熾天使アレクシス


「僕がどうして怒っているか――
 何故貴方を罰しなければならないのか――その、理解をしていますか?」
「――――」
 諭すようなその問いにアレクシスは咄嗟に言葉を返す事が出来なかった。
 そもそもアレクシスには同格の機嫌を取らねばならない理由は無い。マリアテレサが神の代行者(ゲイムマスター)として熾天使執行の差配を任されているらしい……というのは事実だろうが、彼女は同時にプレイヤーでもある。詰まる所、マリアテレサはアレクシスへの命令権等有していない。
 アレクシスが今回の顛末で彼女から隠れたのはこの時点での戦いを望んでいなかったからというだけの話である。
「……さて、ね。地上顕現の禁についてはあくまで頼み事と認識しております。
 私としては、抗議は兎も角貴女に罰を受ける筋合いすら感じられないのですよ。
 いえ――違うな。より厳密に言うのなら貴女には罰を口にする権限等無い」
「……」
「貴女は代行者に過ぎないでしょう? 偉大なる父ではない。
 それとも――他ならぬ貴女が神を僭称するのでしょうか?」
 再三に渡り神を僭称した男がいけしゃあしゃあとそう言った。
 鼻で笑う返答の一方でアレクシスは猛烈な勢いで高速思考を再開していた。
 彼が思考を奪われたのは――驚愕に叡智を失ったのはほんの一瞬の出来事である。
(……私を誰だと思っている)
 元より敵対する相手だったのだ。ならば解析し切った上で対応をすれば良い。
 他の熾天使ならばそれは叶うまい。
 だが、アレクシス・アハスヴェールは最も叡智にして、千の技を持つ最優なのだ。
 アレクシスは密やかに『森羅万象の理(アーカイバ・)よ、我が手中たれ』(グランドレコード)にアクセスし、マリアテレサにその意識を集中させた。
(勝ち誇り、無駄な会話を選んだ(私に時間を与えた)事を――後悔するがいい)
 膨大な情報の海へ潜り、アレクシスは猛烈な勢いで底を目指した。
 マリアテレサが権能を名乗った何某かが攻撃を阻害したのは確かである。
 しかし、全ての権能には何らかの仕掛けがある……というのがアレクシスの結論だ。
 至高(一番)たるマリアテレサのそれが何らか異常なまでに強力なのは想定の内ではあるが、権能戦(この分野)で後れを取る自身ではない!
「ええ、そうですね」
 半ば挑発したアレクシスの言葉をマリアテレサは予想外にも素直に認めた。
「僕が地上への顕現を禁じたのは――ルールではない。
 僕にはそれを強要する権利が無い。その可愛らしいお願いは僕の不興を買っても良いのなら――プレイヤーが守る義務を持つ強制ではありませんでしたね。
 ですから貴方の言う通り。貴方は僕に怒られる理由があったとしても僕に公的な罰を下す権利は無い。
 地上顕現の違反はまあ――要するに僕が不愉快なだけですからね」
 マリアテレサの気性を考えれば不愉快ならば罰する――そんな結論さえ想定されようが実はアレクシスの見立ては違う。
 マリアテレサは父より預かった代行者の役割を心より愛している。他の有象無象が相手ならば彼女は気分で動こうが、ことプレイヤーたる熾天使(アーカディア・イレヴン)が相手ならばそれは話が別になるのだ。父が正しい本戦の開始を望む以上、マリアテレサは短絡な判断を下さない。
 彼女は如何に不愉快であろうとも決して軽挙には動けない。
「ならば――」
「――ですが、今回の話は問題が違う」
 アレクシスの言葉をマリアテレサはぴしゃりと遮った。
「僕はね、アレクシス。貴方が僕のお願いを無視した所までは――赦せるのです。
 始まればいの一番に消してやれば良い、その程度の感想しか抱いていなかったのです。
 ですけれど。貴方が地上で敗れた件の話は別です」

 ――ぞわ、とアレクシスの背筋を嫌な感覚が走り抜けた。

「貴方はお父様の下さった至天の宝冠を見事に汚した。
 わざわざ僕の言いつけに違反しておきながら……
 長く五番の座を務めた貴方が、不出来なあの子にも劣る無様を晒した……!」
 言葉の最中ながらマリアテレサの纏う空気に怒気が零れた。
「僕達はお父様の頼んだ使徒なのに。
 貴方は黄昏の人類に熾天使を敗れるものだという間違った認識を与えてしまった!」
 増大するマリアテレサのプレッシャーは今にもアレクシスに牙を剥きそうな程まで高まっていた。
 無意識に漏れ出た致死の魔力の奔流をアレクシスは軽く凌ぎ、もう一度勝利に向けての演算を叩き直す。
 ……深く潜るマリアテレサの海は未だ解析に到らない。
 だが。
(先の防御権能は確かに厄介でしょうが――私は権能の十や二十捨てても構わない)
 総ゆる能力を、総ゆる角度から叩きつけ、その隙を、撓みを、非整合を、不具合を必ず暴き出して見せよう。
 アレクシス・アハスヴェールの手札は膨大だ。故に――この攻略は成ったも同じ。
「主張は分かりましたがね、マリアテレサ。
 そうまで言うのならば、やはり私と貴女は同じ場所には並び立ちますまい!」

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 ――
 ―――――
 ――――――――

「……かな……」
 崩れ落ちるように両手を床に突く。
「ばかな……」
 戦慄く唇から漏れたその声が自分のものである事をアレクシスは理解が出来なかった。

 『廃術解放・叫喚地獄(オーバーロード・アポトーシス)』。
 劇毒系権能。守護系の力に対する特攻能力を持つ。
『本来なら』あらゆる防護を突き破り、敵を神速に弱体化させる。
 人間ならそのまま万度も死ねよう。

