
エクストラ・ゲイム
日中の明かりさえ遮り、世界を暗く染めつつあった闇が散らされる。
唸りを上げる大戦斧が一閃と共に彼方までの空間を引き裂いたのだ。
遥かな稜線までを消し飛ばした斬撃は進行方向に存在する全てを蹂躙する侵略か。
「どうした、フリークス!」
轟雷のように響く低い声は怒りを帯びず、憎しみを帯びず。
ただ強烈なまでの愉悦だけを帯びながら、神話の戦いの実現に歓喜していた。
「――――」
豪快に放り投げられた大戦斧が烈風を渦巻き、目玉のすぐ横を掠めて飛んだ。
その直後に握る格好をしたバルタザールの手には既に愛用の戦斧が握られている。
「どうした? フリークス」
「どうもしませんよ。ただ、実に面倒な相手だな、と。
貴方の戦力評価を更にもう一段階引き上げた程度の話です――」
「本当に可愛くない敵だのう!」
「そりゃあいい。カンストまで持っていくか」と大笑するバルタザールの一方で可愛くない男の憎まれ口も当初と同じだった。
長く続くこの激突は既に幾昼夜の時間を経ていた。
本当の姿を顕しているのは両者が同じ。
バルタザールは半人半馬の戦う為の姿をこの世界に降臨させ、男の方はと言えば……
……恐ろしい程の異常を最早隠してはいなかった。
流麗な男の背後には大きな、大きな目玉があった。煤なのか、瘴気なのか、蠢く蟲なのか、誰かの怨念なのか――
ぎょろぎょろと薮睨みのように周囲を睥睨する大きな目玉は正体すら知れない闇のミックス・ジュースを帯び、滴らせながら喰らい付く最強の闘士を相手取っていた。
「澄ました面が随分と変わったようではないか。うん?
それでは色男も台無しだぞ? 女子も悲鳴を上げて蜘蛛の子散らすわ!」
「ええ、今回出会った面倒の性質にはほとほと辟易しておりますとも」
言葉に苛立ちは無いが男の口元には僅かな苦笑が浮かんでいた。
この戦いを愉しみと位置付けるバルタザールの方はさて置いても、合理主義の獣が徒に戦いを長引かせる事等有り得ない。
即ちそれは、
(……全て始末する気で、全て最短で事を進めているのですがね。正直呆れる程のパワーと耐久力だ)
必然的に男がバルタザールに必殺を期し、これまでその悉くが成功していないという客観的事実を示していた。
「楽しいなあ。大いに結構だなあ!
さあさあ、征くぞ! フリークス! 此度は儂の番なのだ!」
蹄が大地を揺るがした。
赤を引く大跳躍を見せたバルタザールを迎撃するように男の背後から密度を増した闇が噴出した。
切り離された闇は無数の弾丸。その欠片一つ一つが小さな羽と口のついた蟲と変わる。
ガトリングガンのような濃密な致死致命。
触れた直後から爆弾のように炸裂するその弾幕さえ、直進するバルタザールは正面からぶち抜いた。
「豆鉄砲で止まるかよ!」
「並の天使ならお釣りが来る程度には吹き飛んでいると思いますがね」
バルタザールの全身を覆う赤い闘気は闇の浸食を許さぬ鉄壁の鎧のようだった。
それでも傷付いていない訳ではない。
痛みは降り積もり、確かに隆々たる巨躯には小さくない傷が増えている。
だが、その程度では意味がない――
(あれはつまり相対だ。そしてこの男は絶対だ)
傷付きながらもその意気未だ軒昂――否、当初よりも更に力に漲っている。
やればやる程、加速的に強くなるバルタザールはその部下たるベルトルドと似ているようで少し違った。
ベルトルドは自身が経験した敵の攻撃を蓄積で相対的に対処した。バルタザールは未知も含めた敵の能力を信じられない位の加速で絶対的に捻じ伏せている!
つまる所、バルタザールは男の都合を受け付けていない。
この勝負の先行きは駆け引きではなく暴力の最大値のみに依存している。
戦いに判定勝利が存在しないなら、勝負はつまり簡単だ。
(私の極地を彼が上回るのが先か、私が彼を仕留めるのが先か、という所でしょうか)
最早触手や糸という局地的な物質に非ず、空間ごと押し潰さんとするように展開された黒色の圧力さえ、その巨体が捻じ伏せている!
「受け切れるか! フリークス!!!」
強引に肉薄し、大上段から縦に戦斧を振り下ろしたバルタザールの一撃が大地震のように世界を揺らし、土を逆向きの滝のように跳ね上げた。
戦斧の切っ先は、大地に底の見えない程の亀裂を刻み付けている。
「何だ。ノリの悪い奴だのう。そこは正面から受ける所であろうが」
人好きのする獰猛な笑み――そんなものがある事を男は今日初めて知っていた。
「力比べに滾らん男なぞおらんだろう?」
「相手が貴方でなければね」
男は奇しくもアレクシスと同じような顔をしていた。
これまでとは違い、その一撃を避けた男――否、傲慢な目玉はまた強引にバルタザールの見通しを何段か引き上げさせられている!
