掌天
――権能『崩落する天上世界』。
ミハイル本人をしてシンプル極まりなく、ただ際限なく強くなるだけの権能は彼の精神性を良く顕していた。
天使の持つ権能が本人の資質や心象世界を映し出す事は多く、ミハイルのそれが永続の飢餓を示していたのは当然だったと言えるだろう。
『崩落する天上世界』には実は二つの力が内蔵されている。
一つは常時発動型――ミハイル本人の限界を無限にも引き上げる可能性の集積装置。
天使級として顕れたミハイルが主天使の域に到ったのはこの先天的性質が大きかったと言えるだろう。尤も、彼が明確に権能としてこの力を自覚制御し、定義したのはもっと後になってからの事にはなるが。
今回の話で重要なのは二点目だ。
二つ目の能力は瞬時発動型――つまり大雑把な言い方をするならば必殺技である。
ミハイルの権能は本性を示した時、両腕に纏わりつく破壊的な格闘武装の姿を取る。
それは実体化した概念であり、単純物理に支配されぬ天使の顕現である。
それらは武器でありながらミハイルの一部であり、戦いで進化する生きている武装の如き体を成すものだ。
……結論から言えば権能による必殺にはミハイルが「不器用」と自嘲する重い制約が存在した。
千の技を使い捨てるように容易に連発するアレクシス・アハスヴェールとは対極に位置するような使い難さ。その根幹こそこの権能に真価を発揮させる為の前提条件の準備の厄介さである。
ミハイルの権能の出力は最凶の右に集約される。そして、その瞬間出力規模はミハイルが右を出力させずに経験した激戦の質と量に依存する。
実に難解な解説をもう少し簡単に要約しようか。
つまり、現在のミハイルの必殺技とは疑似的な経験値を右腕に溜め、際限ない一撃を放つというものだ。
レイヴンズを先んじて襲撃したのは彼等の出鼻を挫き、その後の展開を上手く進める為の布石であると同時に。対アレクシスという――大それた宝冠の簒奪戦において十分な出力を貯める準備動作であったという事でもある。
無論、ミハイルの出力が安定して保証されて――アレクシスを上回る事等有り得ない。
但し。これだけの使い難い制約の架された権能である。自身で誇るその通り理論上は彼の力はより上位さえ打ち殺し、或いは本来のアレクシスにさえ貫通するのは間違いない。
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「――そういう事か!」
迸った出力を視た時、八木 絵空(r2p000144)は直感した。いや、してしまった。
元はと言えば隊長のお熱のついでのような参戦だったが――
(……冗談だろ? あの人数相手に本気で手加減してたって話かよ)
頭の回転が人より随分早い少年が察したのは戦わされていたと思うだけで背筋が寒くなる力と、それ以上に怪物的な戦闘センスだ。
「……ッ……!」
師の剣の真似事は彼に限りなく近付けど。
絵空と同様に祠堂 一葉(r2p000216)は剣の道と、その先――ミハイルに認められた師匠の背との距離を否が応なく自覚してしまった。
「成る程、大した男だな。なればこそわしの獲物狩りにも相応しいか――」
鬼 迅衛(r2p000559)はむしろ満悦の気色だが――嗚呼、あろう事か、何という事か!
一撃を放てばその瞬間は空になる、それが故に。
この一撃を蓄える為にミハイルはレイヴンズとの戦いの前半でその脅威を十分に知らしめ牽制とし、戦いの後半を左のみで捌いていたのである!
(ああ。化け物だ。知っていた。
君はあの遠い日の頃から何一つ変わっちゃいない。
だからこそ、私は君が欲しかった。君とやり合う時間は――格別だったんだから!)
【マサクゥル】の面々と共に駆け付けた熾鳳寺 カルラ(r2p000194)の視線の先で大いなる野望が凱歌を上げた。
――獲れるッ!
