬢ちゃん達がああいう感じなら万全な時間は短ぇな。
 このままじゃまた大勢仕掛けてきそうな有様じゃねェか――)
 ――最早甘く見るべきではないレイヴンズは早々と自身の邪魔をするのだろう。
 そして、そんな千載一遇邪魔を得ればアレクシスは立ち直ろう。
 自身に万全に許されるのは僅か数十秒足らずの好機に他ならず。
 どうするか? 簡単だ。
 そんなもの、最初から決まっている!
 必要なのは――最大最強のだ。
 めげない敵達が何の対応を取るよりも早く彼等ごとこの世界を崩天の色に塗り潰す!
(そして、俺の権能はそれに世界一向いてるぜ、ってなあ!)
 熾天使を間合いに収めたミハイルの纏う力が赤く、赤く――増大した。
 時間がないならば、強く疾く。この、一撃限りで決め切るまで!

 勝負は世界一長い一瞬だ。
 そして、。間違いなく。

 出力のピークを越えた今のアレクシスならば、自身が確実に上回ろう。
 。慎重に、大胆に。ミハイルという男は賭け時を決して見誤らない!
「チェック・メイトだ。
 ……ああ、だがちょっと気が早過ぎたかな?」
 十分溜めた己が権能――最凶の右を繰り出して、力の限りに咆哮した。

 ――吼えろ、震えろ! 崩れろ、堕ちろ!
   喰らい尽くせ、これが俺の――崩落する天上世界エンドレス――ヴァルガイン!!!


※――『我が裁決、此ケラウノ処に成れり』ス・ゼロにより、りもこんが消滅・死亡しました――!
※……と、ほぼ同時に――崩天のミハイルがアレクシスに一撃を――!?




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