誰が為に鐘は鳴る
第十熾天使ミミが大きな欠伸をした。
「……ええっとぉ……」
寝耳に水で始まった緊急招集に第三熾天使アレクサンドラは困惑の色を隠せなかった。
熾天使各々は今も攻略世界に残った侭だ。遠隔通信を可能にする黒いモノリスを介してまで彼女等が会談を持つ事は稀であった。
「……あのぉ、随分急だけど……何かあったの? テレサちゃん」
熾天使会談の呼び掛け人は第一熾天使マリアテレサ・グレイヴメアリーその人。
楽園の管理者にして神の代行者を気取る彼女は、しかして非常に怠惰な性質でも知られている。アレクサンドラの声色がどうにも微妙なのは、熾天使達があくせくとノルマを達成する一方で頑なに楽園から動かない彼女が自発的に何かをする時――それは強烈なまでの事情が存在している事が殆どだったからだ。
「……ま、詳しい所はお言葉の方を待つとして?」
第九熾天使ディオンがモノリスの中で肩を竦めた。
「少なからず想像の方は付くね。あんまりいい知らせでない事は確かだろうさ」
ディオンの軽薄な物言いは何時もと違いが無いものだった。
モノリスは特別である十一番を除く十枚が用意されている。
その内第二熾天使のものは空になって久しいが、問題はもう一枚の方だった。
「……確かにね。アレクシスの姿が見えませんわねえ。
マリアテレサ。今回の呼び出しはそれに関わるお話でして?」
第六熾天使リーゼロッテが然したる興味もなさそうにそう言えば、
「……緊急事態という事なのでしょう」
「説明を求める。どういう事だ? マリアテレサ」
第七熾天使フレアと第四熾天使マーカス・シャトーペルが裏腹の雰囲気で尋ねる。
余裕の微笑みを湛えたままのマリアテレサは未だそれに答えていない。
「もしかして――やられちゃったとか!?」
「まっさか。もし本当にそうなら、面白過ぎるよ!」
リ=ルとエイ=ル――第八熾天使の双子がきゃあきゃあと騒ぐその姿までを見届けた後、漸くマリアテレサは最初の言葉を発していた。
「まぁ、当たらずとも遠からず。
少なくとも第五熾天使は失陥したという事です」
「――――」
「――――――――」
面々は冗句交じりに騒いだり、然程の真剣味を見せなかった一方で。
静かに告げられたマリアテレサの言葉には思わず息を呑んでいた。
「まさか、だねえ――」
ディオンの、珍しく少し驚いた調子は彼等にとってのアレクシスの評価を物語る。
最優にして超絶技巧派。純粋な出力に関係なく、倒すのに一番面倒で一番厄介な男。
頭も嫌という程にキレるのだから、積極的に相手にするのは少なくとも御免だというのが彼等一同の共通認識であったのは間違いない。
「――で、マリテレちゃん。
一体何処の誰なの、あのアレクシスをやっつけたなんてすんごいのは」
半笑いのディオンは半ば答えを想定しながらそう尋ねた。
果たしてマリアテレサはディオンの意を介してか、違ってか「僕です」とだけ応える。
「おお、怖い。でも合点はいったぜ。
だからゲラント含め――一派の連中がごそっと動き出したんだな?」
情報通のディオンはアレクシス派が奇妙な動きを見せた事を知っていた。
彼等の動きは逃走というより戦力を形成したままの離脱である。
(思ったより人望あるじゃないの、アレクシス)
彼が見る限り一派は絶対に主人の失陥を納得していない。アレクシス喪失がマリアテレサの粛正によるものなら、彼等の動きはもう一歩進んで叛逆か。
「……本戦前の対決は厳禁の筈では?」
「ええ。まだお父様の大命令は途上でした。
つまり、僕達は僕達の内の誰を失っても適切ではない。ならば、不必要な諍い等している暇はありませんからね」
他方、ディオンの思考に構わずリーゼロッテとマリアテレサのやり取りは続き、
「……じゃあ、どうして?」
指を顎に当て、小首を傾げたアレクサンドラが問う。
「テレサちゃんは誰よりルールに厳しい筈でしょう?」
「ええ。ですから、処しました。彼は大きなルール違反を重ねたので」
マリアテレサは面々に説明をする――
――地上での限定顕現。その目的。人類との顛末。敗退と、粛正――
「え? そんな事したの!?」
「馬鹿じゃん!」
双子の言葉は子供であるが故に一番容赦がないものだったかも知れない。
「成る程な」
頷いたマーカスにマリアテレサは意外そうな顔を見せた。
「てっきりマーカスは怒るかと思いましたけど」
「馬鹿な。アレクシスの行動はどう見ても正当化出来ない。
俺はお前が大嫌いだが、ことこの件の公正に関しては間違いなくお前に分がある」