ミハイルの右爪が赤く空間を引き裂き、圧搾するその握力が捉えたアレクシスの神聖領域を木っ端のように打ち砕く。
「ぐ、うううううううあああああああああああ――ッ!」
らしからず声を絞り出したアレクシスの纏う圧力が増大し、ミハイルの侵略を僅かばかりに押し返した。
全身に走る痛みと負荷に目を血走らせ、獰猛な牙を剥いたミハイルは先刻知れていた強烈過ぎる抵抗に怒鳴り声を上げていた。
「素直に死ねよ。この何か月か――十分夢は見れただろ!?」
その台詞は永きに渡り夢だけを見ていたミハイルの語る強烈なまでの皮肉である。
「主天使風情が、良く囀る……ッ!」
拮抗する力と力がぶつかり合い、己が生存に全てを振ったアレクシスが目前のミハイルを睥睨する。
「身の丈に合わぬ夢に溺れ、この私を弑逆しようとは何たる愚物――
理解していないのですか、ミハイル! 私のこの顕現は分け身に過ぎない。
仮に貴方が打倒を叶えたとて、宝冠の簒奪等――なるものですかッ!」
「そうかもな」
「!?」
せせら笑い、勝ち誇ったアレクシスは間髪入れず戻ってきたミハイルの肯定にぎょっとした顔をした。
ミハイルの方はと言えばそんなアレクシスに構わずに更なる力で爪を押し込む。
「だが、やってみなけりゃ分からねえだろ」
「……っ……」
「猊下サマ。最古の天使が何体居たか知ってるかい?」
おおおおおおおおお……!
大気が震え、地面が揺れる。
「……これは……!?」
「大した状況だ。変な話だけど流石はミハイルって事なのかもね――」
「――半端に近付けば余波に呑まれます!」
干渉しようとしていた【Athena】の面々――ヨミコや総嗣朗が足を止め、Elaineが警告する程に。
向かい合うミハイルとアレクシスの激突で作られた圧力はもう他の誰をも寄せ付けない程の力溜まりになっていた。
殺意が渦巻く。行き場を決め切れない力が哭き叫ぶ。
まさにそれは異界の如く、新たな登場人物を拒絶している!
「実を言えば答えが無い。厳密に言うなら数えてねえ。
……って言うか、ナンセンス過ぎる。数え切れねえ。
ただよ、そいつら今二体しか現存してねえんだよ。分かるか、この意味が。
なあ、猊下。産まれた時からNo.1で、世界の究極だったアンタに分かるかい?
ええ? 分かるかい? この意味が!」
ギリギリと、軋みが上がる。
拮抗が少しずつミハイル優位に傾き、アレクシスの肌から血が流れる。
「クソゲー結構。大いに結構!
新参者君よ? 雑魚って嗤えよ。見下してみろよ?
なあ! アンタからすりゃあ出来損ない――所詮俺なんざ小物だろ?
ただよ、死ぬ前に覚えとけ。アンタ達と俺は違う。
いやさ、アンタ達と比べるならまだその辺の人類のが共感出来るね!
死ぬも生きるも――残ってきたのも全部この時の為だってンなら。
何十億だか何百億だか――その内のたった二に残るギャンブルを愉しんできたならさ。
簒奪の成否を審判の気まぐれに任せる程度――
――そんな程度じゃ、ほんの微風の問題にもならねェだろうがッ!」
――咆哮と共に爪が閉じた。
「ぐ、ああああああああああああ――ッ!」
アレクシスの翼が、あの――熾天の六枚羽がもぎ取られた。
一枚、二枚、三枚。
限界以上の出力でぜえはあと呼吸を乱すミハイルにも最早余裕は無かったが、アレクシスがそれ以上であるのは明らかだった。
「……っ、いけない……!」
最悪の事態ならばアレクシスを庇ってでもミハイルを止めねばと考えていたアリアス・ミラドレクス(r2p000020)が声を漏らした。
アレクシスの状況が極めて危険である事はこの場の誰にも疑い得るものではなく。
圧力を堪えながら強引に近付くアリアスが間に合わない事も余りにも知れていた。
――獲れる。いや、獲った!
ミハイルの口元に獰猛な笑みが浮かび、そして。
ピ、と。妙に耳に残る甲高い音がそんな彼の鼓膜をごくささやかに揺らしていた。
※――『我が裁決、此処に成れり』により、りもこんが消滅・死亡しました――!
※……と、ほぼ同時に――崩天のミハイルがアレクシスに一撃を――!?

