千波万波は咢の如く
「――月光船、出航したよ」
精霊機関を用いた通信機を介して、九相寺・大志(r2n000122)は遥かキャンプ・パールコースト横須賀基地へと告げた。
「すぐに向かいますから! ちょっとだけ待っていて下さいね」
月光色に輝ける船団の旗艦、全ての船の船長でもある真月里(r2n000190)は到着を待つ人類へと明るく声を弾ませる。この航路が危険なものになることを――通賢黙娘(r2p003175)のかんばせを心によぎらせつつ――理解しながらも。
(それでも、進まなくてはならないから)
一瞬だけ、真月里は空っぽのクジラ島へと振り返った。
クラーケンに敗北し、肉体を失い、房総半島とそこに住む人々を喪って。
結界の中、長い眠りにつき……目が覚めて、現代の人類と出会って。
この滅びかけの世界で、彼らと共に笑い、共に戦い、たくさんの思い出を作って――
嗚呼。
嗚呼……
今になってこんなにも切ない。
「……さようなら」
たくさんの過去に決別を。
未来の為に出航を。
我らの航路に祝福を。
そうして、己の全ての命運を狂わせたの大怪物にきっと勝利を。
(今度こそ、あたしは――)
潮風が頬を撫でた。
まるで、今までの日々が背中を押してくれるみたいに。
「……、」
大志はそんな真月里を、そして彼女を護る為に凛と前を向くレイヴンズとを、眩いものでも見るかのように目を細く。
事実、眩いのだ。美しく、尊いと思う。未来の為、誰かの為、懸命に励むそのひとつひとつが。
そしてそう思うほど――己の中のドス黒い復讐心を自覚する。
悠然とした『司令官の』笑みのまま、心に何度も渦巻かせるのは血塗られた破滅の大波濤。
――俺だけが、生き残るなんて!
どれだけ後悔を叫んでも、過去は男を離さない。
あの化け物を殺す為に、今日ここまで生き延びてきた。
皆の無念を晴らす為に――いや、違う、自分の為だ。罪悪感から逃れる為だ。
クラーケンが赦せない。それ以上に、自分自身が赦せないから。
だから神霊たちの煌めきに、この昏い部分を突き刺されても――男は微笑んでいるのだ。
(私は。ズルくて卑怯な大人だから、ね)
ゆっくり、閉じた目を開く。
眼差しの先には、暗雲を携えた大嵐の気配が在る。
「ふ」
胡乱な潮風に外套を翻して。駆逐艦ラファエル・ペラルタを見上げ、キャンプ・パールコースト横須賀基地司令官の浪花アルネ(r2n000145)は薄く口角をつった。
「近代化改修、無事に完了したのですね」
傍らに控える岡崎 星(r2p000838)もまた、長く長く『待機』をしていた軍艦を見上げよう。大破局の生き残りである星と、この軍艦の境遇は同じだ。だが非能力者である星の一方で、ラファエル・ペラルタはとうとう現代の最前線で戦える力を得た――少しだけ、古参兵は隻眼を細める。
それでも星たちに戦う力がないという意味はない。神秘の力がなくとも、戦う為の手段ならばいくらでもある。
「月光船の出航に伴い、天使勢力に動きがありました」
「やはりな。例の連中だろ」
「はい」
「偵察任務への協力ご苦労、他のAthena隊員にも労いを伝えてくれ」
「ありがとうございます。……ご武運を」
一礼する星に「ありがと」とアルネは微笑んで――改めて彼方の海を見据えよう。
目覚めたクラーケンが月光船へ向かっている情報ならば既に掴んでいる。
あの怪物がとうとう、自ら動きはじめたのだ。
奴が来る。来てしまう。
アダーマ級激神災害。
超常指定:甲級。
規格外。
数多の異名は、そのまま脅威の深刻さを示す。
――大怪物、クラーケン。
最初にそれと出会った日、アルネはまだ戦う力もない幼い子供だった。そこに刻まれているのは、何もできない、成す術もない、どうにもならない、どうしようもない、壮絶な無力感とそれゆえの恐怖――目の前でひたすら多くの命が喪われていく地獄。次は自分なんだという絶望。
焼き付いた原初の記憶は、今だって手を震わせそうになる。あの、世界を壊さんばかりの巨影。
……本当に、あんな怪物に勝てるのか?
(なあ、おい)
一度強く、手を握り込んだ。
(その為に強くなったんだろ。乗り越える為に。勝つ為に。生きて帰る為に)
もう無力な子供じゃない。もう何の力も持たない犠牲者じゃない。
大怪物。天使。神霊。受難は千波万波と押し寄せる。咢のように、こちらを呑み込み噛み砕かんと。
深呼吸をした。海のにおいが肺腑を満たした。
かくしてアルネは――出撃を待つ君へと、振り返ろう。
「――楽しいパーティになりそうだな?」



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