『虚なる空(メナス)』。
 小流星を呼ぶ権能。
 圧倒的な炸裂力が込められており、物理的な破壊力ならば最高級だ。
 人間の軍勢なら一撃で叩きのめすに十分だろう。

『流転せし十字門(グラヴィティア・クロスゲート)』。
 超重力の権能。相手の動きを大きく制限する。
 人間なら最早指一本も動かせず捻じれ潰れて染みになるだけだ。

「ばかなばかなばかなばかなばかなばかな……!」
 汗に塗れ、目を見開き、床を見つめている。
 ぐらぐらと揺れる世界に呆然としている。
 長い黒髪は乱れに乱れ、消耗を重ねた呼吸は平常のものではない。
 早鐘を打つ動悸は彼の力の行使の限界を告げており、これ以上が無い事を完全なまでに示していた。
 十や二十の権能なんて捨て石で十分だった。
 だが――
 アレクシスはこの時点で千を超える全ての御業を出し尽くしマリアテレサに傷一つ与える事も出来なかった。
 深く、深く、昏く、遠く――
 マリアテレサという海の底はまるで知れず。
 情報量に圧殺されたグランドレコードにはもう自由が無い。
 無慈悲な深海に喘ぐアレクシスは既に嘲笑う水の圧力に絡め取られている。
「もう満足でしょう、アレクシス」
 酷薄に笑うマリアテレサは打つ手を失くしたアレクシスをただ冷たく見下ろしていた。
「繰り返し念を押しておきますが――
 僕は貴方が勝手な行動を取った事そのものには大して怒っておりませんでしたよ。
 賢しらで――実に愚かな貴方の劣等感、貴方の反感は僕にはむしろ心地良かった。
 無駄な努力を繰り返し、存在しない勝利を求める様等、滑稽でお笑い種でしたからね。
 貴方の失敗は偏にお父様の誇りを傷付けた事。
 ですが――先に述べた通りです。
 僕が貴方を消し去るのは簡単ですが、本戦前にアーカディア・イレヴンが戦う事をお父様は望んでいなかった。
 ですから、チャンスを差し上げましょう」
 全てを否定しておきながらマリアテレサはこれまでで一番の笑顔を浮かべていた。
「この後始末はカイロスに任せます」
「全て我が至高の薔薇の仰せの侭に」
「……何、だと……?」
 一礼したカイロスにアレクシスは面を上げた。
 消耗しているとはいえ第五熾天使(アレクシス)に智天使(カイロス)如きを当てるだと?
 それは即ちカイロスに死ねという命令に他なるまい。
 それは異常極まる命令で、そうする意味等何処にも無かった筈ではないか……?
 アレクシスの考えを読んでいたかのようにマリアテレサは最高の笑顔の侭に続けた。
「第五の宝冠は継承未満の連中には移っていない。
 つまり、今でも貴方が持っているのだから……ね。
 ね。貴方ならカイロスを倒す位は簡単でしょう?
 カイロスの断罪を免れたなら、この場の話だけは見逃してあげますよ?」
「――――」
 予想外の提案。それは千載一遇の――アレクシスが生き残る為の最後のチャンス。
 この場を逃れれば、そう。この場さえ。
 疲労困憊に、大いに混乱したアレクシスの脳裏に短絡的な希望が産まれたその瞬間。

「――そうしたら、本戦に戻してあげますから、ね。第五熾天使アレクシス」

 吐き気がした。
 目眩がした。
 嗚呼、嗚呼。今、音がして――へし折れた。
 この苦境を乗り越える事は棄権にはならない。継続を赦されるに過ぎぬ。
 彼女の提案は取りも直さず――もう一度この女と戦わされるという事実に他ならない!
「至高の我が薔薇」
「何か?」
「一つだけ確認させて下さいませ」
「……何を」
 カイロスにマリアテレサは如何にも面倒臭そうな視線を向ける。
「第五熾天使を私が破った場合の話ですが……」
「ああ。おめでとう、熾天使(セラフ)に昇れますね」
「それです。薔薇よ、予めお断りしておきますが……
 私めそれだけは断固として拒絶いたしますので、その点重々御理解下さいませ」
「はあ……?」
「我等が父を軽んじる心算はありません。
 しかしカイロスめにとっては我がテレサの智天使である事が他の何より重要なのです」
「……………」
「第五の熾天は成ったとて偶発。
 されど、我が智天使(ケルビム)の栄誉は、栄誉こそ!
 我が愛(マリアテレサ)が私だけに!
 頬を染め、慈愛と期待に満ち! 手向けて下さった花の宝冠!
 このカイロス、死するその瞬間まで! いえ、滅して尚!
 これは――これだけは手放す心算はないのです!」
「気持ち悪いです。貴方」
 死んでこいという命令には何の異論も無いらしいが。
 マリアテレサはこの言葉に今日一番嫌な顔をして大きな溜息を吐いた。
「ああ、もうならどうでも良い。
 それならば第五宝冠は事実上、焼却されるだけ。
 何れにせよ、本戦が始まるなら……遅かれ早かれでしょうし。
 兎も角、後は任せましたよ、カイロス。
 まあ、普通にやれば貴方が死んで終わりなのでしょうけど……
 ……それでも別に構いませんけど」
 マリアテレサはくだらないやり取りにも大きな反応を示さず、肩を震わせるアレクシスをちらりと見た。
 甚振った鼠にとどめを刺すように最後に大輪の笑顔を咲かせていた。

 ――頑張りなさいな。でも、貴方は本当に本戦に来れるかしら?

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