「本当に堪えない人ですね……!」
「儂の相手は瞬でぺしゃんこか根負けするかのどっちか故なあ!」
終わらない。
「フリークス! そろそろ疲れてきたか? 随分と澄ました余裕が失せたようだぞ?」
「その襤褸で貴方が言う事でしょうかね」
終わらない。終わらない。
「実際、礼を言いたい位だぞ。
こうまで追い込んでくれるなら、まだまだ強くなれるというものだからな!」
「笑えない冗談ですね。私としてはもういい加減御免です」
――収縮した闇が強烈に弾けて飛んだ。
視界を灼く黒光がその瞬間、世界の全てを奪い去っていた。
「……チッ……」
男の舌打ちは凡そ此の世の誰もが見た事すらない姿だっただろう。
当初とは似ても似つかぬ程に変化した地形は神代の決戦がどれ程のものであったかを告げている。
否、この程度で済んだのは――二人の思慮深さの証明に他ならない。
彼我両方共が同じく、だ。二人は世界を壊さぬように戦っていたに過ぎまい。
ただ――そこに残されているのが一人の男だけであり、全身を欠損した血走った目玉だけである事実が。
長く、長く続いた戦いが一先ず終わった事を告げていた。
「不本意極まりないが……」
男の姿は当初と変わらぬ涼やかなままだが、端末の見た目等些事である。
これ以上は不測の事態が起きる可能性は否めなかった。初めて負ったこの損傷が自身の身に何をもたらすか、その影響を彼は知らない。分からない。
(ならば、少しでも早く回復に努めるのが最良でしょう)
何百年か眠れば如何な問題も掻き消えよう。
死に絶えつつある人類も戻り、その頃には退屈しのぎの種にもなろうか。
合理的で賢明なフリークスはそのリスクを許容するような事はしない。
この場の最良、妥当な判断が一つに限られているのなら。
何れにしてもこの戦いはこれで終わりだった。間違いなく。
――ぱち、ぱちぱち
終わりだった、間違いなく。
確かにその戦いは終わっていた。
他称神なる男には想定外だったのはこの物語がそれで終わらなかった部分であった。
――見事な戦いでした。
玲瓏なる美声は異様な程に良く通る。
――まさか、あのバルタザールを超える方が居るなんて。
ふふふっ、予想外というものは中々可笑しい。
十中八九、いえ? 十中の十ですね。
てっきり僕の最後の相手は彼だとばかり思っていたのですが。
不遜にも他称神の頭の中に響いてくるような言葉は蠱惑と嘲りの双方を有する――まるで女神の囁きだ。
「どちらの方かは知りませんが、随分と不躾な御登場ではありませんか?」
もう一戦の可能性を考えて男は珍しく臍を噛んだ。
もう一度バルタザールは現実的ではない。
その上、彼が察するに――最悪な事に口振りからして同格以上が来るのはほぼ確実と思われる。
「では、失礼して。初めまして、マリアテレサ・グレイヴメアリーと申します」
「……………」
女神然とした神秘なる言葉の響きは瞬時に現実世界の音振動へと姿を変えた。
「其方は名も無き怪物さん、で宜しいかしら?」
「……………」
「……?」
「……………………」
「僕の顔に何かついておりますか?」
「いいえ、別に」
神とは言わぬ。彼女は断じて。
男は目の前に立つカソックの女をじっと見ていた。
長い銀色の髪を見た。傲慢を帯びる金色の瞳を見た。
長い手足を見た。均整の取れた立ち姿を確認した。
化粧気もなく天上の作り給うた人形のような美貌を眺めていた。
――い。
「時にそのマリアテレサさんは何をしにおいでで?」
「僕は基本的に留守番なのです」
「留守番?」
「ええ。バルタザールや他の天使のように世界の攻略には赴かない。
貴方なら天使の概ねの事情は知っておりますね……と言うより僕の事も大体は御存知でしょうか。
その上でどうしてだと思います?」
「……………」
ベルトルドの知識の中にそれは無い。
在るのはマリアテレサを名乗った美しい天使が最悪であるという情報だけだ。
「さてね。貴女が見た目に拠らず怠惰であるとか」
鈴の音色が転がった。女は口元に手を当て品良く笑う。
「面白い方です。そうですね、確かに僕は泥に塗れる事は好まない。
でもそれ以上に、僕が楽園に座するのは確かな理由があるのですよ。
お父様は僕に特別な使命を与えられた」
――重大な問題の解決役、問題の火消し役が僕なのです。
例えばそう、何かの間違いで最強のアーカディア・テンが敗れてしまうとかね!
「チェスというゲームを御存知かしら。女王は軽々とは動かぬものです。
つまり、誇って良いです。いいえ、誇らしく思うべきでしょう。
アーカディア・テンが失陥した事は何度かありますが……
勿論、そんな些事に僕は付き合いません。
僕がこの仕事をしたのは貴方が初めての出来事ですからね」
……バルタザールのような覇気は無い。
殺気や敵意らしきものは微塵も見えない。
ただ、バルタザールを降した自身にさえ軽侮が向いているのは間違いなかった。
(成る程。だから、それ以上の怪物という事なのでしょうね)
瞬時に判断した彼は恐らくこの世界がもう持たないであろう事実を理解していた。
――大願欠けて、その世界満ち朽ちて。
即ち汝、遥か我欲ばかりに通ず栄誉の宝冠受け入れざるや?
先々にある択の何れを選ぼうと結末は変わるまい。
否。この女が――マリアテレサが誘うなら、か。
一つの択は最初から無いものと同じであった。
「改めまして。素晴らしい戦いでした。アーカディア・ツー。
僕達アーカディア・テンは貴方の参戦を心から歓迎いたしますよ。
貴方ならばこの意味、既に御存知ですよねえ?」
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