「……………」
マーカスの言葉にフレアが――此方は少し複雑そうな顔で頷いた。
仮初のものとは言え、仲間意識を簡単に割り切れる程、この少女は情が薄くない。
「ですがね」
マリアテレサは面々の顔を幾度目か見渡しながら言葉を続けた。
「今回、呼び出したのはアレクシスの話を伝える為ではありません」
「……そう仰ると他に何が」
「目途が立ちました」
マリアテレサの衝撃的な一言に全員が絶句した。
「大命令はほぼ全て達成されている。
つまり、僕達の仕事は最終局面に突入しました。
お父様に確認を取りましたから、それは間違いない。
僕達は悠久の時間を超えて、遂に本戦に辿り着いたのです」
「――――」
「代行者にしてプレイヤーである僕は、公平公正に皆さんに伝えなければなりません。
本戦の開催と日付と、そのルールを。
一つ、開催の決定。これは今お伝えした通りです。
二つ、開始の時期。これは例の地上の時間で一月七日と定めました。
皆さんにはまずお手持ちの担当世界を今年以内に終わらせて貰う必要がありますね」
立て板に水を流す説明は続いた。
「三つ、開催の場所。折角なのでこれは例の地上といたしましょう。
僕達が手掛けてまだ滅びていない唯一の世界になる予定ですからね。
それに――あそこにはあの子の欠片が残っている」
「この意味は分かりますよね?」と言わんばかりのマリアテレサに一同は何も言わなかった。彼等はアレクシスが何故限定的な地上顕現を強行したのか知っている。十一番の一翼は謂わば指向性の無い力の塊のようなものだ。彼女が特別である程にそれを手にした熾天使は大いなる優位を得るだろうと認識していた。無論、あのアレクシス程上手く喰らえはしないだろうが、元々マリアテレサが地上顕現を厳禁したのは熾天使同士の、或いはその麾下同士の偶発的な対決を回避する為に他ならない。
「ゲームにスパイスを与えるにはトロフィーも必要でしょう?
さて、それは良いとして。
四つ、楽園での不可侵は継続。
楽園での戦いは禁止します。外交であろうと休憩であろうとお好きにどうぞ。
但し、逃げ込む目的ではお使いにならないよう。まあ、皆さんに限っては心配なんてしておりませんけどね。
……ああ、ちなみに僕は楽園に残る心算ですので。僕に挑む目的であるならばこのルールは撤廃とします。
何時でもどうぞ」
「……ッ……」
「抑えて、ね」
マーカスは軽侮の言葉にギリと歯を鳴らし、察したフレアは静かに言った。
「五つ、地上を壊してはいけません。
地上は僕達の大切な本戦の舞台になります。
ですから、節度と品を以って――熾天使らしくお願いします。
六つ、それ以外の事は……その都度判断いたしましょう。
尚、ルールの一切について不満があるならばこれも何時でも僕の所まで。
代行者に成り代わる不遜を成せば、本戦の勝利も目に見えてくるでしょうからね!」
「そうそう。アレクシスの食べ残しは僕が処理しておきます」と一方的に告げたマリアテレサに熾天使達はそれぞれの思惑を得る。
(始まる、のね……)
(漸く、宿願を叶え得る時が来たという事か)
(……やっとか。これは面白くなってきた)
(みんな、やっつけちゃえばいい/そうするのが一番いいよ)
(あらあら。皆その気になって……でも、勝つのは私よ。
あの子達の為に負ける訳にはいかないもの)
(くだらない。まぁ、でも――少しは愉しめるものかしら?)
(……ニャア)
……それは本当にてんでばらばらだったが、確かな事は一つある。
少なくとも熾天使はこの本戦に到る為に、数多の世界を蹂躙し、破壊してきた。
それが最悪の望みである事は等しく皆知りながら。
或る者は己が罪を重く背負い、或る者は罪自体を笑い飛ばし、或る者は罪を為す自体が目的であるかのようにここまで、来た。
「――開幕を宣言します」
運命は地上時間の一月七日に刻まれた。
遂に史上最悪の展開がやって来る。
熾天使による、熾天使の為の黄昏が地上に降るのだ。
「そう言えば」
「……?」
「その鳥、どうしたの?」
ディオンが楽し気に問えばマリアテレサは「ああ――」と声を漏らした。
「褒美と言いますか、見舞いと言いますか。
死にかけの莫迦に何でも言ってみなさいと言ったら、何か求められたので」
「成る程ねえ」
「もう、宜しいですね?」
「……にゃあ」
物語の歯車は重く軋む。
だが――ミミは張り詰めた空気にも緩んだ調子にもどうでも良さそうに顔を擦るだけ。
※遥か楽園で何かが決まったようです……

